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3)霊的体験も必要

皆さんは祈祷するかな、祈祷しますか?(はい)。涙を流して祈祷しますか、ただそのように祈祷しますか? どのように祈祷しますか?「私がこの顔ではそのまま帰れません。そのまま帰れません。死ぬことはあっても、帰れません。死ぬよりもっと悲惨です」そのような祈祷をして回らなければなりません。皆さんが祈祷しながら、霊的体験をたくさんすれば、復活するのです。

自分がそう思いながら、「ああ! 私がアメリカ人として生まれなかったのは、本当に幸いだ」と思うのです。今、アメリカに来て仕事をしながら感謝するのです。人の習慣が実に恐ろしいのです。ですから、皆さんもその場に行くには、苦労をしなければならないのです。苦労を通じなければ、行くべき道がないという結論を下すことができるのです。

皆さんが、考えに先だって、いつもそのような心情で立ち上がるようになれば、神様が役事するのです。皆さんが言葉を話して教えるすべての言葉の前に、神様の心情を感じるべきなのです。言葉の後に立つのではなく、言葉の前に神様の心情が先立たなければならないのです。それゆえ、いつも謙遜でなければならないのです。

ですから、自分が言うことができずに、後ろに行かなければならない、自分が言えずに。しかし、見れば神様の心情が前にあるのを感じるのです。それが何か? 自分を絶えず引いていくのです。そのような場に行けば、数多くの群衆が集まっても、皆教育することができるのです。

何だか分かりませんが、そこに何だか分からず、完全にコーチしてくれるのです。それでも自分が言う声だから、自分の耳にも聞こえるのです。自分が話す声を聞けば、不思議なのです。その境地に至れば、言いながらジェスチャーをしても実に自然なのです。すべてが自然なのです。どんな表情をしても、それが皆自然なのです。ぎこちなくないのです。そのような場で、そのような感じを感じながら働いてこそ、生命の運動が繰り広げられるということを、皆さんは知るべきです。それが分かりますか、何の話か?(九六\一六八)

霊的世界を体験するということは、四次元の世界に通じるということです。また、そうするときに、何千年前に生きて死んだ先知先烈たちも、今日の自分と因縁を結んで対話もすることができ、相談もすることができるのです。すなわち、今日、実際生活的な時間圏内で、自分が経験することができ、また肌で感じることができるのです。(四\二二五)