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統一教会の願いは何か? 欲張りたちが、我々統一教会の信者たちです。統一教会の人たちを見なさい。顔を見れば、欲のひさごがしっかりと打ち込まれているのです。欲張りたちが統一教会人なのです。
我々の願いが何か? 天宙統一でしょう。我々の願いが何か? 南北韓統一でしょう。どのように統一できるか? 神様が愛されて、統一するようにしてくださるから、統一ができるのか? 神様が愛されて、統一するようにしてくださるから、統一ができるのでしょう。その方法ですか? その方法ですか、何ですか? 五パーセントの責任を誰が果たすべきなのですか? 神様が果たすべきだと言いましたか、神様が? 誰が果たすべきなのですか? 人間が果たすべきです。人間なのです、人間!
人間が誰ですか? 自分です、自分。自分です。この目がしなければならず、この鼻がしなければならず、この口がしなければならず、この耳がしなければならず、この手足がしなければなりません。
それゆえ、自分の目が忙しくなければならず、自分の鼻が忙しくなければならず、自分の耳が忙しくなければならず、自分の手が忙しくなければなりません。やあ、これはすごいことなのです。皆さんはそれがいいですか? それをしますか、しませんか?(します)。
もし、知ってもやらなかったら、神様曰く、審判第一号法廷で、公判を受けるのだ!「こいつ、おまえ一人を殺して、世界を生かさなければならないのに、なぜ私の言う通りにしなかった? こいつ、統一教会を一つ滅ぼして、世界を生かさなければならないのに、なぜしなかった?」と言うときは、先生が「オー」このように堂々とするでしょうか? 先生のざまがどのようになりますか? 面目がありますか、ありませんか?(ありません)。
ですから、嫌でもしなければならず、よくてもしなければならないというのです。老いてもしなければならず、若くてもしなければならないのです。嫁に行こうと門に立ってはやめて、皆蹴ってしまって後ろに振り返ってでもしなければならないのです。その程度ならよく分かるでしょう?(はい)。死んでいく道でも、死にひざまづいてやるというなら、神様が死ぬ道も延長してくれます。
間違いなくそうなのです。私が死ぬことは、王様が死ぬことよりもっと深刻なのです。世界のためにそうするときには、神様が生命も延長してくれるのです。(六四\三二五)
自分が起源ではありません。起源も自分を超越したものでなければならず、目的も自分を超越したものでなければなりません。そうできずに、この世界と対立する立場に入ることができますか? 自分の生命は、父母や社会や民族、国家を通じて生まれてのではなく、それを超越した一つの起源、すなわち絶対者である神様から始まったと言うべきです。動機を絶対的な立場にある超越的な動機と結びつけなければなりません。時代的な因縁とか、環境的な因縁、あるいは社会的な与件に結びつけてはいけません。超越的な原因に結びつけ、超越的な目的に結びつけてこそ、飛躍して、超越して、脱出することができるのです。
自分の生命を超越的な動機に結びつけなければなりません。自分の生命の出発は、自分に始まったのではありません。絶対者であられる神様から出発したのです。自分を超越的な動機に結びつけるようになれば、死んでも超越的な過程で、神様のみ旨によって死ぬようになるのです。(三六\六四)