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皆さん、あの世の霊界に行けばそうです。これが九〇度になれば、東西南北どこへ行っても、きちっ、きちっと合います。どの社会、数多くのクラブができているその社会、千態万象のその社会…。皆さん、ここに何名いますか? 約五百名集まったら、五百のタイプがあるのです。そうでしょう? 各自が皆違うでしょう? 似ているグループに全部集まります。それは、コンピューター以上に分析ができています。スーッと行くようになれば、すでにスーッと通り過ぎるようになれば、自分の角度が分かります。一週間以内に、すべての背後まで、あの秘密の世界の倉庫のどん底までのぞき見ます。言語が必要ありません。心で言おうとするのを感じるのです。分かりますか? コンピューターのおじいさんのような世界なのです。
その次に、その世界は、どのようになっているかと言えばですね、元素を飲みます。水というと、水の元素を飲みます。元素のようなものが分かりますか? そうして、思う存分飲んで、手振りさえすれば、元素に帰ります。ごみ箱がありません。
それゆえ、愛以上に和した神様の前に、相対になることができる人は、考えるすべてを即座に実現化することができる世界です。何億千万名も、瞬く間にバンケット(banquet)の準備をすることができる世界です。自分が服を豪華絢爛にして、愛の対象として神様を一度楽しくしてさしあげるというときは、豪華絢爛になります。これこれこうして、想像することができる以上のものを想像しても、それが可能な世界です。
そのような世界が分かる人は、地上で生きる楽しみがありません、我々のような人は。それゆえ、監獄にぶち込んでも、それが皆問題ではありません。そのような、しばらくの間となる世の中で暮らすのは、永遠の世界で息を一息つかないのと同様です。(二一一\二四四)
霊界に行けば「フー」こように飛んでいくこともできますか、飛んでいきませんか?「フウウー」っと飛びますが、飛ぶのは見えません、あまりにも速くて。(笑い)真の愛は最高のスピードを持っているために、広大な二二〇億光年にもなるこの宇宙も、真の愛を持った神様は、ピョンピョン一歩で飛び越えて、他の所でもいっぺんに活動できるのです。皆さんもすべて同じです。霊界に行って、いくら大きい、何百倍大きい宇宙体があっても、そこは自分自身の活動舞台になりうるのです。
霊界に行けば、夢の鉱山がいくらでもたくさんあります。金、銀、宝石がいくらでもあります。花も皆好きな人が近づけば、愛する人が近づく場合には、寝ていた花も突然「ぱっくり」と口を開け、目を開けて歓迎するのです。ちょっと待てと言ったのに、そのまま行ってしまえば「ああ!」と言ってしおれてしまうのです。分かりますか?(二一三\二七七)
皆さん、一度考えてみなさい。霊界に行けば、うらやましいことはありません。皆さんのその愛の化身体をダイアモンドに比較しますか、何か黄金の塊に比較しますか、真珠に比較しますか? 宝石が問題ではありません。もっとぴかぴか光るのです。愛と化した化身体は、もっと美しいのです。
ダイアモンドに愛のダイアモンドがありますか? 愛がありますか?(いいえ)。生命のダイアモンドがありますか?(いいえ)。しかし、我々は、ダイアモンドも感動させうる、すべてに影響を及ぼすことができる価値的存在なのです。貴い愛のダイアモンドなのです。貴い生命のダイアモンドなのです。それが自分なのです。ですから、自分がどれほど素敵ですか?(笑い、拍手)
それゆえ、霊界がそうです。自分がどこかに行くというときは、すでに行くのです。あの大宇宙が自分の活動体になると考えてみなさい。愛が先立たなければなりません。「ああ、会いたい。ああ、会いたい」そう言うべきです、自分の相手のように、自分の愛する人のように。会いたければサーッと行くのです。
あの世で芸術家に会うようになるなら、自分が芸術的なすべての素質を瞬間的に啓発して、ついていくのです。万事が可能な世界です。ですから、あの世に行くようになれば、歌うところでは歌い、踊るのです。全部喜んで、体と心が和動して踊りを踊り、歌うのです。どれほど美しいでしょう。
神様が絵を描くに、もいちばん一等ではないですか? そうでしょう? 神様が、傑作品の絵を持ってきて張り付けて眺めますか、傑作に行動するこのような創造物を眺めますか? どちらが好きでしょう?(創造物です)。傑作品は必要ないでしょう?
そして、その世界は、愛の心に酔う、このような最高の立場であるために、老いません。老けないのです。うちのお母さんも老けましたが、私が見るにいちばん良いときの姿です、いつも。
皆さん、いつもかんかんと晴れた日だけあったら、どれほど退屈でしょう。そこに霧もかかって、月の暈もかかって、こうして月も見えずに…。これがどれほど芸術的でしょう。考えてみなさい。一つの美術世界です。芸術の世界です。
地上世界でいつも晴なら晴れ、雲がかかるならかかり、ありとあらゆる変化無双の気候を見るとき、それが芸術的なのです。その環境で、愛することを感じれば、あの霊界の晴れた世界に行って、自分が雲がかかるようにしたければ、雲がかかるようにでき、霧がかかるようにしたければ、霧がかかるようにできる、愛でそのすべてを、多様な感応圏を作ることができる特性を持った、そのような人間になることができるのです。ですから、すべての霊界が関心を持つのです。「ああ、その人の所に行ってこそ面白い」と言うのです。
例えば、雨が降りしきるのに、傘もささずに行きながら、一人で喜んで「ああ、私は幸せだ。すべての万物は、私に従え!」と言いながら歌っていくなら、それはどれほど誇らしく素敵なことでしょう。雨を蹴飛ばしながら「おまえ、私が好きだろう? 私が好きだろう?」このようになるとき。(笑い)
世の中をそのように見るときに、不幸なものがないですね。このようなすべての複雑で難しいようなことも、皆自分に永遠の世界に、より貴く価値のあるものを運搬させるための、天地調和の道理ですね。「アーメン!」と言うのですよ。(二〇一\一〇一)