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神様は、天地を創造された方であり、今日この世の存在の起源になる、最も母体であられる方です。その方は、存在価値の起源です。その方がおられることで、今日この現象世界が始まったのです。
そのような絶対的な方は、ある時代に変化があったといって、変わる方ではありません。絶対的なものは、変わるものがありません。また、時間や空間に制限を受けることもありません。すべての制限を超越した立場に立って、すべての制限を主管される方です。そのような方が誰でしょう? 神様だというばかりではありません。
その方は「父」です。皆さんは「天のお父様」と呼ぶべきです。神様を何と呼ぶべきですって?(お父様です)。その父は、皆さんを生んでくれた父です。人間が堕落をしたので、再び産むという言葉が必要なのであって、その方は本来皆さんを産んだ父です。肉身の父は、皆さんの橋渡しを頼んだ父です。その父は、霊界に行けば、父というのではなく、お兄さんと呼ぶようになっているのです。(笑い)母も、お母さんと呼ぶようになっていないのです。
父母の根を持った人たちが、神様を何と呼びますか? 全部がキリスト教で呼ぶように、神様を父と呼びます。一つの家の中で、おじいさんも神様を父と呼び、お父さんも神様を父を呼びます。孫もやはり神様を父と呼びます。家の中の家族すべてが、神様を父と呼びます。
このように、神様は人間すべてに父になられる方です。それゆえ、神様は人間に父となられ、人間は互いに兄弟になるのです。先生はときどき、本当にそのようになるなら、霊界に行けば実に面白いだろうという考えがします。
人間は互いに兄弟だと言ったので、霊界でいちばん近い兄弟が誰でしょうか? 霊界でいちばん近い兄弟は、横的な兄弟ではありません。この世で父子の関係と兄弟の関係のうち、どの関係がもっと近いですか? 兄弟の関係より父子の関係がもっと近いから、霊界に行っても自分の父がいちばん近く、次はおじいさん、その次は、おじいさんのおじいさん、またその上のおじいさんになるでしょう。そのように上がっていけば、最後のおじいさんが誰でしょうか? その方がまさに神様です。
それゆえ、皆さんが世の中に友達がいないと寂しがることなく、一人で暮らして死んだといって悲しがることもありません。霊界に行けば、上を見ても横を見ても、近い兄弟が無尽蔵にいます。しかし、兄弟がそのままになるのではありません。神様に父として侍ることができる特権を備えてこそ、このすべての方たちと兄弟になることができるのです。
父を兄にして、おじいさんを兄にしたとして、気分が悪いことがあるでしょうか? 気分がいいですか、悪いですか? ある考えでは気分が悪いでしょう? 世の中では父と呼んだのに、霊界に来たといって、お兄さんと呼ぶとは、お父さんがどれほど気分が悪いでしょうか? しかしながら、そのように呼ばなければなりません。
なぜそうであるべきか? それは位置でだけ本家の息子になるためです。そうであるなら、本家の息子は、一人しかいないのに、全部本家の息子になれば、どのようになるのかという思いがするでしょうが、霊界では全部本家の息子になることができます。神様を中心とすれば、全部でも本家の子孫になることができるのです。世の中でも、金持ちの主人が死ねば、その財産を子供に相続してやります。そのときに、本家の孫になる長男に財産を半分やって、それ以外の息子たちは、残りをもらうのが通常の礼法となっています。
しかしながら、霊界では、そうではありません。霊界にいる霊人たちは、全部本家の子孫にならなければならないために、神様は持っておられるすべての財産を分けてやる必要がありません。それゆえ、兄弟どうしが一つになれば、お兄さんのものになると同時に自分のものになるのです。
それゆえ、兄弟どうしが一つになるのが問題です。皆さんが先祖の代数を計算してみれば、代数は互いに差が出るでしょう。ところが、本家の先祖たちが完全に一つにさえなる場合には、それ以後の後孫たちは、宇宙を相続するのです。言い換えれば、その本家の子孫を中心として、天上世界を治めるということです。(二一\二四九)
さあ、あの世はおばあさん、おじいさんが、しわくちゃのおばあさん、おじいさんが、皆さんよりもっとかわいいのです。もっと美しいのです。愛があれば、そのような世界にとどまることができるのです。そこは統一された世界であり、とても美しい世界です。それで、おばあさん、おじいさんに会って、昔のおじいさん、おばあさんのように考えて行動することができますか? 後ろに行くでしょうか? 美しいおじいさん、おばあさんを見るとき、どれほどいいか! さあ、では、そのときに、見るべきものが…。孫娘が来て、おばあさん、おじいさんに会おうと叫んでこうするのが、霊界の見ものなのです。
それで、おじいさんが好きなら、そのおじいさん以上のおじいさんは誰ですか? 自分の先祖のおじいさんが誰ですか? いちばん最初のおじいさんが誰かといえば、神様です。「神様、ああ、嬉しい!」と言えば、神様が「ウェルカム(Welcome)!」と言うのです。叫びながら「はははは!」と言いながら、神様が「そう、そうだ!」と言うのです。(拍手)
どうですか? 皆さん、初めてそれをしてみますか、してみませんか?(してみます)。その次に、自分の妻をおぶってみなさい。おばあさん、おじいさんをそのようにおぶおうとするので、夫婦どうしそれを訓練しろというのです。おばあさん、おじいさん、お母さん、お父さんを楽におぶうべきであって、「ああ、嫌だ!」と言っていいですか? 楽におぶおうとするので、夫婦どうしおぶってあげるための訓練をしろというのです。(笑い)ああ、それは事実なのです。これは訓練コースなのです。夫婦どうしやって、その次にお母さん、お父さんをおぶってあげれば、お母さん、お父さんが「ああ、いい!」と言うのです。お母さん、お父さんを楽にしてあげなければなりません。
おじいさん、おばあさんになれば、だんだん体が固くそのようになるために、よくおぶってあげなければならないのです。「ああ、いい!」これでこそ立派なのではないですか? 自分の妻もおぶえなかった者たちが、お母さん、お父さん、おばあさん、おじいさんを楽におぶってあげることができますか?(二一六\一八〇)
霊界に行って見るようになれば、男女が一つの大きな人のように見えるのです。人々は、何か? 皆さんは、全部一つの細胞のようなものになります。全宇宙が全部男女のように見えます。そのように見えるというのです。それが合わさったのです。このように歩けば、宇宙が歩くのです。その間に入った人たちは、神様の細胞と同様です。一つの体になっているのです。(二〇七\九八)
さあ、霊界に行けばですね、霊界がどれほど広いと思いますか? 何百里、何千万里から、瞬く間に来るのです。スッと会うようになれば、額を見れば分かるのです。どこから来たか、見てから、頭の中で…。これが何、通じないって、これが。何百年前の人でも、会うようになれば、愛の人格基準が高ければ、相手が先に頭を下げるのです。何を持って感動するかというと、愛です。
愛でどれほど人類を愛し、神様が愛を中心として創ってくれた被造物に対するとき、神様のようにどのように愛すかという、それが全部測定基準です。いっぺんに分かります。いっぺんに分かるのです。コンピューター以上です。嫁に行った女たちが、自分の夫がどれほど愛するかということについて誇るでしょう? あの世には、神様の愛を中心として、神様の愛をどれほど受けた人かということが誇りです。本然の真の愛、これが高い級数の愛なのです。これから級数が決定されるのです。分かりますか?(二一六\一七一)