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ある人を恋しがる心情を持っていれば、その人に接することができないように、塀で妨げておいても、その塀を乗り越えることが起こります。
自分が口をつぐんでいても、そのようなことが起こります。霊界からその間隔を埋めてくれます。私が興南の監獄にいるときも、言葉で伝道しませんでした。無言で伝道しました。霊界が動員されて、協助してくれました。してくれなければ大変なことになるためです。
同様です。それゆえ、皆さんが地方に出ていっても、このようにしなければなりません。地方がどうですか? 先生は、一九六〇年代に名が知られた所は皆行ってみました。私は今、過去に裸足で三千里江山(韓国全土)を横断できなかったのが恨です。この郡あの郡全部を…。今そうするには、すべきことができないから、することができませんが、ということです。
私が郡主くらいになって、部落の家々ごとを回りながら、水を一杯ずつもらって飲みたい気持ちです。この部落に行けば、どんな家があるか、あの村に行けばどんな人が暮らしているか気掛かりではないですか? そうしなくては、指導者になれないのです。
今日、私が道を歩いていて、ある人に会うかと思ってみて、最初に会う人はどんな人か、二番目に会う人はどんな人か、三番目に会う人はどんな人かを考えて、「お父様、どんな人ですか、私はこのような人に会うのを願いますが、どんな人ですか」と祈らなければなりません。自分が考えて、自分が祈ったその基準とピッタリと合うなら気分がいいのです。このような体験をすることによって、皆さんの霊的触覚が発達するのです。
道に出ると、すでに今日はこのような人に会うだろうという感じがするのです。人の霊は、無限的に通じるのです。今日はこのような人に合うだろと思うのに、実際そのような人に対するようになれば「ああっ!」と言ってびっくりするのです。このように、自分の思いと霊界から教えてくれた霊感が、実際の事実とピッタリと一致するときが多いのです。このような体験を積んで、上がらなければなりません。何の話か分かりますか?(はい)。(三〇\一五〇)