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1)堕落で生じた霊界に対する無知
皆さん、堕落しなかったら、男女が今まで数千代が繰り広げられたとしても…。我々の体には、四百兆という細胞があります、四百兆。それゆえ、先祖たちは死んで霊界に行きましたが、我々の体の中で、一部分には先祖たちが愛を受けた細胞が伝授されているのです。
生命を中心としてつながった細胞が伝授されており、血がつながった細胞が伝授されて、生きて動くのであるというのです。生きて動くのです。死ななかったのです。
秋になって木の葉が落ち、新しい春が来れば、新芽が出てきて、夏になれば青い園になるのと同様に、我々人間も、自分の中にある数多くの先祖たちの、血縁的因縁を経て出てきたのです。今は、後孫的立場にいますが、自分自身の人生は、その先祖たちを代表して生きるのだということです。何を中心として? 先祖の真なる愛を中心として、先祖の生命力に従って、先祖の血筋を残すためなのです。
ですから、先祖を圧縮したのが、まさにおじいさん、おばあさんなのです。分かりますか?(はい)。天の前に我々の氏族の代表として、我々の家庭の代表としてつながった方が、おじいさん、おばあさんです。天の先祖を中心として、自分とともにつながった最終的存在が、我々のおじいさん、おばあさんです。
では、お母さん、お父さんは何か? おかあさん、おとうさんは、家庭の中心です。この世界のすべての家庭たちの母、父を代表しているのです。おじいさん、おばあさんが過去の時代なら、お母さん、お父さんは現在の時代です。お分かりですか? 息子娘は何か? 未来の永遠な神様の理想世界、天国と一体化されうる、天宙統一を完成させうる後孫として、我々の家庭の出発存在として抱いているのが息子娘です。ですから、過去の世界の代表者、現在五〇億人類の家庭の代表者、未来の後孫を代表しうる代表者を抱いて、一つの所に圧縮させて、結んでおいたのが家庭だったいうことです。お分かりですか?(はい)。
それで、堕落しなかった家庭は、そのような立場に立っているために、霊界と肉界に皆通じることができます。そのおじいさんのおじいさんが誰か?と言えば、会うことができるんのです。また、そのおじいさんのおじいさんが誰なのか、四代の先祖が誰なのか、五代の先祖、百代の先祖、千代の先祖、その次の先祖まで会うことができるのです。そして、「アダム・エバがどんな顔をしているか?」と考えれば、「こんな顔をしている!」と現れるのです。
「私の目もアダム・エバと似ているな。私の鼻も似ているな。私の口も似ているな」と言うのです。輪郭が似ているではないですか? 顔の種類が四種類のほかにもっとありますか? 目、鼻、耳、口の四種類でしょう。「ああ、手足も同じだな! 私のように目もパチパチするね! 似ている! ああ、あのように似ているな!」と言うのです。
では、我々の元の先祖まで、私が会うことができるのに、先祖を創った神様は会えないか? 神様も会うことができるのです。それはどういうことか分かりますか? ですから、その家庭というものは何かというと、見えない神様の愛の表現の場所です。お分かりですか? 愛を中心として、歴史時代に生まれて死んだすべての先祖たちは、その愛の統治をあの世で受けているのです。同じ愛です。分かりますか?(はい)。
地上世界が、父子の関係の愛を貴く考えるのと同様に、その愛を持って生きたなら、天上世界も神様を父母として侍り、息子娘のような立場で暮らすことになるのです。これが堕落しなかった家庭で暮らす生活と同様に、性格、性稟が似ているために、あらゆる方面で会うのです。(二一四\二六八)