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皆さんが、今朝ハンバーガーやパンを食べたといって、明日の朝は食べなくてもいいですか?(笑い)一〇回だけ食べてやめますか? 皆さんの生命が死ぬまで、「ああ、ご飯! ああ、パン! ああ、ハンバーガー!」と言いながら死んでいくのです。
それを毎朝食べるからといって疲れますか、日毎に待つようになりますか?(待つようになります)。同様です。毎日のように神様のみ言を食べなければなりません、あの世に行っても永遠に。ですから、ここで訓練をしなければなりません。あの世に行っても、「神様がどんなみ言を語られるか? あのみ言はどんな意味か?」というのが願いです。違いますか?
見てみなさい。あの世にパンの工場がありますか、ないですか? コカコーラやジュースを作る工場がありますか、ないですか?(ありません)。ないとは、なぜないのですか? 分からないでしょう!(笑い)そこに自動車を作る工場がありますか、ないですか? あの世に行って、「私は良い車に乗って回る」と言いながら、こうして回りますか? ここでは、何かベンツに乗って回り、何がどうだこうだと誇るといいますがね、そこではそれが皆必要ありません。
では、あの世に行って何をするのか? 食べるでしょうか、食べないでしょうか? 食べればいいですか、食べなければいいですか?(食べればいいです)。(笑い)それで、食べるのに何を中心として食べるか? 愛を中心として食べるようになっているために、愛を持てなかった人は、行って食べようとしても、口が開きません。それがきまりです。
自分を愛する心だけあり、全体を愛する心が中心になっていなければ、口が開きません。箸で食べるものをつまんで口に持っていこうとしても、箸が他の所に行くのです。それを一度やって、二度やって、三度やれば「ああ!」と言いながらこうして…。それは、どれほどあきれますか! その世界は、真の愛のコンセプト持ってこそ、すべてが可能な世界であって、真の愛のコンセプトを持たなければ、すべてが不可能な世界です。
あの世界では、誰でも想像だけでも「私は、ダイアモンドの車が必要だ」と言えば、それがサッと現れるのです。それに乗らなくても、一秒間に数十億万里、数十億光年の距離を経由することができるのです。
車が何、必要ですか? 愛する心、真の愛の心だけがあればいいのです。「私は、何億万年前のこのようなタイプの美人を見たい」と言うとき、そこに百パーセントそのまま一致する人がいないとしても、百パーセントの形を持って現れるのです。すべてが想像で可能な所です。真の愛を中心としては。それが主流のコンセプトです。そのコンセプトがなければ、何もできません。ですから、自分個人を中心として生きた人は、どのようになりますか、どのように? このように行かなければならないのに、だめなのです。
レバレンド・ムーンが教えることは、心情の潮流です。天国の神様の宝座と神様の心情まで経て、万国が通じることができ、全体と関係を結ぶことができる心情の潮流を言うのです。
霊界に行ってですね、その家に暮らす人が、級が自分より低いというときは、良い家にいれば、その良い家を自分の家にすることができます。訪ねて入っていくようになれば、主人はすでにサッと分かるのです。額をサッと見れば、顔をサッと見れば分かるのです。見て自分より高い人なら、自分の居間に案内するのです。「いらっしゃいませ」と言って、案内するのです。バスの案内をするようにです。
神様の息子娘になるようになれば、その膨大な宇宙が、全部自分のものになるのです。皆さん、霊界に行けば、先生について回りたいでしょう?(はい)。ついて回れません。先生が行くのに、皆さんはついて行けません。皆さんは心情の門が狭いです。真の愛は、大きい門でも、小さい門でも自由に行くことができます。真の愛でなければそれができません。
この立場は、全体を代表した立場です。それゆえ、どこでも入ることができ、どこでも出ることができます。こういう先生は、空想家ですか? 空想家の反対の言葉が何ですか?(実際です)。見ましたか? 先生が鼻がこのようになって、目が小さくできているので、嘘をよく言うことができる詐欺性が多いではないですか?(笑い)皆さんが詐欺されているか、誰が分かりますか? そうでないということを、本心はよく知っています。本心は、何何何! 言葉だけそうでしょう、何。
皆さんの心が「エイー」と言いますか、「ああー」と言いますか? 心がこうして東西南北に回りながら、こうしてもいいし、横たわって転がってもいいと言いますか? 先生が言ったコンセプトを夜に考えてもよく、昼に考えてもよく、どこに行って考えてもいいと言いますか?(はい)。そういうときは、それは真です。
しかしながら、皆さんの心の三分の一でも「ああああ…」というそのようなことがあれば、三分の一が嘘です。それで、心が百パーセント歓迎しますか? 私が嘘を言っても、百パーセント神様が言った真の言葉のように信じれば、神様は創造できる能力があるために、今でも創造して、皆さんの思いを遂げてくれるであろうということも言えるのです。そのようになれば、先生よりもっと偉大な皆さんになるのです。それがどういうことか分かりますか?(はい)。それで、信じなさい。百パーセント信じて…。(笑い)(二〇七\九四)
外の世の中の人たちは、我々を知らないために、我々の活動を理解できませんが、私はすでにそれを準備しているのです。アメリカもできず、ソ連もできず、中国もできません。それゆえ、私について来いというのです。そのような準備をしているのを、アメリカも知らず、ソ連も知らず、中国も知りません。それゆえ、いくら大きい国だといっても、いくら鼻が高いふりをしているといっても、それは崩れるのです。何の話か分かりますか?(はい)。そのようですか?(はい)。
なぜそうであるべきか? 霊界がそうであるためです、霊界が。永遠な我々の故郷の地がそうです。霊界が我々の故郷の地です。本然の故郷の地です。この地は、本然の体の故郷の地であり、霊界は、本然の心の故郷の地であるのです。分かりますか?(はい)。この次に行く所が、心の世界、霊界です。それゆえ、ここから未来のそこに合わせて訓練をしてこそ、そこに行っても支障がありません。
アメリカ人たちは、ハンバーガーを食べなければならず、チーズを食べなければならないでしょう? 韓国人たちは、キムチを食べて、唐辛子味噌を食べなければなりません。霊界にもハンバーガーがあり、キムチがあれば分かりませんが…。ですから、ここでそこに拍子を合わせるようにるることによって、あの世に行って苦痛がないのです。夜も昼も踊りを踊るのです、「ああ、嬉しい」と言いながら。
この世界の七、八〇年は、永遠の世界に比べれば一秒にもならないのです。それで、この一秒にもならないこの世界を中心とした生活方式に従うでしょう? 永遠の世界に合うように歩調を合わせなければならないでしょう。
それで、我々統一教会の信者たちを、市場の王者に全部訓練しようと思います。全部市場大学(Market University)の卒業生にするというのが、先生の考えです。そうすれば、その人は重要な責任者になるのです。そうなるでしょうか、そうならないでしょうか?(そうなるようです)。それで、先生の思想が、霊界と肉界を一つにすることができるようですか、できないようですか?(できるようです)。(二〇七\七二)
皆さん、霊界に行けばご飯を食べるでしょうか、食べないでしょうか? そのときは、口を溶接して継ぎをしなければなりませんね。舌を皆抜いてです。どうしますか? 歯を抜くべきですか、そのまま置くべきですか?(そのま置くべきです)。
なぜそのまま起きますか? ご飯も食べないのに、歯があれば何をしますか? そこも皆あります。霊界に行けば、小便をしますか、しませんか?(笑い)行ってみなさい、この次に。私は、小便をするというのに、しないという人は行ってみなさい、小便をするかしないか。
では、小便よりもっと大きいものをしますか、しませんか?(笑い)皆します。皆しますが、即座に元素に帰ります。元素が分かりますか? 宇宙の根本の元素が一〇七個といいますが、絶えず増えますね。その元素に帰ります。
それゆえ、掃除する必要がありません。愛の心を持って手振りをするようになれば、きれいに本故郷に帰るのです。その次に愛の心で何か出てこい、何か出てこい、何か出てこいと言えば、ずーっと出てきます。愛の心ですれば、すべての出動が可能です。
ここに歓迎客たちがいないから、千万人のこのようなタイプの歓迎客として、西洋人、アメリカ人、ドイツ人、何人、何人、百数カ国から集まれと言えば、ずらずらずらずら出てくるのです。
こうして、各国の文化祝祭をしよう、舞踏会をしようと言って踊りを踊るようになれば、各国の傑作の踊りを百パーセント合格者として踊りを踊るのです。その舞踏場を眺めていて、気が抜けて、自分が座っているのか、立っているのか、横たわっているのか分からないように見ることができ、うっとりと酔ってしまうことができる世界が、その世界です。
そこに行きたいですか、行きたくないですか?(行きたいです)。文総裁が嘘を言うかもしれません。嘘でも神様の言葉のように信じるようになれば、神様は創造の能力があるために、彼が願う理想のものを作ってくれうる主体であることを知るべきです。悪魔が「おい、これは、神様がこのように言った」と言うとき、悪魔が言う理想のものまで信じていって、行動するようになれば、神様は創造してなしてくれうる道が、いくらでもあるのです。(アーメン!)(二一二\三〇)
神様が創造したこの巨大な宇宙! そこには、自動車もなく、食べ物もありません。我々は霊界でまるで創造主であられる神様のように、すべての種類もものを真の愛の概念を中心として、創出しあげることができるように、愛を中心として本来の力を発揮して、すべてを作ることができるのです。
自分が愛を中心として、涙のようなもの、このようなもの、あのようなものなどを指摘すれば、実際物が完全に姿を現すことができるのです。「ある工具現れよ!」と言えば、すぐにその工具が生じます。それがどれほど素晴らしいですか? また、晩餐会場に、数十、数百万名が参席したとき、「このような食べ物を準備しなければ」と願いさえすれば、食事が問題なく出てくるのです。金色の正装を願えば、即時にそのような正装が出てくるのです。どれほど、素敵で素晴らしいでしょう! それは実にいい!(笑い)舌が出てきますね。(笑い)
それに向かって伸びて、「おお、父よ!」、それに向かって差し出して、「おい! 減らないのだなあ!」そこで舌が何をしますか?(笑い)真の愛の味を見て、もっと上がって「ああ、天国の味!」そういう度に、「私はジャンプをして飛び上がりたい。眠りから覚めるな!
私はそれがもっといい。私はそれがもっといい! それで、やめれば十分だ。愛の同伴者に会いたい。私の奥さんとともに出ていこう!」そう言うのです。自動的に出る愛を中心とした王権の立場に立っているのに、そこはすべての定着地がこのようであり、真の愛の声を聞くことができ、まるで神様の同伴者のように、その瞬間すべてが美しくなり、見るにもあまりにも良く、感じるにもあまりにも良い現象が起こるのです。眠る時間もあまりにも良く。霊界で目を開けるのも実に良いのです。
霊界では、眠りません。分かりますか? 霊界は眠りがないために、真夜中にも自分の体を通過してすべての部分で踊りを踊ることができるのです。(笑い)それは、まるで自分のメロディー・パートナーのようであり、それはすべての声を出すことができる人なのです。(笑い)
皆さんがそのような声を聞くことができるようですか? いいえ! 皆さんが聞いて喜んで踊るというそれは、騒音です。(笑い)霊的に自分がそうするのは、永遠に楽しみが満ちるようにするのです。自分の霊体が霊界にあるとき、愛を中心として自分を訪問するようにすれば、真の愛を現実的に習うことができるようになるのです。真の愛が誰かに行き、今回は中心に立って現実的肉体に生まれ変わるのです。
そこから愛の霊界がつながるのです。空気も愛の空気、食べるための愛の食べ物、着るための愛の衣服を真の御父母様、すなわち本当の父母が真の愛を中心として、そのようなものを下さるのです。(二一七\二九三)
見なさい。ここでは、ご飯を食べて暮らすのが心配でしょう? ですから、自動車工場、肥料工場、服の工場、食べ物を作る工場など、工場が必要でしょう? 家でも何か食べ物のために大騒ぎでしょう? 霊界に行くようになれば、それが皆ありません。自動車が必要なく、飛行機が必要ありません。瞬く間に億万里でも行くことができるのです。太陽の光よりもっと速いのが、この霊力です、霊力。神様が創った太陽の光だけでも一秒間に三億メートルを走るのにです。電気もそうではないですか? 光の速度と同じなのです。
ところで、神様の本然的な愛の力、生命の力というものは、それより何千倍もっと速いというのです。誰かに会いたいと言えば、何億万里、何百万里離れているとしても、すぐに現れます。広い天国に行っていますが、自分が会いたい人、自分が愛した人に会いたいと、サッと情緒を備えて言うようになれば、その場で相手が現れるのです。
それがどれほどいいですか? そうではないですか? すでに、スッと現れれば、自分がある級にいるということが分かります。「私はある級だ」と分かります。自分が高いか低いか分かります。いくら親しい友達だといっても、自分が天の前に愛の級が高ければ、すでに来るなり挨拶するのです。いくら母親でも、それよりもっと先祖でも、挨拶するのです。そのような世界なのです。
それゆえ、今から何百万年前、八百万年前、一千万年前に生きた人も来て、挨拶するのです。聖書に人類歴史が、何、六千年だって? 狂人のような話です。何千年前と今の時が、どれほど変わったかというのです。そのとき、人たちは今暮らす人より、心では天をよく感じることができたのです。
ですが、文化生活の面では、反対なのです。文化生活とともに、霊的世界の啓発がともになって出てくるのです。そうではないですか? 知識に通じるようになれば、知識の測度によって理解し、すべてを分析するのにおいて、鋭敏なのです。それゆえ、霊感を摂取することができる基盤が、もっと拡大されていくのです。それゆえ、これからは、自然にそのような知識が多く、世界の流れを心配する人たちには、すでに霊界から教えてくれるのです。霊波を通じて、どのようになるのかが分かるのです。最高の立場に行くようになれば、終わりは一つしかないでしょう? 同様なのです。(二〇六\一三八)
皆さん、このような訓練も一度してみなさい。外で会う人の人格を分析して、似ている人と比較してみると、すぐに分かるのです。「ああ、あの人は、このような性格だから、このように生きるだろう」と言って、確認してみれば、七〇パーセントは当たるのです。ですから、新しい人に会う度に、そのようにして比較して、「あなたの性格はこのようなタイプでしょう?」と言えば、「どうして分かりますか?」と言うのです。そのように一度やって、二度やってとすれば、うまくできるようになります。
ここで、皆さんがこのような多くの人たちの性格を分析する訓練をして。霊界に行くようになれば、どこへ行っても、多くの人たちをコントロールすることができるようになります。会う人ごとに理解することができます。すぐに見分けるのです、高いのか低いのかをです。
自分より高ければ「グッド・モーニング・サー(good morning sir)!」「グッド・モーニング!」「うーん!」皆さんがそのように大きくなるのです。すべてを比較することができます。それで結論を下して、センターの道に従っていくのです。村に行けば、村の人たちが、「いらっしゃいませ。うちの家に入ってください」と言うのです。そこには食べ物の心配が必要なく、着る心配が必要ありません。何ら問題がありません。そこには、工場が必要ありません。分かりますか? 車が必要なく、飛行機も必要ありません。何も必要ありません。
そこには、この世のものは何も必要ありません。そこでは考えだけしても、数千マイルを動くことができます。愛の心を中心として、「私はあれが欲しい」と言えば、霊的に送られるのです。
「このような人に会いたい」と言うようになれば、すぐに前に現れるのです。「あなたがこうこうこういう人ですか。」「はい。数百、数千年前に、私は地上のある所で暮らしました。私に会ってご覧になりたいですか? 私に何か聞いてみたいことがありますか?」「はい、あります。私はそのように教えました。私とあなたがどれほど違うでしょう! 分かりますか?」と言いながら、話をスラスラと分かち合うことができます。時間がかかりません。始まるなりすぐに分かるようになるのです。
また、この世に暮らすのは、どれほど不便でしょう! 車が必要ありません。愛の感情がすべてを作ることができます。観念を持って、すべてを作ることができます。真の愛の観念を中心として、なんでも皆作ることができます。(二一七\一三一)