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(質問に答えられる:一九七二・三・二六、ドイツ・エッセン教会)
問:イエス様は今も聖霊とともに働きますか? なぜ、聖霊は母の格に来なければなりませんか? イエス様は今まで聖霊とともに働いたのに、なぜ、聖霊は母の役割として働きますか?
今からは、イエス様、聖霊の時代ではなく、父母様の時代であるために、父母様が働くのです。皆さんの中で祈祷の中や、霊的黙示の中で、イエス様を見た人がいますか? 先生を見る人はたくさんいます。先生を見た人は、手を挙げてください。祈祷の中で、あるいは夢のお告げの中で、先生を見た人、手を挙げてください。大部分が先生を見るようになっています。皆さんは、それを育てていかなければならないのです。(五四\三〇三)
霊と肉は、本来真の愛を中心として一つになるようになっているのであって、偽りの愛を中心として一つになるようになっていません。それゆえ、真の愛の起源を探さずには、これが一つにならないのです。それが最も理論的なのです。その立場を皆さんが越えて、天が祝福してくれるその祝福を願って行かなければならないのです。
さあ、そのように一度してみますか?(はい)。そのようにすれば、皆見つかるのです。それができなければ、原理が嘘です。寂しい立場に行くほど、なぜ天が近くにおられるか? 世の中の愛を忘れ、天の愛の圏内に入るから、天が近くに来るという理論が成立するのです。
天が直接的に現れて、関係するのです。神様の直接主管圏内ということです。神様が現れても、皆さんは分からないために、先生が現れて身代わりになるのです。分かりますか? そのように直接主管を受ける圏内で生きなければならないのです。(九一\一八四)
皆さんは、先生とどんな因縁がありますか? 皆さん、祈祷の中で、あるいは夢の中で、先生をしょっちゅう見ますか? 毎日見なければならないのです。そのような人がいれば、手を挙げてみなさい。そのような人が百パーセントにならなければなりません。
世界の統一教会の信者は、そのような体験を皆しなければならないのです。霊界に対して知らなければならないのです。また、目を開けても、先生を皆見なければならないのです。皆さんもそうですか? そのような人もいるでしょう。それで、これは歴史以来世界に初めて起こることです。それは、前にもなく、後にもないことだということを知るべきなのです。
さあ、皆さん、そのことがだんだん弱くなりますか、だんだん強くなりますか? だんだん強くならなければならないのです。アダム・エバが堕落しなかったとき、神様に干渉を受けたのと同様に、皆さんの生活圏内を先生が干渉しながら、全部直してあげるのです。何の話か分かりますか?(はい)。
先生がしろということを、ただ先生が命令だけすれば、世界を征服したこの地上のどんな独裁者よりも、もっと嬉しい心を持って、浮かれて動けば、その世界に入るのです。先生がいちばん難しいこと、できないことを自分にさせたが、自分は先生よりもっと嬉しくしようと言えば、その世界にいっぺんに入るのです。自分の生命を捧げてその場を立ち上がれば、いっぺんに先生がコーチしてあげるのです。(九一\一七四)
我々統一教会の信者たちは、祈祷や夢のお告げの中で先生から指導を直接受けなければなりません。我々食口たちの中には、どこへ行っても、その立場で先生の指示を直接受ける人たちがたくさんいます。
イエス様のとき以上に実感のわくことがたくさん起こります。我々統一教会の信者たちは、先生に直接侍って暮らすのです。統一教会では、イエス様のときより以上のことが時々あるというのです。そのようなことがあるために、世界が統一教会と一つになることができるのです。
今日、この死亡圏を通り過ぎようとすれば、決死的な祈祷をしなければならないのです。祈祷をするのには、一瞬だけするのではありません。皆さんは、二四時間祈祷することができます。このような自由な時代に、そのような体験をできずに直接侍りながら暮らせない人は、かわいそうな人なのです。
祝福を受けた人は、本来そのような基準と経験があって、そのような内容に全部結びつかなければなりません。本来は、先生と霊的に接ぎ木して、一つになってこそ祝福対象者として祝福を受けることができるのです。(三一\三三一)
さあ、皆さんのお母さん、お父さん、先生が、皆さんと関係を結んでいる人たちが、霊的に、あるいは夢のお告げや祈祷の中で現れて、全部指導してくれますか? 統一教会では、夢の中で、祈祷の中で、幻想の中で現れて、教えてくれるのです。
皆さんが統一教会に入ってきて、何日も経たずにそのような役事を見ますが、それは何十年間の役事を犠牲にして、数多くの聖人たちの血と殉教の祭壇をつなげて、犠牲の代価を払って、初めてなったという、そのような価値を知るべきなのです。億千万の金をやっても買えない心情の価値、宝物であることを知るべきなのです。何の話か分かりますか?(はい)。(九一\一七七)
我々は、神様の心情を言います。神様の心情がどこにあるかというとき、祈祷の中で声を聞いてみれば、「先生の言葉をよく聞け。先生を悲しくしてはいけない。先生を嬉しくしてさしあげなさい」というのです。それしかないのです。そのように教えてくれるのです。そして、先生に会いたくて眠らず、そうしてみたら霊界が開いたというのです。いちばん早いのがそれなのです。霊界が開くのです。
先生がアメリカで何をするか、座って見るのです。そのようなことが起こるのです。これは漠然とした信仰の主体的対象を、現実的な実体的主体として、横的舞台で体恤することができる圏を形成したのです。このような事実は、宗教世界に偉大な革命を提示することであることを、皆さんは知るべきです。それゆえ、体恤がなくてはいけないのです。(七六\一五二)