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皆さんの心をフィルムに撮して、その写真を自分が見ると考えてみなさい。(一九\二六)
皆さんの生涯の中で、三分の二以上が口で言えない悲惨な生活を、もししたとするなら、その三分の二の生活をすべて取り除いてしまうことができるか? できません。取り除くことができないのです。これは、必ずついて回るのです。(三四\一三九)
蕩減がなぜ必要ですか?(復帰するためです)。復帰というものは、再創造でもあります。では、皆さんが一生の間、どのように価値のある生涯を残すか? ある人は「ああ、天国に行くには、年が多くなったとき、イエス様を信じて死ねば天国に行こう」このように言っているのです。(笑い)老木になって、正すことができますか? それは肥やしになる日が近いでしょう。
それゆえ、若い人でなければいけないのです。それで、二〇歳に入ってくるより、一五歳に入ってくるのが良く、一五歳のときよりも、赤ん坊のときから知って大きくなったというのが、もっと価値があるのです。そうして「私」というのがだんだん、だんだん…。空気がありますが、空気より軽ければ上がり、空気より重ければ沈むのとまったく同じです。分かりますか?
蕩減された人は、完全に空になったのと同じです。これを肉というものがつかんでいるために、ここでこれだけ除けば、いちばん高い位置に上がるというのです。では、どこまで上がるか? 神様が上がることができる所まで上がるのです。神様と対等な位置へ上がるのです。それで、神様がこの人をかぶったとしても、何の不便も感じず、むしろ喜ぶのです。自分にしがみついてくれるようでです。
神様がそのような方であるために、いくらそこで運動をしたとしても、差し支えがないのです。神様が笑えば、全部ハハハハとしきりに笑い、神様が緊張すれば、全部が緊張し、瞬間的に通じるのです。皆さんがそうすることができますか? 皆さんがそうかというのです。
皆さんの中にです。皆さんの皮の層の中に、水をいっぱいに満たしていますが、これが清い水ですか、泥水ですか? ここに砂粒がはさまっていますか、小石がはさまっていますか?(笑われる)大きな梅雨が過ぎた後に見れば、どれほど汚いでしょう。豚の子とか、何、牛の子とかいう、ありとあらゆるものが、皆流されるのです。それよりもっと汚いでしょう。皆さん、考えてみなさい。皆さん自身は違うか、考えてみなさい。
ですから、これを振り回して、皆濾過する必要がありますか、ないですか? それゆえ、濾過装置を経ていかなければならないのです。大変でも、左右を注意しながら、砂粒の間を貫いていかなければなりません。自分があっていいですか? 自分があれば、皆引っかかってしまうのです。水自体に砂粒のように汚い塊があれば、流れてみることもできず、そこに皆引っかかるようになっているのです。
皆さん、今霊界に行くようになれば、そのような装置、レントゲン写真のようなものに照らされるだろうと考えてみませんでしたか? 皆さんは、天国に行きますか、地獄に行きますか? どこに行きますか? これは、嘘ではなくて事実なのです。神様がこの罪悪となった人たちを考えるとき、そのような装置をして、そのような濾過装置を経た人たちを必要とするでしょうか、濾過装置を経なかった人たちを必要とするでしょうか? 考えてみなさい。(九七\六〇)