P.40

3.人間の生命の本質

1)霊的なものが人間の本質

ある一つの核心があれば、それを中心として回っている相対的な存在は必ずあります。陽子を中心として電子が回っているのと同じように、神様と人間との関係もこれと同じです。電子のような我々人間の心が、陽子のような神様の心の核心と関係を結んで作用しているため、神様が人間に対して復帰摂理をなさることができるのです。

このようなことを察してみるとき、我々が一人でも真理のみ言を探していくなら、我々はそこから神様の生命が躍動するのを感じて、神様の愛が和動するのを感じることができます。このように、真理の道を経て、神様の生命と愛を探していく道が、価値ある自分になりうる道です。

パウロが言ったのと同様に、世の中の光になることができる自分になったのも、中にある神様の愛のためだったことを知るべきです。

真理は、永遠不変の中心を備えたものです。では、我々はこの悪なる世の中で、どのように善悪を分別しながら真理を探していくべきなのか? 自分を中心とした心を捨てて、いつも低い位置に降りなければなりません。聖書でも、高くなろうとする者は、自ら低くならなければならないと言いました。

人間の本質は、霊的なものです。それゆえ、あの世に行けば、そのような人間の本質が、人のためになるようになっていることを、もっと実感るすようになるでしょう。ところで、人間は、どうして自分だけのためになろうという心で万事に臨んでいるのか? これは、すべての人間たちが、天倫に背いた天使、言い換えれば、サタンと血統的な因縁を持っているためです。(二\一三七)

今我々は、霊的なご飯を食べなければなりません、霊的なご飯。それで、霊的なご飯が分かりますか? 皆さんが、お腹が空いたとき、肉的なご飯と霊的なご飯と、どちらが美味しくなければならないかというとき、自分が生き残って神様の側に立つためには、霊的なご飯の味が、肉的なご飯の味よりももっと良くなければならず、霊的な力を中心として暮らす生活の味が、肉的な力をもって暮らす生活の味よりも、もっと美味しくなければならないのです。また、霊的な生活のその味が、肉的な生活より美味しくならなければなりませんか、美味しくなくていいですか?(美味しくなければなりません)。どちらですか?(霊的生活)。肉的生活!(霊的生活)。私は分からないのです。(笑い)皆知っているからそうなのです。「おまえはどうか?」と言うとき、どうしますか? お腹が空いたとき、お昼の時間になれば、「おい! お昼の時間だ」そう言うでしょう?(笑い)それ以上そのように深刻なときがありましたか?

さあ、このように見るとき、自分一人を中心として、肉的な味、ご飯の味、眠りの味、セックスの味よりも、霊的なご飯を食べて、霊的生活を楽しんで、霊的な愛を楽しむのがもっとましでなければなりません。そのすべての外的な味より、ましでなければなりません。しかし、皆さんは自信がないのです。(笑い)笑い事ではないのです。これが現実です。(一三一\二一一)