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1)霊界の立場
皆さんが今この時代に考えるべきことは、霊界です。今までの霊界は、天使世界と似たり寄ったりです。
我々統一教会の信者たちは、堕落しないアダム・エバと同じ立場です。すなわち、堕落しなかったアダム・エバ圏にいるのです。これは、霊界で見るようになれば、この地上に現れた楽園と同じなのです。(五四\二二九)
永遠の世界にどのように行くかが、明らかに分かるために、しなければ大変なことになるのです。人は、死ぬようになれば、皆霊界に行くでしょう? 霊界に行って、誰についていきますか?「先生!」と呼びますか、呼びませんか? 呼ばない人は手を挙げてみなさい。霊界に行って「先生!」と言えば、現れるのです。
皆さんが現れれば、私が現れたりもしますが、私が現れれば、皆さんが皆現れます。霊界はそうです。会いたい人がいれば、縦横を中心として、心情をしっかりと正して、水平線に立って「誰」と呼べば、現れるのです。何百万年前の先祖、我々統一教会の第一先祖がどんな記号で現れるかと、呼んでみれば、一番、二番、三番、ずっとやって先祖の顔を皆のぞくことができるのです。
今は、「私があなたたちに挨拶をすべきですか、あなたたちが私に挨拶すべきですか?」と言うとき、聞いてみることがありますか?「後孫が挨拶すべきだろう」と言うかもしれませんが、天地開闢時代においては、孫が第一先祖になるということを知るべし。(アーメン)。それが天地開闢です。父が息子の立場に立ち、おじいさんが孫の位置に行き、ひいおじいさんが、ひまごの位置に行くのです。いちばん最初の最初のおじいさんが、いちばんの後孫の立場に立つのです。
霊界に行けば、そのようになりますが、それをどのように解釈しますか? 堕落したために、血統的基準でみるとき、根が変わったためです。根を本来の位置に移すようになるときに、真ん中の根から真ん中の芽につながりうる、その伝統を立てた方がレバレンド・ムーンであるために、レバレンド・ムーンの前に…。(一九七\九四)
霊界は、時間と空間を超越した世界であるために、六千年前の悲しみも、歴史時代圏内に永遠に残るのです。もし、自ら祭物を捧げたという体験で喜びを感じたら、それが時間圏の内容であっても、生活圏の内容であっても、一生において忘れられないのです。歳月が過ぎれば過ぎるほど、その幅と広さが大きくなって、あがめられる対象になり、それが無限の根源と因縁が結ばれるのです。
これから、皆さんこのような神霊的な体験をして、そのような内容を持って実行するようになれば、神様が今まで受けられた悲しみが一時的なものではなく、連続的につながって出てくるということが分かるでしょう。それは、間違いない事実です。(二九\二九四)
霊界に行くようになれば、黒人がどうなりますか? 黒人は黒人であるか、どうか? どうですか? 自分の願うとおりに、黒人が白人の姿を持とうとすれば、いくらでも持つことができるのです。
それで、人間世界で生じるたった一つの問題は何か? 光が明るくなければなりません。何の光が? 愛の光が。愛の光が明るくあるためには、内的に外的に燃えなければなりません。何に燃えるべきか? 愛するための発動力で燃えるべきです。東西にたくさん吹き出さなければなりません。そうすることができる愛だというのです。そのようなことが皆分かってみるとき、世の中の万事は、過ぎ去る一つの旅行地です。(一九四\五六)