P.100

5)生涯はあまりにも短い

人間が何千年生きますか、何百年生きますか? 百年生きて、皆死んでひっくり返るのです。毎日そうしかけてやめるでしょう。毎日そうしかけてやめました。

数多くの歴史時代を経てきながら、多くの我々の先祖たちが死んでいきましたが、全体に良いこと、全体の利益を考えたなら、今まで百年以内に生きた人たちが、そのようにしたなら、千年が経ってもそれはそのまま残っているのです。そうではないでしょうか? ところで、これは個人を中心として、そうして全部滅びました。絶えず落ちます。全体を滅ぼしてしまうのです。

そのような人生の暮らしをしてきたために、問題が起きたのです。ここでいちばん問題になることは、今日の自分を中心としたこのすべての測定方向を、どのように全体測定方向に代替するか、自分第一主義を強調したのを、周辺、あるいは全体に利益になりうる面で、どのように投入するかということです。

ですから、中心存在、優れた人、立派な人を\皆分かるではないですか? 学校で見ても、初等学校だけ見てもみんな分かるではないですか?\前に立たせて、世話したり援助してやり、為に、為にと言って百年すれば、これほど上がって、その次には、これほど上がって、絶えず上がるのです、絶えず。しかし、互いに生きるといって全部こうしてみると、修羅場が繰り広げられたのです。

それで、個人主義、自体の利益を追求する、人生行路の出発をひっくり返して、打ち込めというのです。これを誰かが宣言すべきなのです。ひっくり返して打ち込むには、ただそのまま、何もなくひっくり返して打ち込んではいけません。

一つしかない服を着るのにですね、これを誰かが脱がそうとすれば、死んでも脱ぐまいとするのです。春夏秋冬、四季の服をサッとしておいて、今は春なのに冬の服を着たら、「これは冬の服だ、脱げ。今春の服を着るべきだ」と言えばいいのです。お分かりですか? 夏になったら、春の服を着る人には、夏の服を持っていっておいて、脱げと言うべきなのです。そのようなことを知らなかったのです。代替しうる、より価値があるものが何かを知らなかったのです。(二〇〇\九一)

この地上には父母がいて、師がいて、親戚たちがいます。この地には、そのような因縁があり、その因縁を結んでいくことができる道がありますが、霊界にはそのようなものがありません。霊界では、全部神様を中心としてすべてのために暮らすのです。位置が全部区別されています。それゆえ、上にいる人が下に来ることもできず、下にいる人が上に行くことも難しいのです。本来は、地上で完成してこそ霊界に行くことができるようになっているのが原理でしょう? 一度あの世に入れば終わりです。どうせ人間は死ぬでしょう? 死なない自信がある人、手を挙げてみなさい。いないでしょう?(はい)。

生涯の路程は、あまりにも短いのです。一生というものが、あまりにも短いのです。人の寿命が八〇年だとすると、あまりにも短いのです。霊界の時間では八時間にもなりません。永遠の世界の時間で考えれば、八時間にもならないのです。八分ほどにはなるか?

ですから、真の愛の力は偉大なのです。真の愛というものは、その速度がどれほど早いでしょう! 真の愛の速度は何と言いますか? 超々高速度です。「超」を百万と言えば超超超…。(笑い)先生が今アメリカに行ってきたのです。モスクワにも行ってきたのです。これは早いのです。(二〇五\六五)