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2)肉身生活の貴重性

自分が解放されれば、神様が解放されます。それは合っていますか?(はい)我々の家庭が解放されれば、天国の家庭がそうであり、この地上がそうなら、天の世界が…。それゆえ、聖書に「地で結べば、天でも結ばれ、地で解けば、天でも解かれる」という論理も、このような二重構造の一体性を知ることによって、解明されうるという結論が出てくるのです。

今日、我々人間たちは、肉身を使ったこの期間が、本当にどれほど貴いかを知るべきです。神様も復活させることができ、宇宙も復活させることができ、すべての天下を統一させることができる期間は、肉身を使っているこの期間しかないという結論が繰り広げられるのです。

神様と万物を合わせても、この肉身世界と換えることができないのです。なぜそうか? 神様とこの宇宙を合わせても、肉身を持った人間がいなくては、完成ができないため、今日我々人間の体がどれほど貴いかを知るべきです。それは素晴らしでしょう? 我々人に欲があるなら、神様が欲のあるその前に何を願うだろうか? これを願うのです。それゆえ、自分の体を愛し…。我々の肉身は、宇宙をやっても換えることができないのです。聖書に言った「全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」という言葉も、それで成立するのです。(九一\一九一)

不完全な父母の世界、楽園から一二層になっていると言います。それを本然の位置に正そうとするのが、地上復帰と霊界復帰なのです。地上復帰とともに、霊界復帰が我々の七、八〇年の生涯にかかっているので、商売で言えば、これ以上大きな商売はありません。先生の青春時代はすべてこれをしようとして、過ぎてしまったというのです。実際に、知ってみれば、皆さんは幸福です。(一五\一四六)

今日、人間生活というものは、七、八〇年しかありません。七、八〇年にしかならないこの短い生涯路程において、歴史的に絡んだすべての善の圏を全部収拾するには、億千万年かかってもできないということを、心は分かるのです。

ですから、この短い七、八〇年の期間において、善の圏と因縁を結ばなければならないのが、そのように膨大だということを知るこの心、良心は、どれほどせきたてるかということです。死んではいけないのです。死ねばできないのです。生きている間、因縁を結んで、地上で祖国の主権回復をしてこそ、本郷の地を訪ねて、祖国の主権回復をしてこそ、天の主権者に侍り、その民とその国で生きていってこそ、天上天国に行くはずなのに、その世界に行けずに、その世界を眺められないこの心が、どれほどせわしいかというのです。(一五五\二七)

我々が霊界、無限の世界に行くようになれば、時間は永遠です。一度見るようになるなら、永遠について回ってみざるをえません。分かりますか? 一度やったと言うようになれば、永遠に残るために、永遠について回るようになります。

そんな場面が繰り広げられる世界になるなら、一度ひっくり返れば、百方が知って生きていくはずなのに、そのときの自分の正体をどのように収拾するでしょう? そんなことを考えてみましたか? それを収拾することができる秘法は、この肉身生活しかありません。これを正すことができるのは、このときしかないのです。それを正すのは、絶対自分のために正す方法がありません。分かりますか? 自分のために正す方法があるなら、統一教会の文先生が、今まで五〇年間絶対苦労しませんでした。(五九\五〇)

我々統一教会が提示する原理を主にして言う生活軌道は、千年万年過ぎても行くべきです。生きている間に、七、八〇年期間内に、四〇年期間内に行くことができるのに、この道を行けないようになるときは、億千万年の永遠の霊界に行って引っかかるのです。

皆さん、霊界があるということを知っているでしょう? 先生が霊界を知らなかったら、こんなことも分からないのです。霊界がどのように動いて、地上世界とはどんな関係を持っているか、世界のどんな宗教学者、どんな宗教指導者も、それを知らずにいます。先生の前には、誰も皆習うべきです。皆さんにそんな特権があるということを、皆さんは分かりますか?(一三五\二九七)