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5.祝福と永生

1)永生問題を知るべき理由

なぜ、今世の中の家庭が壊れていっていますか? お母さん、お父さん、子女たちが、怨讐になったりもします。それがなぜそうですか? 真の愛がないためです。いちばん重要なものが永生なのです。しかし、霊界があるか、ないかということを知らずにいます。間違いなく永生するということを知るようになれば、他の人が罪を犯せと言っても犯さないのです。自分のために生きろと言っても生きません。これを知らなければ、既成教会を信じても、何かの宗教を信じても、絶対に天国に行けません。神様の理想世界に行けないのです。真の愛、生命を投入せずには、だめなのです。(二〇五\二六一)

我々の教会で、宗教的な原理武装をしておけば、永生問題が確実になるのです、永生問題が。この永生問題とつながらなければ、社会革命も不可能です。現在の立場で暮らしていることよりも、もと疲弊して没落した環境に陥るなら、誰もがそのその場を持たないのです。

しかし、永生問題、永遠の生命の問題というようになるときは、環境的与件をすべて克服することができるのです。宗教がそれで偉大なのです。永生問題がかかっているのです。永生問題の概念だけしっかりと立てておけば、それが事実という主観が立つようになれば、自分の息子娘を率いていくのです。

今まで宗教が、そのような思想系を包括して、環境に習慣性で結ばれた現在の文化背景になった枠を全部消化できなかったのです。越えられなかったのです。それがなぜそうなのかというのです。永生という概念をつくっておけなかったのです。

キリスト教もそうではないですか。キリスト教も、今まで信仰してきたのが、終わりの日に行けば、環境が変われば変わるほど、全部これがなぜ曲がるのかというのです。それは、永生という概念がないためなのです。永生問題において、自信がないのです。神様がいるのか、いないのか分かりません。生命を差し出して、環境を越えていくことができるかという問題について見るときは、皆そこに所属して、四方を見回しながら現在の生活の方便的な道に落ちていっているのです。

どうせ、その人たちに永生の概念を突っ込まなければ、中間に落ちるのです。では、永生の概念を突っ込むのか何か? 神様と自分との関係、愛の問題、永遠…。これは、統一教会だけが完全に突っ込むことができます。

信仰の道というのが、今生きている人生が、肉身生活の準備ではなく、永遠の世界の生活のための準備であるということが、間違いないという信念さえ持つようになれば、それは放っておいてもいいのです。人は、時日が経てば経つほど、四〇を越え、五〇を越えるほど、死ぬ日が近づくために、永生の概念が深刻になるのです。年を取るほどに、だんだん深刻になるのです。何の話か分かりますか?

愛というものは、年が多くなるほど希薄になりますが、永生の概念さえ突っ込めば、年が多くなるほど、だんだん深刻になるのです。それゆえ、宗教理念だけが、これから世界を料理することができるのです。邪悪な環境、混乱した変化がどれほど頻繁ですか? 頻繁に変わる環境を貫いて越えていき、どんな所で悲喜劇がぶつかってこようとも、永生の概念さえ徹底すれば、すべてが問題にならないのです。

それゆえ、問題は、永生という概念をどのように突っ込むかということです。それゆえ、皆さんが講義するときは、いつも愛の問題と主体・対象の概念を中心として、神様の創造原則が、永生を標準とした愛を中心として創造したということを講義しなければならないのです。この骨子を突っ込まなければなりません。

愛の道を通じて、神様が愛の対象であるアダム・エバを、愛のパートナーとして創りませんでしたか? それは間違いないのです。そのように創ったために、愛の対象をなして生きるべきなのです。それを言葉だけでなく、実感しなければなりません。また、体恤しなければなりません。

真の愛の力が、どれほど偉大かということだけ感じるようになれば、この道を行くなと言っても、行くようになっています。そうすれば、皆さんがあの世に行くのにおいて…。

それゆえ、いつでも講義するとき、主力を注ぐべきことは、どのように永生の概念を突っ込むかということです。それだけ突っ込めば、皆終わるのです。これを突っ込むにも、理論的にそれが的中するように入って、一致しうるときはですね、心にどかんと響き、体までいちばん近い級に一つになりうる人は、青少年なのです。

そして、一五歳以前には、堕落前の本性基準を百パーセント活用しうるときなのです。一五歳以前には、アダム・エバが堕落する以前だから、本性基準が生きているのです。それゆえ、青少年期前に、青少年時代に神様を知らなければなりません。神様を知ることによって、自分と神様との不可避の関係を知るのです。その関係が、なぜ不可避かということを分からせるためには、永生概念を突っ込まなければならないのです。何の話か分かりますか? いつもこれを考えなければならないのです。

これさえ突っ込むようになれば、我々統一教会の二世たちに、他の道を行けと言っても行かないのです。それゆえ、人を早く接ぎ木して、世の中を早く救って、すべて天国に連れていかなければならないのです。それが自分の所有になるのです。その持っていったすべてで、あの世で等級を決定するのです。ですから、天国は、今完全に空いているのです。全部空いていると見るのです。(一九九二・四・一五)