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2.霊界はどのような所か

1)霊界と肉界

@ 霊界・肉界の中心

皆さん、霊界があるのが分かりますか?(はい)。分かる人は手を挙げてみなさい、分かる人。そして、確実に分かることより、体験した人。(何人か手を挙げると)うわー!(笑い)

皆さんは、霊界について相当に気掛かりでしょう。今、世界には、数多くの宗教がありますが、その宗教が行く道は、霊界と関係を結んで、永生という世界、永遠に生きる世界、すなわち神様とともに生きる世界を探していくのです。そのような世界が宗教の目的地であるということを、皆さんが概略的な観念で知っているのです。

しかし、今になっては、宗教がどのようになるかというと、だんだん、だんだん脱落して、「宗教は、弱者たちが信じるものだ。我々人間に必要ないものだ。それは道義的な一つの表象として、人間たちが操作しておいたものだ」このように結論を下す時代に入ってきました。

宗教の中心になるキリスト教だけ見ても…。アメリカが全世界のキリスト教国家の代表国ですが、そのようなアメリカの家庭で育った皆さんが、キリスト教を信じた人たちが、全部宗教を離れて、今まで自分勝手に暮らしながら、歩き回って行く所がないから、しかたなくここにまた入ってきたのです。(笑い)ここでこのようにぐるぐる回って、また出ていくかもしれないだろう!(ノー)。「ノー」と言う人が何人もいないのです。(笑い)

では、皆さんがキリスト教を信じて、世界の中心であり、すべての理想の中心が神様なのに、その神様がおられる霊界を中心として、理想を描いたそのようなキリスト教にいてから、なぜ出てくるようになったのかというのです。

第一に、永遠は何か? 霊界があることを確実に知らなかったのです。人間は、比較の能力があるために、知能を持った比較の能力がある人間であるために、良い所があれば、悪いものを捨ててそこへ行くようになっており、より次元の高い価値のある所があれば、そこに行くようになっています。それが人間の本性です。皆さん、そうですか?(はい)。男より女がそうでしょう、たぶん。(笑い)男もそうですか、男も?(はい)。これは同じなのです。その次に、第二には、神様を知らなかったのです。

その次に第三には、原因は霊界の中心になり、神様の中心になる愛としてつづられることが分からなかったのです。この三つが分からなかったのです。神様を知り、霊界を知っても、それが無味乾燥として、人間世界と違いなく、絶対的な神様の前に主管されるために、気分が悪いということだけ分かったのであって、愛を中心としたそのような世界がある、ということが分からなかったのです。

さあ、愛がある所では、上がってもよく、下がってもよく、間にいてもいいという論理が成立します。愛する夫が自分より高いといって嫌だと、愛する妻が自分より低いと言って、それを憎みますか? 一つです、一つ。一つになれば勝手に低い所から高い所に上がることもでき、高い所か低い所へ降りてくることもでき、中間にいることもでき、どこでも行くことができます。ここは制裁がありません。そうですか?(はい)。今、世の中では、「この世界は一つの世界であるべきだ。統一の世界であるべきだ。平和の世界であるべきだ」このような言葉をたくさん言います。

霊界と肉界、霊的な存在と肉的な存在も同じです。ここは神様の愛、神様が中心になっています。我々が普通考える、堕落した人間は、神様が中心になっていません。

人間は、心と体からなっていますが、それは違うのです。それは次元が違うのです。心と霊界は違うのです。霊界と肉界とは神様の愛を中心として言うのです。従って、霊界と肉界が一つになるためには、必ず神様が介在しなければなりません。神様の愛を介在せずには、霊界がないのです。神様を中心として霊界というものがつながるのです。

皆さんは良心があるでしょう? 良心と霊界は、どのように違いますか? 皆さんは、心と体があるでしょう? 心と霊界は、どのように違うというのですか? 何が違いますか?「自分の心も霊だろう、何だ?」このように考えているのです。それを混同しているのです。確実に知るべきです。

心は霊界ではありません。堕落したために、心は霊的世界と関係を結んでいないということを知るべきです。いわば、骨のない人のようなものが、堕落した人間たちの心です。骨のない人のようなものが、堕落した人間たちの心であると考えれば実感がわくのです。骨のない人のような形態が、堕落した人間たちの心というものです。

霊人体を見るようになるとですね、霊人体も体があり、心があるのです。霊人体も心があり、体がありますが、霊人体の心のようなものが、霊的世界です。それは必ず神様と関係を結んでいます。

それゆえ、神様と関係を結ばずには、霊人体の心のようなものが生じないというのです。何の話か分かりますか? 霊と心が違うということを知るべきです。心は、神様と関係ないのです。すなわち、神様が離れたのです。神様自体が関係することができないのです。神様が直接主管することができないのです。

それで、皆さんの心が、こうだ、ああだと変わるでしょう? そうですか、違いますか? 共産党も意識が、心が変わるために、その意識革命も全部変わりやすいと考えるのです。宗教も何も、全部ないと考えるのです。しかしながら、霊的世界、霊的関係、霊的存在は、変わらないのです。

それは、永遠に一つの目標を立てて、絶えず行くのです。それがなぜそうなのか? 神様の側に立っているためです。何の話か分かりますか? 心は、人間内に属しているのです。行ったり来たりする人間内に属しているのです。

皆さんが原理を習って分かるでしょうが、生心というものが何か? 生心というものは、心と霊と合わさって、新しく一つの目的に向かって動く存在である、神様を中心として、我々の良心と一つになって、自分、霊肉を中心とした理想的な自分を作り上げることができる動機的心である、このように見ればいいのです。何の話か分かりますか? それで、その生心がなくては、霊界と理想と真なる愛と、すべてを関係を結ぶことができる自体の根源を探すことができない、発見することができない、立てることができない、このような結論が出てきます。

生心が自分に生じれば、体も喜び、全部それについていくのです。自動的にこれが一つになるのです。一つになり始めるのです。それが何の話か分かりますか? 今まで、人間において、いちばん問題になることが何かというと、体と心が互いに離れているということです。皆さん、そうですか、違いますか?(そうです)。しかしながら、霊界というもの、霊的な力が自分に臨んで生心的起源にさえなるようになれば、心と体が自然に一つになるのです。そのような根本から、革命が起こり、根本から是正する根源を発見できない限り、我々は理想に訪ねていく道理がないのです。動機があってこそ結果が出てくるでしょう。それはそうであるようですか?

宗教は何かというと、ディヴァイン・マインド(devine mind;生心)を持っていって植えておこうということです。このディヴァイン・マインドが一つの核心ですが、これを中心として数多くの宗教があります。このような形態の宗教もあり、このような形態の宗教もあり…。ありとあらゆる形態が皆あるのです。あるものは、このようにもなっていて…。(板書されながら語られる)そうかと言って、このディヴァイン・マインドがそのまま接続しません。全部ぐるぐる回っただけであって、そこに接続ができないのです。ここにディヴァイン・マインドがあるならです。こうして、ピタッと行くのにここまで行って、ここまでは行けずに、またこのように…。このようなことをしているのです。(板書されながら語られる)(九一\一四〇)

A 霊界・肉界の一体

神様は、いつも尊厳な方なのです。それで、霊界・肉界の一体化をなしてしまうのです。何を持って? 真の愛を持って、真の愛が現れなかったために、霊界・肉界が統一できなかったのであり、真の愛が現れなかったために、個人と体が分かれたのであり、真の愛が立たなかったなめに、宗教と政治が分かれたのです。

真の愛を中心として、全部一つになるのです。個人、家庭、社会、国家、世界、天宙が、皆つながるのです。分かりますか? 確実な結論なのです。我々の手で、そのようにしなければいけないのです。そうでなければ、本然の天上天国、地上天国を相続することができません。民主世界ではありません。地上と天上の天国ということを知るべきです。

霊界・肉界の一致、それをどのように一致させるか? 真の愛で一つにするのです。そうでしょう? 総括的摂理間に属する、その三つが皆確実に分かったでしょう? これが重要な出発点です。それが皆できなければ、天運が助けてはくれないのです。この三つを皆経なければなりません。そこから苦労して、勝利してこそ、いつどこでも天運がきちっと怨讐を除去してくれるのです。これがいちばん重要なのです。(二一六\一〇六)