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(霊界に対する質問に答えられる:一九六五・一〇・七 日本東京教会)
問:私は今まで霊界を信じなかったのですが。
それなら、人の半分の価値にしかなりません。三〇億の人類の中で、霊界を知らない人は八割です。信じる人たちも霊界があるか、神様がいらっしゃるか、はっきり分かりません。「牧師がそう言っているから」と言うのです。しかし、霊界はあります。
それを体験すれば飛んでしまうね。考えてみなさい。世の中の金持ちが、これから幸福の郷を造ろうとする。自分のすべての金を使っても造りたい気持ちがあるのと同じように、天地創造の天の神様が自分のお住まいになるところをいかに創ったであろうか。将来、先生が行って住むところを見たら、多分倒れちゃうな。
ある部分探してを凝視しても、千年眺めても飽きない美の世界です。想像もできません。ああ、何やら、世界一だといっても何でもない。その霊界の一角にもならない。そうなんですよ。だから、この地上が欲しいところではないのです。先生に言わせたら、この地上が先生の目的にかなわなくて帰りたいのです。(一五\一五四)
一般の人たちの大部分は、今も霊界を考えないでいます。生まれたからただ父母に仕えて、家庭に暮らす、このように生んだからこのように暮らす、一般の人たちが暮らすように、我々もそのように暮らしていくのである、そのように思って暮らします。
そのように暮らすすべての生活の中心が何かというと、肉身生活の日常生活を中心として、必要なもの、すなわちどのように食べて、どのように暮らすかということです。それゆえ、いちばん重要なことを衣食住ととらえるというのです。一般人たちはそうではないですか?
どのように暮らすかという問題、どのように食べるかという問題、どのようにつくろって暮らすかという問題、これが中心だというのです。そこは、もちろん人間関係において、人倫道徳があって向上する、互いが発展して、互いが良くありうる内容がありますが、その道徳規準が異なり、民族が異なり、国家が異なり、世界すべての文化背景の違いの差によって、道徳規準であるとか、社会制度が全部変わるのです。
このように見るようになるなら、今日、歴史上に生きている人間たちが行くべき本然の基準、本来の基準と、今日、我々が暮らしている生活の標準として立てていく人倫道徳が、いろいろな方向だというのです。これが一つに収拾されえていないのです。それが問題です。
本来、人間が生まれて、この世で生きて、本来の行くべき道、本然の世界に基づいて、我々が生まれて生きていくべき所がどこか? これが確実でないというのです。それゆえ、一般の人たちは、霊界があるのか、ないのか、神がいるのか、いないのか、分からないでいるのです。
しかし、我々統一教会の信徒たちは、霊界が確実にあるということを知っているのです。信じているのではなく、知っているのです。なぜ? どうして? どのようになって? 多くの体験を通じて、否定しようとしても否定することができない、歴史的事実、または、現実的事実が我々の生活の周辺に…。今日、統一教会がこれほど世界的な基盤を形成するまで、その背後、前後を調べてみるとき、多くの体験過程を経てきました。それゆえ、霊界がないと言うことができない立場にいる人たちが、統一教会の信徒たちだというのです。(一四〇\一二二)
では、我々統一教会の信徒たちは、どんな道を行くべきか? 神様が願う道に従っていかなければなりません。さっき言った、天意の道に従っていこうというのです。天意が何か? 天意には、個人が行くべき天意の道があり、家庭が行くべき天意の道があります。そして、社会が、国家が、世界が、霊界まで…。皆さんは霊界が分からないでしょう? その分野の専門家が、ここに立ったこの人です。霊界が分からないでしょう? 霊界は、間違いなくあるのです。(一二一\一四六)
さあ、もし霊界があるなら、神様がいて、霊界があるなら、どのようになるかというのです。ある人は、神様がいるとしても、我々と関係がないと思うかもしれませんが、それは考え違いをしたのです。「霊界があるとしても、私と関係がない」それはまるで、自分が家庭の一人として、国が必要なく、世界が必要ないと言うのと同じなのです。
それゆえ、もっと大きな神様がいて、もっと大きな霊界があるなら、もっと大きいものと自分は、関係を結ぶのを願うというのです。関係だけできているのではなく、関係して何をするのか? 一つにならなければならないのです。天の目的に向かって行くべきなのです。(一〇四\一一九)
神様を、この世で誰よりもよく知っている人が私です。いくら牧師でも…。アメリカの霊通人協会に、アーサー・フォードという有名な人がいますが、このような人も私が「入るから挨拶をしなさい。それであなた、霊界についてこれこれの事実が皆よく分かるでしょう?」と言うので、「そうです」と言うのです。それで、私が「このようなときはどうするか?」と言うと、「ああ、私は知りません」と言ったのです。一言でばったり倒れるのです。
今二〇世紀の末期に入ってきて、霊界が間違いなくある世の中なのに、これを知る科学者が何人になりますか? 尹博士、この頃霊界を信じるか?(はい)。統一教会に来るときは、信じなかっただろう?(はい)。それなのに、なぜ今信じる?(先生が教えてくださいました)。教えたのは私が教えたのか、自分が分かって信じたのだろう。体験して信じるのだろう。
張博士、なぜ笑う? この頃は、婿に行った新郎のように、顔がさっと美しくなったな。(笑い)気分がいいようだが?(はい)。私が北韓の電信柱を送れば行くか?(はい)。なぜ答がそうか? 顔のしわがこうなって。目が上がれば、こうやってもかんばしくないのに。(はいq小さくr)。これではだめだろう。それを誰が信じる? 国を生かすためには、そのようなこともしなければなりません。(一九四\二五二)