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2)霊界は即時的感知可能圏

霊界がそうです、霊界が。サッと現れればいっぺんにです。挨拶をしなくても、何億年前に、何千万年前に、何百万年前に生きていた、なにがしとかいう、そのようなのが来るのです。霊界がそうなのです。そのように早い世界です。霊界の話を少ししましょうか?(はい)。してあげると、皆さんは全部精神病者になろうとするのです。それをわきまえて出てこれません。一度入ったら、わきまえて出てこれないのです。

先生も難しい問題について、三角地帯に行って、「この点だ」というとき、それがその点なのか、違うのか、知って指さなければならないときがあるのです。そのようなとき、どのようにそれを指すか? 指が分かります、指が。指が分かります。そのときは、自分が自分ではありません。すでに体が知っています。方向が分かります、方向が。それゆえ、いつでも焦点を合わせて、正しい心を持って歩かなければならないのです。

人に接するとき、その人を利用しようと思わず、利益を見ようと思うなというのです。そうしてはいけません。本性が一度ぺちゃんこになると、修正するのに半年から三年までかかるのです。それで、行動が恐ろしいのです。そのようになれば、地獄の中のそのような地獄はないのです。それを分かる人たちは、最初から考えもしません。(二〇四\三〇四)

我々の根源には、まだサタンの血がうごめいています。サタンの愛が、自分の体に根を下ろしました。その愛によって、自分の生命が血筋を通して、神経を通して、つづられています。そこに四百兆にもなる細胞でできた「私」という体が生じたのです。

ここに、そのサタンの血とともに生存権を維持するこの悲惨なありさまを自ら嘆き、これを破壊させるための行動を一生の間、何百倍をしても余るという覚悟と決意を経ていかなければいけません。

それなのに、この体を抱き締めて愛しますか? お腹が空いたと、狂った犬のように口を引きずって歩きますか? このような体を中心として、情欲を満たすために、自分の相手を訪ねていきますか? 子女の日を迎えて、本当に自分が神様の娘になったか、本当に神様の息子になったかという問題を深刻に考えてみなさい。それを天下が公認するか、悪魔が公認するかというのです。この野郎、地獄へ行く体を持って…。

霊界に入るようになれば、挨拶が必要ありません。サッと会うようになれば分かります。すでに分かります。何千年前の人であるということが分かります。何百年前の人だということが分かります。今日聖書の歴史が六千年だといいますが、分からないことを言うなというのです。彼らは霊界を知らない人たちです。

聖書の歴史は、何百万年、何千万年です。その時代の我々の先祖を呼べば、いっぺんに現れるのです。サッと見れば、話さなくてもすでに分かるようになっています。自分のすべてが現れるようになっています。額が広くなければなりません。額が広ければ福を受けるのです。いっぺんに分かるようになっています、高めてあげるべき人なのか、下げてもいい人なのか。それゆえ、挨拶が必要ありません。自動的に秩序が維持されるのです。

すべての秩序は、何でなされるか? 愛でなされます。愛で位が決定されるのです、人間世界のように。それで、神様の息子娘にならなくては、天国に行くことができないのです。

天国に神様の心情のはしごがあれば、どのように上がっていきますか? ヘリコプターのようなものに乗って行ったり来たりすれば上がっていきますか、エレベーター式に直線で上がっていきますか? ヘリコプター式ですか? エレベーター式です。万年エレベーターです。垂直です。

神様の愛に接するためには、垂直線に入らなければなりません。聖書に「自分の心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」と言いました。それが何だと思いますか? すべての中心は、愛というものです。それで、あらゆる作用と意識する全体を合わせて、主なる神を愛することしかないというとき、そこからエレベーターに乗って垂直圏に上がっていくのです。そのような驚くべき世界を知らなければなりません。(二〇三\一四二)