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9)霊界に行く前に残すべきこと

@ 愛の墓を残すべし

普遍的に人は歴史について、永生を中心として十年、百年だけでなく、千年、万年、億千万年を考えるようになるのです。人が死ねば、動物と同様ですが、それを残して何をしますか? この頃は、宗教を信じないで、神様を知らない人も「ああ、名誉を残さなければならない」と言いますが、その名誉を残して何をしますか? アメリカの愛国者になって、記念館に行っていても、アメリカが滅びるようになるときは、記念館が皆壊れるのにです。アメリカの国民だけが知るでしょう…。名前を残して何をするかというのです。ですから、滅びて繁栄する歴史時代に、いくら残ったとしても、それが良いというものも、悪く扱われるのです。

ですが、すべての主権者は、約百年も生きられずに皆死に、国も何百年、何千年も行かずに滅びますが、永遠に死にもしないし、滅びもしない方がいるならどうですか? そのような方がいるなら、名前、名誉を残したのを、その方の前に全部持っていって任せて、依託したいのです。皆さんはそのような考えをしてみませんでしたか?(一〇三\一六)

神様が創造したのが何ですか? 地上に生きている神様の息子娘を残すためのものが、神様の目的です。それゆえ、自分が霊界に、神様の前に行っても、地上に生きた神様の息子娘を残す立場になるときは、自分も神様と同じ立場に立つようになるのです。それが聖書のみ言に、うめよ、ふえよ、地に満ちよという意味ではないかというのです。皆さんは、何を残そうと思いますか? 皆さん、女たちと面白く暮らして、息子娘を産むことしか残るものがありません。(一四六\二二三)

自分の生涯に何をするのか? 愛の墓を残していこうというのです。これが結論なのです。愛の墓を残していこう!(笑い、拍手)愛の墓の中で暮らせば、恨がないのです。墓のような所で、いくらじっと暮らしても、愛の中で暮らせば恨がないのです。分かりますか? 我々が暮らしながら愛の墓を残していこう! そうすれば、人生は永遠について成功するのです。そのように皆さんが暮らして死ぬときは、神様が祝福してくれるだろうし、霊界では神様が息子娘を連れて歓迎に出てくるでしょう。そのときには、指輪をはめられなかった手なら、天国のダイヤモンドをはめてくれるだろうし、服を着れなかったら、天国の皇族たちが着る最高の服を着せてくれるでしょう。

自分の一生は、何を残すのですか? 愛の墓です。そのように知って、それを忘れないでください。さあ、一度そのように暮らしてみるという人、手を挙げてみなさい。皆挙げたな。神様の祝福が皆さんに共にあるでしょう。(九七\一六九)

A 霊界の所有権は伝道で決定

それで、これまで皆さんは統一教会に入ってきて、したことがなんですか? それは深刻な問題でしょう? 五〇を超えるまで、何年間統一教会で働いたか?(三三年になります)。三三年なら、一七歳で入ってきて、そのときから働いたという話ではないか?(成和学生のときから…)。そのときから、何名伝道した? 一年に何人した?(年数どおりにそのように申し上げられませんが、祝福家庭八〇余家庭になります)。八〇余家庭が皆いるか?(おります)。八〇余家庭なら、多いのか、少ないのか?(少ないです。お父様のみ言どおりにするなら、一二〇家庭はしておかなければならないのですが)。

それは深刻な問題です。これから霊界に行っては、自分の所有権が何かというと、天国の民をどれほど連れて入ったかということです。それが自分の財産です、永遠の財産。今からは、それを問いただすべき時が来ました。今は、何、一日に何百万が伝道される時が来るのです。統一教会にそのようなすごい内容があるのです。世の中を見なさい。今死ぬか生きるか、人生が何か、空中にさまよい歩いて、落ち着くことができず、狂ったように回って自殺する人がどれほどたくさんいますか?(二一八\二二七)

霊界に行けばそうです。愛の懐が大きいほど、その懐に入ろうと列をなすのです。その人は、あの世で尊敬される人だというのです。千人、万人に囲まれて、「あ! 私はこの人と一緒に暮らしたい」という声を聞くようになれば、その人はそれほど領土が大きい金持ちになるのです。ですから、ある家の前を通り過ぎながら、寄らないというといけないのです。寄らなければいけないと、そのまま通り過ぎることができないと言えるほど、愛の心をたくさん植えてあげた人が、あの世の人格基準になり、愛を中心として関係しているその舞台が、あの世の所有権になるのです。

あの世の金持ちは、たいしたものではないのです。それほど、愛のために投入した人が金持ちです。皆さんが福を受けることができるようにしてあげる群が、ソウルだけでも一千二百万が待っているのに、なぜ付き合えないのですか。行って、全部福を祈ってあげると言って、訪ねていかなければならないのです。

犬が吠えればですよ、「おまえたちは福を受けるすべを知らない犬だな。おまえの家にいるすべての福の袋は、私が持って歩く。私は磁石だ。福を全部率いてくっつけることができる、完全なプラスだ。マイナスの要素はすべて断ってしまい、サタンのプラス要素だけ全部残していくために、そのプラス要素は、サタン圏だけであるために、地獄しか占めることができない」このように見るのです。福を集めに回るのです。分かりますか?

伝道が何か分かりますか? 福を集めに回ることです。愛の福を集めに回ることです。天のものを奪っていったサタン世界の泥棒たちのものを、主人になって愛で探すのです。おまえのお母さん、お父さんを私がもっと愛するという、愛の心で訪ねていくことによって、愛に因縁づけられたすべての福を取り入れるということです。

冷遇を受けるとしても滅びるのではありません。その後ろには数限りない聖徒が従い、聖なるこのすべての万物が、自分も知らずについてくるのです。ついてくるから、自然に金持ちになるのです。(二〇五\三四七)

霊界に入っていくとき、お金を持って行くのではありません。サタンの息子娘をたくさん産んで、教育できずに悪にぶら下がるものにしておいたら、あの世に引っかかります。木を逆さまにして入るように皆引っかかってしまいます。一人が一二〇名以上収拾しなければなりません。天国の民を皆失いました。それを接ぎ木して、失わなかったという条件を再び持っていって、合わせなければならないのです。

霊界に言って一二の真珠門を経ていくためには、地上でどれほど天の民をサタンから再び探して、戻ってくるかというのが問題です。そうするためには、涙と血と汗を流さなければなりません。再創造の真の愛の心情中心として、サタンの父母以上、サタンの夫、妻、息子娘以上の心情を投入して、涙とともに血と汗とともに交差するその過程を経ずしては、天国の自分の民を所有することができません。この数に比例に従って、あの世の栄光の立場に、神様の前に近く行くすべての条件の成立がより分けられるということを知るべきです。分かりますか?(はい)(二一一\三五二)

これから、霊界に行くとき、何を持っていくかというと、お金を持っていくのではありません。統一教会の名前を持っていくのでもありません。何か地区長をやったと言っても通じないのです。ですから、これから皆さんがすべきことは何かというと、神様が愛することができる息子娘を、どれほどたくさん作って行くかということです。人たちが赤ん坊を産むとしても、何人かしか産むことができないのです。それは、誰もが皆できることです。

今、復帰過程で経ていくべきことが何かというと、皆さんがサタン世界で、神様が愛することができる多くの息子娘を作るようになるとき、その功労は先祖とつながって、また、先祖を解放させることができる道が繰り広げられるのです。これが復帰路程において、自分が取ることができる最大の贈り物です。何の話か分かりますか? 贈り物です、贈り物。

いくら教区長をして、いくら何をしたと言っても、信仰の息子娘がいないようになるときは、あの世に行くとき、空き缶を持って行くのです。自分を中心として一人もぶら下がっていないために、そうなのです。

天国は、無限の世界なのに、そこでは愛の心情でつながることができる橋がなければならないのです。それゆえ、自分が伝道した人が世の中にたくさん広がっていれば、霊界に行っては、それほど広く往来することができる道が生じるのです。全部が自分と関係を結んで、因縁を結ぼうとするのです。それは霊界において、思想武装してつなげたような、そのような体制が自分を中心としてつながるのです。そうではないですか?

教育して、弟子をたくさん持ったのと同様に、地で解いてあの世に行くようになれば、霊界で解くことができる相対的関係になっているから、膨大な活動基盤になるのです。それが霊界に行って、自分の霊的基準に該当しうる、夫妻夫妻全部が自分の所有になるのです。それゆえ、自分が活動する舞台は、その基準を中心として全霊界に通じることができるのです。それがなくなれば、コーナーに追われて活動しにくいのです。分かりますか?(はい)。ですから、夜に寝て、歳月を送って休む間がありません。

ご飯を食べて暮らし、息子娘を食べさせて育てることは、あの世に行くようになれば大したことではありません。それゆえ、天国の民を訪ねていかなければならないのです。それが天国では自分の所有になるのです。分かりますか?

それゆえ、我々がはやく五〇億人類を、この世を消化しなければなりません。早く消化すれば、霊界のすべての霊たちも再臨復活していくようになっています。今、長子権がサタンの基盤になったのが逆さまになれば、アダムが長子権を持てば、天使長はアダムの言うことを聞いて、ついてくるようになっているのです。そうではないですか? 絶対服従する位置に行くようになれば、神様の愛とともに、アダムの愛の圏内にあるために、自然に天国について入るのです。原理がそうなのです。

地上で人間がこのことを責任を果たせないことによって、裏返しになったために、人間がすべきことは、裏返したものを再び解かなければならないのです。蕩減復帰して、道を開いてあげなければならないのです。ですから、伝道というこの仕事がどれほどとてつもないことかを知るべきです。それゆえ、自分が何人を永生圏内に受け付けさせるかが問題です。何の話か分かりますか?(はい)。統一教会という看板をつけては、何の役にも立たないのです。実がなければなりません。実がなければなりません。

イエス様がエルサレムに上ったとき、お腹が空いて無花果の木に実があると思って行ってみたのに、実がなくて呪うことによって、無花果の木が枯れて死んだのです。ちょうどそうなるのです。うわべだけ良くてどうしますか? それゆえ、自分が祝福家庭を何家庭作ったかということが、皆さんに収穫となるのです。分かりますか?(はい)。

一二〇名、何百名をしなければならないのです。それもできずに、自分の息子娘を愛するというのはありえません。原理を見ると、一二〇名をしなければなりません。三六家庭から七二家庭、一二〇家庭は、イエス様の世界国家を代表したのです。四三〇家庭は、一国を中心として、その中にある名字と同じです。韓国で四千三百年を中心とした四三〇家庭です。それは、すべて名字と同じように、国民が天国に入ることができる門を開いておいたのです。門を開いておいたのであって、入ったのではないのです。今まで韓国において、統一教会が門を開いておいたのに、天国に追い込むのは統一教会の信者たちの責任なのです。それゆえ、韓国統一教会が責任を持つべきなのです。

これは、空論ではありません。理論的です、これが。歳月をそのまま送るなというのです。青春時代に息子娘を産んで、育ててこそ、後代に誇りうる基盤を残すのと同じです。また、その子供たちが、立派な人になってこそ、歴史に誇ることができるのです。そのような歴史に対して、誇りうる実績がないようになれば、自分の一家や町内では、グループに入れてあげますが、国では入れられないのです。国に入れるためには、歴史の伝統に残りうる実績がなければなりません。

それゆえ、誰でも皆国に何かを残すのを願い、世界に何かを残すのを願い、天地に何かを残すのを願うのです。同様な道理です。それゆえ、自分の所有版図をどのように確定するかという問題が、終生の目的だという観念を確実に持たなければならないのです。それゆえ、み旨の道で自分が嫌なら辞めると考えることはできません。

我々のような人がそうではないですか? 監獄に入って苦労を一人でしたとしても、その責任を持つということは何のためか? その環境で、苦労する人たちを救ってあげるということです。そうではないですか? 代わりに、代表的に苦労する環境で、十字架を背負い、自分たちが利益になりうるなら、ついてくるのです。ついてくることによって、自分の側の収穫になるのです。霊界に行くとき、これを全部公的なものとしてもてなされるために、その人は天国のいちばん高い位置に行くのです。何の話か分かりますか?

皆さんも、それを考えなければなりません。自分が入ってきて何年になったということを誇ってはいけません。何人を教区長にして、何人に祝福を受させて、何人を先生の一族と血縁関係を結ぶようにするかが問題です。これは深刻な問題です。何の話か分かりますか?(はい)。皆そうなのです。

ここに先生の姻戚になる朴普煕、郭錠煥、劉貞玉がいますが、そうかといってこの人たちがそれで皆済むのではないのです。その背後に何千倍になりうる氏族的メシア圏を早く確定して、これからの歴史時代において、恥ずかしくない天国の民を整えて立てなければならないのです。

国民教育をよくすれば、その国が繁栄するのです。同様の道理です。皆さんもそうです。天国の生命圏を中心として、これをどれほど悟らせて、精神を正して、自分以上の実績を残しうるかということが問題です。そのようになるとき、世界は早いうちに復帰されるのです。それゆえ、精誠を尽くして育てなければならないのです。そうではないですか?

先生もそうです。先生が今までみ言を語るようになれば、五時間、六時間ずつするのに、そのようにしたくてするのではありません。その骨子は簡単です。一五分話す内容にもならないのです。しかし、それを中心として多方面の人たちを、来たすべての人たちを関係づけて、いろいろな例を挙げてあげて、その人たちをその圏内にともに同参させようとしてそうするのです。目的は何かといえばですね、春の季節が来るようになれば、何としてでも種をたくさんまこうということです。分かりますか? 種をたくさんまいておけば、たくさん生えるのです。何の話か分かりますか?

では、種をまくのに、どこにまかなければならないか? 汚れない場にまけという、そのことです。汚れない場がどこか? 青少年たちです。分かりますか? そのとき一度植えておけば、一生もつのです。そのとき植えておけば、抜いてしまうことができません。

皆さんもそうではないですか? 学校に通っても、どのときがいちばん鋭敏かというと、初等学校のときがいちばんそうなのです。中高等学校に行けば、だんだん希薄になるのです。そうですか、違いますか?(そうです)。大学に行くようになれば、その隣町を経ていくのと同じです。旅をしてきて何かをするようになるのです。いちばん難しいのが初等学校のときです。その次に中高等学校のときです。時がたつほど、だんだん薄らぐようになるのです。何の話か分かりますか?(はい)。ですから、そのときに生命の種をまかなければならないのです。

町内の子供たちを見るようになると、日曜学校を作って、来いと言って、子供たちと遊びながら、童謡も教えてやり、話もしてやれば、それが自分の将来の永遠な財産を積むのです。年取った人たちも、会いさえすればみ言を証すのです。統一教会の指導者たちは、このようなことがよくできていません。

電車に乗るようになれば、二人や一人に対して、どこに行くのかと聞いてみながら、話をしておいて、今度一度会おうと言って…。いくらでも伝道することができるのです。材料はいくらでもあるのです。伝道しようとするなら、自家用に乗って回ることより、バスや地下鉄に乗って回るのが良いのです。なぜ? 毎日のように同じ人たちに会うのではないですか? 通勤時間に一つのコースだけ行ってもですよ。一年一二か月を何年かずつ同じく通ってみると、顔が皆分かるのです。ですから、挨拶するようになれば、互いが受け答えすることができる人脈がつながりうるのです。そのような道が通じているのに、なぜ歳月だけ送るのかというのです。

ご飯を食べることよりもっと重要なことが、天国の民を取り入れることです。それが我々人には、うまくいっていないのです。考えてみなさい。それが本職です。この地上に生きる我々の本業なのです。生涯にすべきことの中で、それ以上貴いものがないのです。世の中に就職して出世したり、お金を集めたりしたものは、皆流れていくのです。あの世では、お金を集めても何の役にも立ちません。あの世では、物質が必要ありません。知識が必要ありません。習わなくても心が先に分かるのです。一週間以内に何でも皆通じるのです。

そして、あの世では、権力が必要ありません。霊界は愛を中心とした和合力です。愛を中心とした感化力です。その世界がそういう世界です。それゆえ、愛を中心として感化力を持てなかった人は、愛で感化されうる本然の世界に行っては、本質的に和合ができず、反発するのです。それは地獄に行くのです。これは深刻な問題でなのす。

皆さんが、今まで統一教会に入ってきて、暮らしながら働くと言いますが、どの立場で働いたかを考えなさい、どの立場で。自分が生活する立場で、生活とチャンポンにしてしたか、天を中心として世の中とチャンポンにしたか? 方向がどこで、位置がどんな場なのかをいつも考えなければなりません。それゆえ、祈祷しながら、神様が自分と共にされるということを知るべきなのです。それはすでに、目をつぶりさえすれば分かります。祈祷をしなくても分かるのです。どこかに行って話そうとすれば、言葉がすらすらと出てくるのです。良心のある人に行けば、自分がずっと引かれて入っていくのです。そういうものではないですか?

全部が相対的です。花も自分と相対しうるものを引っ張る力があるのです。自分の主体や対象になれば、引っ張るのです。初めて会ったと言って、相手にならないのではありません。磁石がそうではないですか? 鉄が初めて出会ったと言って、くっつきませんか? その本質は、永遠に不変です。それと同じように、そのような所に行くようになれば、心が嬉しく、言いたいのです。その境地に入れば、話すまいとしても口が開くのです。その人たちは、間違いないのです。取り入れなければなりません。何の話か分かりますか?(はい)。

皆さんがこれからあの世に行って、復帰歴史をされる神様の前に、一人のアダムを探すために、今まで苦労した神様の前に行って、何と言いますか? 創世以後、今までアダム完成者を探してきたのではないですか? そして、皆さんは、原理を知りました。これは数千、数万の民を救うことができる武器です。今まで神様が人間に教えることができず、知らないうちに摂理される神様のもどかしさ、それに代わって地上で神様の理想の仕事を我々がするのです。我々には原理で数百、数千のアダムを教化して連れていくことができる道があるのです。考えてみなさい、これ以上することがどこにありますか? 分かりますか、何の話か?(はい)。

ですから、生命とつなげなければなりません、永生問題。これは、深刻なことです。どこへ行ってもそうではないですか? 春になれば、山菜を摘みに探し回るのと同様に、自分が要求するものがどこにあるかを探し回るのと同様に、皆さんは一生をそのように生きていかなければなりません。そうして、相手が現れれば、夜通しで彼のために原理のみ言を自分が伝えてやるという心を持たなければならないのです。一度会って感動を与えるためには、そのみ言の内容を深く伝えて、質問ができないように精誠を尽くさなければなりません。

それで、皆さんは、天国に連れていくことができる息子娘を何人作りましたか? 皆さんがすべきことは、それしかありません。いくら億千万の金を持って、豊かに暮らしてみなさい。皆流れていくのです。そこには自分のすべての物質と知識と自分の生命まで、堕落した自分の生命まで投入してでも、しなければならないのです。それを別々に投入するのではなく、いっぺんに投入して天国の民を作ると言うべきなのです。投入する全体が加重するに従って、その価値は比例していくのです。

ここの統一教会の長という人たち、肩に力を入れて誇り、そのように考えるかもしれませんが、それは恥ずかしいことです。自分を中心としていくつの生命を救ったかというのです。皆記録を残しなさい、何人だということを。何の話か分かりますか?(はい)。

皆さんが、どれほど永遠に天の前に功績を褒めたたえられるかということは、どれほど天国の民を収穫して取り入れたかという問題にかかっているのです。それを取り入れることができる鋤がない、今まではその鋤がありませんでした。知らないからできなかったのです。ですが、皆さんには背負子があります。熱烈にみ言を伝えるようになれば、爆発的な収穫を収めることができるのです。しかし、そのような内的な実力を持って、歳月を送っているので、神様が雷を落としたいですか、落としたくないですか?

夜一二時が問題ではありません。明け方が問題ではありません。夜も昼もそれが問題ではないのです。天は、それを受け入れるのを願いますが、「ああ、私は眠りたいです」そう言えますか? 神様がお休みになりますか? その立場は直行する立場であるために…。

はっきり知りなさい。分かりますか? 永生問題を教えてあげなければなりません。皆さんに先生が「これはこういうみ言だ…」と言うのに、皆さんがご飯を食べて眠れますか? これからは、皆さんが責任を持たなければなりません。それゆえ、今まで私が、統一教会に反対する人を呪うことはできません。天は、自分と関係を結び、因縁づけて決定づけるのを願うのに、その人が落ちれば、それは我々の教会の責任だというのです。先生が責任を取らなければならないのです。サタンによって、世の中が反対するようになりましたが、その反対される環境を早く克服すべきことが、我々の責任なのです。それができないことによって、被害を受けるそのすべての環境が、どれほど悲惨かというのです。

それは、赤ん坊にお乳を飲ませるのと同じです。赤ん坊を産んでおいたら、お乳を飲ませなければならないでしょう。それゆえ、会いに訪ねてくるのです。訪ねてくれば、絶対冷遇するなというのです。先生も一生をそのように暮らすではないですか? 誰が一二時にここに入ってきても、その人が行きたがらなければ、自分が続けて座るのであって、行けとは言わないのです。その人が必要なものがあるために、行きたくないのです。それなら、み言を語ってあげなければならないのです。先生は一生をそのように暮らすではないですか? 絶対事務的ではありません。霊界はいつも覚めているのです。霊界で眠りますか? 神様が眠りますか? これは深刻な問題なのです。分かりますか? 分かりますか、君たち?(はい)。

皆さんの兄弟たちどうし、けんかをするとします。気分が悪くてけんかするのです。その一つの生命が落ちれば、その被害がどれほど大きいか分かりますか? その人がこれからみ旨を皆知って、天の前に自分の責任を果たすとき、何千名、何万名を救うことができる、自分よりましでありうる、驚くべきこともありうるというのです。ですから、人事措置を誤れば、全部引っかかるのです。それゆえ、自分が低い所におり、皆高い所に置こうとすれば、引っかかる所がないのです。分かりますか、何の話か? それが謙遜ということです。

しかし、誤れば下がるのです。夜に妻と子供たちがいる部屋に入るとき、父として責任を持って、夫として責任を持たなければなりません。夫がうまくすれば、あの世で妻が自分についてくるのです。もちろん、その父の家に入るためには、訓練過程がありますが、ただそのまま行くことができれば早いのです。あの世は、許しのない世界なのです。その世界に拍子を合わせるために、今準備をするのです。分かりますか、何の話か?

(一人を指摘されながら)今何歳か?(四〇です)。五〇にすっかりなったな。君は何歳か?(四三です)。その次は?(三七です)。君は?(三八です)。みんな四〇に近かったね。

先生は、二七歳に太陽をひっくり返しました。それはどのように火をつけますか? 火がつくのです。そのような次元でした。「ここに天が引き抜くほどの人がどれほどになりますか? 義人五人だけいてもソドムとゴモラを滅ぼさないと言ったのに、その義人になりうる人がどれほどになりますか? いなければ何か月かだけ待ってください。私が作り上げます」そう言うので、どれほど忙しいですか? 皆さんもそんな心情に胸が痛まなければなりません。

そのことのためには、飢えてもしなければならず、どんなことでも皆しなければならないのです。ご飯を食べてきてしようと言ってはいけないのです。今ダイナマイトの導火線に火がついて、爆発するはめになったのに、ご飯を食べて来ますか? それは深刻なのです。そのようなことをよく知らなければならないのです。分かりますか?(はい)。それゆえ、永生問題、永生の門にどのようにつなげるかとうのが問題なのです。

電気で言えば、全部送電所を経て、配線器具につながってこそ明かりがつくのではないですか? 違いますか? 発電所の電気がここに来ているのです。違いますか? これがつながってこそ残るのです。

それで、信仰の息子娘を自分の息子娘よりももっと愛し、信仰の息子娘は、信仰の父母に、自分を産んだ母よりももっと為にしなければならないのです。自分を産んでくれたのは、サタン世界の父母ですが、こちらは天の世界の父母であるために、自分を産んでくれた母よりももっと為にしなければならないというのです。そして、信仰の息子娘たちは、全部自分を救ってくれた人の子供たちを精誠を込めて育てて、結婚させてあげるべき責任があるのです。み旨がそうなのです。ですから、その子供たちを全部育ててあげなければならないのです。それは、アダムが育ててくれるのと同じなのです。何の話か分かりますか?(はい)。

それゆえ、永生問題とつなげなければ、すべてが無駄です。彼らがみ言を聞いたとして終わるのではありません。催促し、催促して、祝福の場にまで出させなければなりません。祝福を受けなければならないのです。それで、祝福を受けて、開拓伝道するようになれば、それは自然につながるのです。難しい環境のサタン世界で、迫害を超えていくことができれば、その人は、すでに生命の道に入るのです。こうして祝福を受けるときまで行けば、終わるのです。これは深刻な問題なのです。

ですから、自分が説教をしても、「私」というのが生きていてはいけないのです。血と汗を流しながら、話さなければならないのです。出産の苦労をしなければなりません。涙を流しながらしなければなりません。皆さんの目から涙が乾くようになれば、それは偽者です。(一九九二・四・一五五)

B 息子娘をたくさん産むべき理由

統一教会の人たちは、霊界が分かるでしょう? 神様を知らない人はいません。霊界を信じます。愛から始まって、神様から分かれて出てきて、結局は神様に帰る路程です。

霊界に行けばですね、本当に一心同体になった夫婦は、いつでも男が女になり、女が男になることができるのです。愛は一体だと言うでしょう? 女の中を覗いてみれば、男が入っています。その夫が入っているのです。神様の二性性相と全く同じです。性相と形状、それが分かれて出てきたために、その本体に帰るには、愛のはしごに乗らなければいけないでしょう? 創造の基準が愛から始まったために、このはしごに乗って入らなければなりません。結局終着点は神様と共にするのです。分かりますか?(はい)。

霊界では赤ん坊を産みますか、産みませんか?(産みません)。なぜ産みませんか? 霊界は縦的な世界です。神様を中心として円形をなした世界です。それゆえ、赤ん坊を産む必要がないのです。横的な基盤が必要であるために、人間を、体を創ったのです。分かりますか? 繁殖する畑です、畑。霊界に行けば、その民は全部この地球から来るのです。このように考えてみれば、今なぜ産児制限をするか? それは、天命によるものです。悪なる血統をこれ以上繁殖させるなというのです。考えてみなさい。

統一教会の祝福家庭はどうですか? 皆さんが、どれほど天国の国民を繁殖させるかという、それが財産になるのです。信仰の息子娘より、自分が産んだ息子娘がもっと価値があるではないですか? 信仰の息子娘は、祝福という関係を知りません。そのような息子娘をどれほど残して行くかに従って、天国で自分の位置が決定されるのです。そのようなことを知ったために、先生はお母さんに一四名まで産めと言いました。手術を四回までしたために、しかたなく中断したのです。(二〇五\九九)

完成は地上でするのであって、霊界でするのではありません。地上で真の父母を中心として、可能なのです。霊界ではありません。息子娘を産まなければなりません。息子娘がまさに天国の民になるのです。皆さんの息子娘が、理想的な天国の民になるのです。ですから、皆さんが息子娘をたくさん産まなければなりません。完成した息子娘。良いのです。本来は一二方向以上になれば良いのです。それで、先生が一二方向以上を願います。

先生が二一年間に一二方向以上をどのように作るかということについて…。一年が一二か月ではないですか? イエスの一二弟子、モーセの一二支派と同じです。皆さんが息子娘をたくさん産めば、どのように育てるだろうか? そう易しいことではないではないですか? 一二の月が違います。感情が違います。育つ子供たちが皆違います。それゆえ、父母の心情が広くなるのです。良い経験をするようになるのです。分かりますか?(二一七\一三〇)

さあ、私が一つ聞いてみましょう。ここの祝福を受けた人たち、手を挙げてみなさい。やあ、多いなあ。皆さんの相手がアメリカをやって、世界をやるから、取り替えるかと聞くようになるとき、どうですか?(取り替えません)。本当にそうですか?(はい)。また、自分の息子娘とは?(取り替えません)。なぜ? これから天国の民を私と一緒に治めなければならないためです。息子娘がいなければ、天国が繁栄しません。

霊界は無限の世界であるために、地上で産児制限するなというのです。飢えて死んでも、全部霊界に行くのです。飢えて死んでも、統一教会だけ信じて、愛の中で飢えて死ねば、天国に行くのです。何の話か分かりますか? それゆえ、今、サタン世界は産児制限して、統一教会では産児制限するな、絶えず繁栄しろというのです、絶えず。(笑い。拍手)み旨のために苦労すれば…。先生がみ旨のために苦労して飢えて死にましたか?(いいえ)。我々は飢えて死ぬ場に行っても、生きることができるのです。そのような訓練が皆できているのです。

さあ、それで今日の贈り物は何ですか? 絶対的な愛のために、すべてを犠牲にしうる驚くべき理想的な中心が分かったのです。そして、これをするようになるときには、神様もコントロールすることができ、サタン世界もコントロールすることができ、天運もコントロールすることができるのです。コントロールするのは何か? 神様がついてくるということです。神様がついてきて、この世界がついてきて、天運がついてくるのです。(二〇一\一三三)

皆さんは、地上で子女たちを立派によく育てて残していかなければなりません。将来、その子女たちがすべて霊界に行くのです。霊界に行って、天国の国民になるのです。自分が何人を天国の国民として捧げたかというとき、地上ではつらいことでしたが、永遠の世界では、それが高貴な栄光の道になるのです。分かりましたか?

その代わり、地上では、教育とか、食べさせることとかいう問題で、とても苦労をするのです。しかしながら、霊界では、食べるものは問題ありません。着ることは問題ありません。暮らすことは問題ありません。できるだけたくさん、千万名でもいればいいと思うのです。(二一八\三一九)

皆さん、はっきり知っておきなさい。霊界に行けば、繁殖がないのです。お分かりですか? 霊界に行けば、繁殖がありません。神様は、縦的な父母の立場でいるために、軸は一つであるために、一点しかないのです。(二二一\二〇四)

神様がすることが何ですか? 世の中を救うことです、あの世へ行ってみれば。霊界に行ったすべての次元の高い人たちの仕事が地の仕事です。地がどんな所か? 天国の国民を生産する生産工場です。分かりましたか? 広大無辺な天国です。無限大です。あまりにも広いのです。人々が数億年間、生まれて死にましたが、どこにいるのか分かりません。そのように広いのです。

一人が子供を約百人ずつ産んでも、天国が広くて過剰生産ということがありません。あの世はいくらでも収容することができる世界です。それで、産児制限しなければいけませんか、してはいけませんか? あの世に行けば、天国の民を、どれくらい作って率いて来るかということが問題になります。真なる天国の息子娘をたくさん率いて来るとき、それが自分の権益になり、天上世界で表彰されうる等級の等差を設定しうる資料になるということを知るべきです。(二〇二\四〇)