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昔、我々が麦飯もなく、食べられずに冷たい部屋で震えていた、そのような日が多かったのです。かえって、そのような日が神様の前に近かったことを感じなければなりません。そのときは、国を心配し、世界を心配しました。すべてが大きくなって、すべての基盤が拡大されるに従って、「私」という人を、無数の人が、どのようにすれば喜ぶのかを考えるのです。
それゆえ、私は人に会うのが好きではありません。会えば褒めて、何のかんの…。私はそういうことは望みません。知識が多くても、権勢があっても、お金を持ったとしても、そのようなものは皆流れていくのです。
死ぬとき、皆置いて行くのです。皆置いて行きます。持って行くべきものは、神様を愛し、自分が自分を愛し、本質的な人である自分を立てるために苦労し、自分と相対との夫婦の愛、家庭の愛を中心として、この愛を世界に拡大するために努力したのです。人類を愛し、神様を愛したことが、最後に残ってあの世の所有権決定の基準になるのです。
あの世は公平です。皆さんがいつ国を思いながら、夜を明かして苦労をしたみましたか? いつ世界の問題を身悶えしながら考えてみましたか? 人類の運命の分かれ道の線上に立って、生死の決定をすべき悲運の立場で、総責任を持ってひっくり返る戦いをしてみましたか? いくら見ても、、神様の前にはレバレンド・ムーンという人が、そのような責任を持ったのかと思います。(一二七\三八)
復帰の道には、値引きというものはありません。我々がこの夜に来るときは、一人で来ましたが、行くときは一人で行けないのです。多くの人たちを連れて行かなければなりません。
人間は、社会を離れて生きることができないのです。イエス様が、裏切った弟子たちを訪ねていった理由も、ここにあるのです。強盗一人だけを連れて行くしかなかったイエス様の悲しみを、我々は知るべきです。
このような事情を知る立場で、我々は自分を整備しなければなりません。(一四\一〇五)
皆さんが霊界に行けば、伝道した人の数によって、皆さんの霊界の所有権が決定されるということを知るべきです。それを知るべきなのです。自分が州の責任者だったという看板を持っていくのではありません。ただではだめだというのです。州の責任者なら、その州にいる人をテスティファイアー(testifire;証言者)にして天に連れていくための、そのような人を作るための募集兵です。募集要員です。(一二五\一七)