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@ 最後の境界線を越えよ
どうせ一生に一度は死にます。ですから、いくら恐ろしい暴風雨がたたきつけても、最後の峠を越えなければなりません。うまく進んで、境界線の前で倒れてはいけません。皆さんは、このような境界線に立って何をするか? 皆さんは統一教会に入ってくるのは、うまく入ってきました。皆さんの姿は、各自が自分勝手にできていますが、よく入ってきました。しかし、気をしっかりして走っていっても終わりまで行くか分からないのに、あわてたら行って途中で終わってしまうのです。最後の決勝点まで境界線を突破しなければ、勝利者になることができないのです。
人として生まれてみる価値のあることです。後ろから反対し迫害したとしても、自分の行くべき道を行けばいいのです。人が反対するのに関与する余地がありません。一歩一歩でも速く行って、この運命の道を経ていくべきだという人が、最後の境界線を越えることができるのです。皆さんは、そのように行かなければなりません。(二四\七七)
A 形状と心情と神性に見習え
我々は、いつか肉身を脱いで霊界に行かなければなりません。それゆえ、この世に生まれた我々は、死を覚悟しなければなりません。また、善なる自己を永遠の世界に第二の自分として立てるためには、苦労をしなければなりません。お母さんの腹中で胎教をよく受けてこそ、健康で善なる赤ん坊として生まれるのと同様に、この地上世界での生活は、腹中での生活と同様なのです。それゆえ、神様の形状を見習い、神様の心情を見習い、神様の聖なる神性を見習って育たなければなりません。育って、また生命をかけて越えていかなければならないのです。(一四\一七)
B 罪を犯すな
それで、皆さんも心が真っ直ぐだと言うでしょう? 心が垂直に立ちましたか? 木が横に傾いたのを真っ直ぐだと言いますか、垂直に立ったのを真っ直ぐだと言いますか? 電信柱が真っ直ぐだというときは、倒れたものですか? 心が真っ直ぐだというのも同様です。それで、人が立って歩くのです。垂直にならなければならないのです。
自分の心を完全に垂直になるようにすべきです。体が水平線になるのです。この回る力と、こちらに行くのが、遠心力・求心力があってこそ、このように運動するのです。垂直から引いてくれる力と、回る力が均衡を取らなければならないのです。それゆえ、自分を探さなければならないのです。
自分が自分だというときは、神様がそうだと言うべきであり、真の父母がそうだと言うべきなのです。その次に、親戚、一族、一国、これが生活環境です。これが正しいと言わなければならないのです。糾弾される者は、問題になります。その人たちは、これから隔離するのです。
これからは、大陸を中心として、寒帯地方と温帯地方を分けるのです。罪をたくさん犯した人は、だんだん北極に送るのです。そういう時が来るのです。そのような人たちに、ご飯をなぜ食べさせてやりますか? 熊の子を食べて暮らすのです。何年間その境界線に放り込むのです。何でも捕まえて食べて暮らして、死ななければ何年か後に来いと言うのです。
そのような隔離時代が来るのです。その世界で死ぬなら死んで、死なないなら死ぬなというのです。虎を捕まえて食べるなら、捕まえて食べ、狼を捕まえて食べるなら、捕まえて食べ、熊を捕まえて食べるなら、そのようにしろというのです。一日に一〇匹捕まえて食べてもいいのです。氷の家を建てて暮らすなら暮らし、そうしないならするなというのです。そのような隔離時代が来るのです。
伝染病患者は隔離するでしょう? そのように、完全に隔離するのです。それゆえ、予防薬として強調するのが、罪を犯すなということです。(二〇二\二八〇)
C 世界のために生きて死ぬべし
私が一つ痛ましく思うことは、このみ旨を私が責任を持たなければならないために、生きている間にこの限度までは持ってきておかなければならないということです。そうする前には、死のうにも死ねないのです。それゆえ、私が死地に入っても、神様が率いてくださるのです。ですから、ご飯を食べても、寝ても覚めても世界のために…。祈祷もそのようにするのです。私は、アジア情勢や韓国民族を中心として苦労しませんでした。世界的な分野でどのように責任を果たすかとしたのです。そのために、死ぬことができなければなりません。
このようなことを考えてみるとき、皆さんは世界のために生きて死ななければなりません。前にも言いましたが、世界的でなければならないのです。では、どんな立場で死ななければならないか? 世界的な立場に立って、愛する妻を抱き、家庭を抱き、自分の氏族を抱き、民族をそっくり抱いて死ななければなりません。統一教会は、今、氏族を編成して、民族を編成していっています。
それゆえ、統一教会の先生は、死んでもどんな立場で死ぬだろうか? 民族と大韓民国までそっくり抱いて、世界のために死ぬでしょう。韓民族が一つになって、世界のために死のうとするときは、世界とともに生きることができる道があるために、その道を探していくのです。(三四\一九三三)
D 多くの仕事をせよ
今や皆さんは、ある版図で働くでしょう。皆さんは、そこでジャンプしなければなりません。お金が必要なら、お金をかせいで、人がいなければ、人を作って、寝ずに食べずにしろというのです。(笑い)絶対誰にも助けてくれと言うなというのです。先生を信じず、本部にも絶対そうしてはいけません。皆さんが助けてやるべきでしょう。三倍以上、普通の人の三倍以上をすべきなのです。
それゆえ、私が七〇年を生きたとしても二一〇歳まで生きるのと同じだということです。それで、皆さんは何、一〇〇歳生きると思わずにですね、七〇歳を生きても三倍を働くようになれば、二一〇歳まで生きる、そんな考えをしろというのです。一〇倍するようになれば、七百年を生きるのです。二〇倍するようになれば、一四〇〇年を生きるのです。それと同じではないですか?(はい)。皆さんは、何歳まで生きますか? そう、二四時間を一生の間働くのです。そうしてこそ、霊界に行って全部実を結んで愛の所有が多くなるのです。愛の財産が多くなるのです。自分の所有が多くなって、活動舞台が広くなるのです。(一〇二\三八)
E 公的な仕事をせよ
天の法度は何か? 公儀を優先することです。私的なことはサタンのものであり、公的なことは神様のものです。皆さんは、公儀のために行くべきです。そのような路程において、すべての人たちがいくら反対したとしても、自分に侵害を受けずに、難しい道も生命力を持って行く人がいるなら、彼は春を迎える天国人になるでしょう。(四七\二七二)
皆さんが市場に行って見ても、自分の欲ばかり張る人には、お客が物を買いに来ないのです。自分の欲ばかり張れば、誰でも嫌がるということを皆知っています。公的な仕事や、私的な仕事を中心として見ても、このように治めることができる方法と秘訣を知らない人は、一人もいません。それゆえ、知らずに天国に行けなくなったと言い訳をすることができないのです。なぜ? 公的か、私的かということを、必ず皆さんに教えてあげてこそ分かりますか? それは教えてあげなくても分かるのです。
例えば、皆さんのお母さんが、皆さんのお姉さんや皆さんに美味しい餅を全く同じに分けてくれたのに、皆さんは皆さんの分を皆食べて、お姉さんは食べずに真心込めて保管しておいたものを、寝てからそっと起きて、一人で食べようとすれば、皆さんの心が「こいつ! この野郎!」と言うでしょう。皆さんの心がそう言いますか、言いませんか? そのようなことが感じられますか、感じられませんか? そのような気がしないなら、人ではありません。そうなるべきなのです。なぜか? 皆さんの心は、公的なものを追求するためです。私的なことについていけば、滅びるのです。
本来、天法の道理に従っていく人間には、自分自身が滅びるのを防備してくれ、保護してくれようとする心があるのです。本来あるというものは何か? これは、神様に本来からそのような心があるので、人間にも本来からあるようになったのです。自分が作った法でないということです。「良心よ、私がこのようなためにこうだ」そう言いますか?「私の考えがそうであるためにそうであるべきだ」と命令するとして、良心が作用しますか? どこだか分かりませんが、他の所から命令を受けるのです。そのような感情が、自分を支配することを見るとき、これは公私問題を中心として支配するということが分かるのです。(三一\二四一)
今日、人々は、自分の生活を中心として、善悪の分岐点と公私の分岐点で、内外にひっくり返って行ったり来たりして、結局は私的に溺れる場合がたくさんあります。しかし、そのようになれば、滅びるのです。ですから、過去は私的な生活であったと悔い改め、再び公的な生活のためにこれを歯を食いしばってやらなければなりません。そうして、我慢できずにまた再び私的な生活をして…。このように行ったり来たりして私的な側に入り込むときが多くなり、そうしてみると公的な善とは遠ざかる生活をします。これが今までの信仰生活というものです。それゆえ、私的な生活をするすべての人たちは、悔い改めなければならないということを、皆さんは知るべきです。(三一\二四一)
皆さん、福を受けるのを願いますか? 永生するのを願いますか? そうするには、公的な人にならなければなりません。子供を教育するのにおいて、自分の息子娘だけ愛するなというのです。世界人のための、祭物的な息子娘として愛する父母にならなければなりません。そして、子供を懐に抱いてお乳を飲ませるときは、この地球星の人類を代表した母の立場で、人類を代表した幼い赤ん坊にお乳をやるという心で飲ませなければなりません。そして、自分の子供にだけかわいいとお乳を飲ませるのではなく、人の子も自分の子のようだという心情で対する母になってみてください。そのような母のお乳を飲んで育つ赤ん坊たちは、必ず偉大な人になるでしょう。すぐにはだめでも、一代、二代を経ていく間、必ずその後孫の中に世界を支配しうる人物が誕生するでしょう。これは公式です。そのようになるのです。(三一\一六八)
さあ、では皆さんは、私的な蕩減のために自分の一生を投入しますか? そうでなければ、公的な蕩減のために自分の一生を投入しますか? 一生を投入するのは同じですが、どうですか? 公的な蕩減のために公的な環境に一生を投入すると生命をかけて立ち上がる人は、偉大な人物であらざるをえません。そのような群によって、新しい歴史は創建されるでしょう。
では、そのような主管を前にしている我々は、残った時をどのように埋めるのか? これが今から皆さんが行くべき試練の路程です。それで、自体の生活をしていくのにおいて、個人的な生活をするのか、公的な生活をするのかというのが問題になるのです。自分自身の生活で、自分が何を食べて、何を買って売ってというすべてが、誰のためのものか? 自分のためのものか、神様のためのものか? また、問題になるのは、それが公的な生活か、私的な生活かということです。そして、皆さんの感情が私的な感情か、公的な感情かということも問題になるのです。
公的な道を行くために誓うことがきる立場を探していくべきではないでしょうか? 歴史を蕩減させるべき使命を負った人なら、誰でも願う立場まで進まなければなりません。それゆえに、生活の中で私的な感情を超越して、公的な感情をどのように体得するかという問題が、信仰者が重要視すべき問題だということを知るべきです。
罪というものは何か? 罪は、私的な所で生まれるのです。滅びるのも、私的な基準で繰り広げられるのです。悪も同様です。私的なことが度数を超えるようになれば、悪として現れるのです。私的なことには、限界があるのに、その限界を超えれば、悪くなり、滅びるようになり、罪を犯すようになるのです。
では、永遠に善でありえ、永遠に繁栄することができ、永遠に福を受けることができる立場がどこか? 滅びることを避けうる立場、罪となることを避けうる立場、悪くなることを避けうる立場がどこか? それは、まさに公的な立場です。ご飯を食べても、公的な立場で食べなければなりません。仕事をしても、公的な仕事で、言葉を話しても公的な言葉で消化しなければなりません。このように、一切を公的なことと関連づけて暮らさなければなりません。そのような人は、地獄に行こうとしても行くことができないのです。(三一\一六四)
F 愛を体恤すべし
皆さん、皆さん自らが「私だけだ!」と自分だけを考えてはいけないのです。皆さんは、皆さん自身だけですか? 皆さんから、お母さん、お父さんの要素を抜き出して、ここで互いに供給されたすべての万物の元素を抜いていけば、皆さんはなくなるのではないですか?(笑い)それゆえ、「私」という存在は何か? お母さん、お父さんに代わる立場です。お母さん、お父さんを通じて生じた腹中時代を経て、お母さん、お父さんの血と肉を受け継ぎ、供給されて生きるのです。
それで、今日地上時代には、「宇宙の母、万物の母」です。これが地です。地球星が母なのです。元素を皆さんに供給してくれるでしょう?(はい)。他の段階の元素を供給してくれる母なのです。母の腹中で育つようになるときに、腹中で呼吸するのに、何で呼吸しますか? へその緒で呼吸するでしょう? これが母の体とつながったホースなのです。よく知っておかなければなりません。
しかしながら、第二世界、空気の世界につながったことを知っています。腹中で暮らしてから蹴ってしまって出てくれば破壊です。そのときは、泣くのと同時に何につながるのかというと、ひよめき、鼻の穴で息をするようになっている、空気の世界につながるのです。空気の世界につながって、これ(鼻の穴)が絶対補給路です。鼻の穴をふさいで生きることができますか? え?(鼻をふさいで真似をされながら語られる)それでこうなら、心臓は動くか、動かないか? 動きますか、動きませんか?(鼻から手を離して語られる。笑い)動くのです。生きているのです。息ができなければ…。二重構造になっています。
それと同様に、腹中で空気の世界のために生きることができたのと同様に、それをつなげて出てくるときは、腹中世界で暮らしたすべてのへその緒と水袋を皆破壊して出てこなければなりません。その器官、腹中のへその緒と胎盤は破壊されて死ぬのです。分かりますか?(はい)。死ぬのと同時に、何が出てくるか? この宇宙、地球星の母に現れるのです。こうして、口で元素を補給されて生きているのだというのです。何の話か分かりますか?(はい)。
そのように暮らしていながら、この体が今何をすべきか? 腹中でへその緒で息をするときと同様に、空気のパイプである鼻の穴を準備して、どっと出てくるときに取り替えて息をするのです。それと同様に、今この世界ですべきことは何か? 生まれてすべきことは、愛というものを体恤することです。愛という空気を吸わなければなりません。お母さんから、お父さんから、愛の空気を吸わなければなりません。愛の空気を供給されて、皆経ていかなければなりません。お父さん、おじいさんへ…。一家庭に赤ん坊として生まれて、サインカーブと同様に上がれば、皆消えていくでしょう、赤ん坊として生まれて大きくなって、その次には分解されて行くのです。赤ん坊として生まれて、赤ん坊に帰るのです。
そのようになるときは、どのようになるか? 第二腹中世界を蹴ってしまい、第三愛の呼吸器官につながらなければならないのです。分かりますか?(はい)。父母の愛、兄弟の愛を蹴ってしまい、大宇宙の神様の本体に和した愛の世界に入ります。霊界は愛の空気です。愛の空気でいっぱいに満ちているのです、愛の空気! それゆえ、皆さんは、今この地上世界で愛の息をすることができるパイプ装置をしなければならないのです。それで、霊界の体験が必要で、霊的愛を感じることができて、呼吸することができる人になってこそ、死なないというのです。
この地球星の母の腹の中を蹴ってしまって立ち上がるとき、みなさんは何で? 愛の呼吸器官が…。直線でここのひよめきで息をする、というその言葉は合っているのです。第三の愛を受け継いでこそ、永生を得るというのです。それで、愛をつなげてどこに帰るのか? 神様に帰るのです。愛の呼吸器官につながって、霊界に帰りますが、神様の本体に帰る道が残っているのです。そうではないですか?(はい)。種が出てきたら、それが本体から出てきたので、結果を結んで本体に帰るべきなのです。
それで、今日の人生行路は、旅人の行路ですが、ここで備えるべきものは何か? 愛の体恤をして行かなければならないのです。母と父の愛をよく受けられなかったのが堕落だから、真の父母の愛、真の兄弟の愛、真の夫婦の愛、真の息子娘の愛を中心として、縦的な家庭をなして、横的な環境を、東西南北に多くの家庭たちを並べておかなければなりません。それで、彼らが縦横をつなげることができる真の家庭の形態をなして、氏族圏、民族圏、国家圏、世界圏につながるようにするとき、愛でつながったその世界をいわゆる天国というのだ! 分かりますか?(はい)。(一三九\二一二)