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12)霊界ですべき仕事

我々が死んだ後には、どのようになりますか? 死ぬことで皆終わるのですか? 死ぬことによって、新しい世界が始まるのです。そのときになっては、先生にありがたいと言うでしょう。「先生がこうして教えてくれたなあ!」と、そのときになって分かるのです。このように暮らしていけば、霊界にいる数千年、数万年前の先祖の群が一時に和合することができるのです。いくら異国の地の怨讐の国でも、このように天国に入ってくる人は、一時間に、一瞬間に和合することができます。水が海に入って和合するように、いっぺんに和合してしまというのです。

そのときは、天国に大きな宴会が繰り広げられても、そのような群が来るとき、自分がサッと行くようになれば、いつでも歓迎です。いつでも貴賓だというのです。そこが自分の家です。自分の家、自分の国です。分かりますか? 何の話か分かりますか? お父さんが持っている愛を、引き継いだ息子は、その家の中のどこへ行っても、周囲にある園のどこへ行っても、歓迎されるようになっています。それが原則です。

霊界にいるすべての霊人たちも、この天国の息子のようなら、神様とともに愛するために、すべて歓迎です。その世界は、永遠の世界です。一生の間、愛するのが辛い人は、老いて死んでもあの世で愛の若者として生まれるのです。分かりますか? 愛の美男子として生まれるのです。思春期の愛の歌を歌っても余りある、そのような無限で永遠な生命体として生まれるという事実を知るべきです。

皆さんが霊界に行って、する仕事が何でしょうか? その国でする仕事が何でしょうか? 事務をするのが何だろうか、考えてみなさい。そこで金稼ぎをしますか?(いいえ)。服が必要で、家が必要ですか?(いいえ)。皆さんが願うものを、即座に皆補給されることができます。霊界は、自分の程度で、すべてを解決することができる、自分の世界です。

願うものは、全部現れろと言えば即座に現れるのです。しかしながら、自分のために現れろと、いくら死ぬと大声で大騒ぎしてもだめなのです。これを知るべきです。反対に、自分が神様を愛して、世界を愛して、天国の王子の立場で王に侍る中で、すべてが必要だから現れろと言うようになれば、即座です。瞬く間に持ってみることができなかったものを…。想像が及ぶものは、皆可能な世界が霊界だということを知るべきです。分かりますか?

千万人でもいくらでもバンケットを開くことができるのです。問題がありません。ただ馬に乗りたければ、馬に乗り、飛行機に乗りたければ飛行機に乗り、何でも可能な世界です。想像が及ばない程度に可能な世界が霊界だということを知るべきです。先生が教えてあげた、愛の原則が該当する圏内では、皆可能なのです。自分のためにする中では、すべてが不可能だということを知るべきです。

このような観点で見るとき、数多くの聖人たちが生まれて死にましたが、レバレンド・ムーンは、その教えを実践したために、先生が行くことができる所に、誰も行けないでいます。その事実を私が知っているのです。霊界には、先生のように自由を裁量のあらん限り、思い通りに享受することができる能力を持った人が、歴史上今までいなかったと、私は知っているのです。

「その世界において、息子娘をつくってみよう!」というのが、トゥルーペアレンツの任務だということを知るべきです。分かりますか? ですから、この先生を、お母さん、お父さん、息子娘、霊界全部、尊敬せざるをえないという論理が成立するのです。

今、先生は責任者を選ぶのにおいて、そのような観点で見るのです。「あいつが今どのようにしているか?」という観点で見るのです。妻はどのように考えているか、子供はどのように考えているか、ここについて自分の一族はどのように考えているか、み旨の前の活動に対しては、どのように考えているか、先生が皆見当をつけているのです。絶対に皆さんの言葉を聞いて従うことができないという事実を知るべきです。何の話か分かりますか? 皆さんが先生の言葉に従うべきです。そうしてこそ、あの世、霊界に行くようになっているのです。霊界に行くのが嫌なら、やめろというのです。

さあ、ここに梯子があるのです、梯子が。訓練場です。家庭での愛は、氏族に行く梯子です。民族においての愛、国家においての愛は、世界に行く梯子になるのです。ここからは、もっと広がるのです。家庭を中心とした、この幅を中心とした梯子は、このように存在することができますが、ここは上がれないのです。これではここに上がれないというのです。広くなければなりません。(板書されて語られる)この家庭の梯子をもってしては、氏族なら氏族の立場に行けないというのです。大きくならなければなりません、これぐらいずつ。絶えず大きくならなければなりません。これぐらいずつ絶えず大きくならなければなりません。

ですから、最初から天宙を中心として、天国という最高の基準を中心として、訓練するようになれば、思い通りに大きくなるのです。思い通りに大きくなるのです。そこには距離も同じです。距離も同じだというのです。長さは違いますが、距離は同じです。これが何か? 家庭での基本的な伝統です。このような愛を持って行くようになれば、皆通じるようになっています。分かりますか、何の話か?

このように上がればいいのに、そのようになっていないのです。上がれないというのです。世界は広くならなければなりません。中心線をこのように引くようになれば、この中心線は、ここに該当するのです。ここの円形を見なさい。ここに該当する基準が、ここで識別されるのです。何の話か分かりますか?(板書されて語られる)

それで、家庭を中心として、地上で生きていく間に、この愛を体恤するようにしようとするのです。それで統一教会では、国境を越えて、アジア人たちが、あるいは、西洋人たちが、東洋に行かなければならないのです。東西南北を超越して、人類を愛する訓練をするのです。そのようになっているでしょう?

ここのこの距離に該当するものは何ですか? 隣近所の人たちが、皆さんを全部敬わなければなりません。それでこそここに家庭がかかって、帰ることができます。それで、今先生をサポート(support;支持する)するでしょう? どこの人たちが? 世界の人たちが。ただサポートするのではありません。そのような心情的因縁を立てておいたために、それが可能なのです。ここで今することは、あの世で合格し、あの世で生活するのにおいて、窒息しないためです。そのためにここで訓練するのであることを知るべきです。(一二九\一〇〇)

霊界に言って何をしますか? 愛の歌、愛で言葉を話すのです。霊界では、あそこで歌を、言い換えればあそこでオペラ式に言葉を話せば、自分がオペラ式に答えなければならないのです。踊りで言葉を話せば、踊りで答えなければなりません。(笑い)

ただ永遠に喜び、このように踊りを踊っても、永遠に飽きません。一カ所で踊りを踊れば、天国が全部踊り、一カ所で歌えば、全部歌うのです。そのときは、自分の愛する妻と踊るのです。他人の女と踊りを踊るなら「あ、うちの愛する妻を、おまえより百倍もっと愛するために、私がおまえと踊るのだ。」このように考えるのです。他人の女と手をつないで踊りを踊れば、それは全部自分が愛する対象を千倍万倍もと刺激的に愛するために、このような過程を経るのであるということです。

霊界に行けば、仕事が必要ですか? そこでも八時間働かなければなりませんか?(いいえ)。夜がありますか? 夜がないのです。いつも目を開けているのです。

いつもこのすべての器官が働いているのに、何をするのですか? 何をするのですか? どんなことをするのですか? 永遠に目を開けても。永遠に寝なくても喜ぶことができる、そのようなことは何か? 愛です。(笑い)そのような愛の理想だけしっかりと持てば、「おい、何か出てこい!」と言えば、きちっと出てくるのです。ここに一万名が集まれば、「一万名の食堂と食卓準備!」と言えば、きちっと準備されるのです。(笑い)

そこで愛を除いておいたら、何の話がありますか? どのように生きていくかというのです。(笑い)嫌いな心を持って、どのように暮らしますか? そこでは、愛を持って、本然の愛を中心として暮らすのです。

レバレンド・ムーンは、そのような世界を知るために、世の中にいくら難しいことがあっても、越えていくことができ、好きだったことも断つことがことができるのです。普通の人ができないことを、無慈悲に断つことができるのです。サッと断つのです。何の話か分かりますか? 我々は、それを基準として、測定していくのです。(一〇七\三三一)