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皆さんもそうです。歩いていて自動車事故が起きて、いっぺんに即死したというときは、自分が死んだと思いません。霊界に行けばそうです。「ああ、変なところに来たが? ここがうちの町内よりましだね。ないものがなく、すべてが…」そう言うのです。広大な天地が繰り広げられてです。無限の天地が繰り広げられるのです。それで、死んだと思わないのです。
それは変だ…。自分の周りにいた人たちも、会いたければ現れるのであって、呼ばなければ現れないのです。一人でいるような思いが、たくさんするというのです。
ですが、霊界に行くようになれば、霊界で案内する人たちがいます。やってきて教えてくれるのです。「あなたはあの世に来た。死んだ。死んだ」そう言うのです。それが認識できません。夢のようにはるかに自動車とぶつかるのを感じるのに、死んだという思いはしないのです。そのようにつながっています。
それゆえ、そこに行って死んだことが分からないでいるから、ぽかんとしています。感覚がつかめなくてです。自分の家に行こうと「私の故郷に行かなければならないのに」と言いながら、故郷に行こうというのです、故郷に。地上の故郷に行くことができますか? 故郷に行くというのです。故郷に行こうとしても行けないのです。
それゆえ、やってきて教えてくれるのです。自分の何代前のおじいさん、おばさんがやってきて、「おまえは地上世界ではなく、霊界に入ってきているのだ」このようになるとき、「ああ、霊界がこんな所だったのか」と言うのです。あの世には、ないものがありません。
では、あの世の生活はどうか? 食べることは心配ありません。暮らすことは心配ありません。着ることも心配ありません。なぜ? 自分の心霊状態どおりに、願うすべてが可能です。あの世でも食べます。あの世でも自分をまず見れば、血筋が、脈拍がどきどきするのが分かります。同様です。霊的な体ですが、同じだというのです。
自分が何かを食べたいと言えば、いっぺんに繰り広げられます。自分の基準において、欲求の心情を…。植物とかすべて食べたいもの、これこれこういうものを食べたいと言えば、いっぺんに現れます。それがどこから来るのか? 根源の世界を動員することができる、能動的自主性を行使することができる世界が霊界です。それゆえ、全体を動員することができる主体的能動圏を持ったものが何か? 権力でもなく、知識でもなく、お金を持った勢力でもありません。愛です、愛。
神様がいくら高いといっても「神様!」と愛の心で呼べば、いっぺんに「何だ」と自分の心の中で答えます。「神様どこにいらっしゃいますか」「どこにいるかとはなんだ、おまえの心の根本にいるだろう」と言うのです。神様が本来根本ではないですか? あの心の根の根本にいるでしょう。このようになっているのです。
ですから、一日の夜にバンケット(banquet;宴会)の何十万、何百万が可能だというのです。自分が愛に酔って、直感で感じるのを実現するため、命令すればそれがただそのまま繰り広げられるのです。そして、あの夜に行くようになるなら、寡婦は困ります。寡婦でなく、一人で暮らす人。それを何と言いますか? 乙女で暮らして、一人で行った人たち、男も一人で行った人たちのことですが、そういうのを何と言いますか?(男はモンダルクィシンq独身のまま死んだ男の鬼神r、女は…)。死んだあとにモンダルクィシンと言うのであって、死ぬ前に何と言うのかというのに…。(笑い)モンダルクィシンは、死んだ後に言うのではないか? そういう言葉はないか? それを何と言いますか?(独身女です)。独身女、これは困るのです。
どこかに行って、和合ができません。女たちの世界に行っても、このように立ち、男たちの世界に行っても、このように立ち、行く所がありません。方向は陰になった所、陰の世界、そうかといって、自分が振り返ることはできません。和合は、愛を中心として東西南北に通じるようになっているのに、方向がしっかりと固着しているために、振り返ることができないのです。私は分かりませんから、死んでみなさい。(笑い)
私が結婚させてあげたら、霊界に行っても生きることができるでしょう。それゆえ、餅をつくっておいて、孝行心の厚い嫁は、まず考えるのには、義理のおじいさんがいて、義理のお父さんがいれば、義理のおじいさんから考えるのではないですか。義理のおじいさんから考えなければならないのです。まず、神様を考えるのです。一段階越えて、もっと愛せば、地上世界を越えて、天上世界…。それゆえ、義理のおじいさんは、義理のお父さんよりも高い位置にいるのです。霊界に近いというのです。神様のように侍るべきなのです。
縦的な基準、それは愛で伝授したために、愛でなくては、ここにこれを動かすことができません。接ぎ木できないのです。また、自分の息子娘も全部愛で接ぎ木して、垂直にしなければなりません。それゆえ、その伝統を受け継いでやるために…。(一九四\四一)
これから、学校は皆なくなるのです。これから、学校は皆なくてもいいのです。(拍手)国家的に、全世界的に言葉だけ統一すれば簡単なのです。六年生まで習うことが、ビデオテープ四〇個なら四〇個の中に皆入っています。分かりますか? それだけしっかり取りそろえて、大きなカバンに入れて持って歩きながら、約三年勉強して試験をするのです。そうしてパスするようになれば、卒業もするのであり、その次に中高等学校、大学課程もするのです。何をしに二〇余年づつも勉強をしますか? 頭が良ければ一〇年以内、七年以内、六年以内にも、全部できるのです。試験だけするのです、試験だけ。そうする時が来ます。
いちばん重要なのが、言語統一です。全人類が一カ所に集まれば、どのように何を決定しますか?
その次には、何をすべきか? 一五分なら、何でも持ってきて食べることができるのです。肉も持ってきて食べることができるというのです。そのようなシステムを、私が今開発しているのです。大きな谷あいに数万名が入って暮らしても、パンパーンとやって、サイレンさえしっかり一回鳴らせば、一五分以内に山に暮らしていた人たちが、皆降りてきて、自分たちが注文したものを持っていって食べるのです。自分の家に電話が皆あるから、電話で注文するようになればトラックで、朝食、昼食、夕食まで、皆作って持ってきてくれます。全部買って食べればいいのです。
それで、そのときは、何をしますか? 食べて何をすべきですか? 二四時間二人でキスだけしていますか?(笑い)世の中の暮らしは、一月だけテレビを見るようになれば、皆分かります。ただそのようでありそう言うのです。それが皆飽きます。
ですから、霊界を知るべきです。霊界を知らなければならないのです。祈祷して精誠を捧げるようになれば、霊界の幻想が繰り広げられるのです。それがどれほど素晴らしいか! 天使たちが降りてきて、踊りも踊るのです。どれほど素晴らしいでしょう! 私は妄想家ではありません。今、皆記憶しているのです。そのときは、旅行して暮らすのです。(二〇三\五七)
すべての人類が、あの世に行くようになれば、お母さん、お父さんが恋しいように、その方を眺めて暮らすのです。また、そこから降りてくるすべての訓示を実践躬行するのです。その家が栄えうる教えと指示を受けて、国家を治めることができるすべての法を指示され、そこに従うのです。それゆえ、地上にもこの三大主体思想、天上にもこの三大主体思想しかありません。それは父母を中心とした思想です。
学校に行っても天国です。先生が自分のお母さん、お父さんのようです。先生の所に行って触りたく、おぶさりたいのです。そうすることができる心情圏です。また、主上(天皇)だといって問題ではありません。主上は、もっと大きな父母様なのです。
このような心情的体恤を、この地上でするようになるときは、自分が神様が指示する秘密の部屋に入って、昼寝をしても追い出しません。真の愛には、相続権があって、同居権、同位権、同参権があるために、その愛の中ではすべてを…。そのような偉大な主人になりうる位置にいるために、我々の良心は天下にいちばん貴いものを占領しようとするのです。
皆さんもそのような欲望を持っているでしょう? 世の中の欲望は、成すことができないと言いますが、そうではありません。本来の欲望は、成すことができるようになっていたのです。しかし、これを失ってしまったために、これを探すことができるその道を知らないのです。サタン側を中心としたものでなく、天の側を中心として投入して、また投入して行ってみれば、個人から勝利したものを家庭に移してやり、家庭で勝利したものを氏族に移してやり、氏族で勝利したものを民族に…。その全部を説明しなくても、為に生きろということです。為に生きろ、為に生きろ、為に生きろというのです。そのような一つの道を行くようになれば、万事が勝利圏に導かれるということを知るべきです。
そこに行こうとしなければならないのが何か? 第一に歴史過程は、善悪の分立歴史です。その次には、行っていたこの道を振り返るために、血統を転換しなければなりません。地獄世界に行っていたサタンの愛、サタンの生命、サタンの血統を抜いてしまい、天の愛、天の生命、天の血統を中心としてつながって、天上世界に行かなければなりません。そこに行くために、我々はどのような生活をすべきか? この三大主体思想を中心とした生活をすべきです。父母の愛、師の愛、主上の愛、これを拡大しておいたものが、家庭、学校、国です。それゆえ、国の先に行きたいのが、その国の民が願う目的なのです。そうでしょう?(二一三\四七)