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二 対言関係

1 言葉の重要性

私たちの日常生活、また人生において一番重要なものは何かというと、言葉です、言葉。私たちは言葉で意思表示し、人に感動を与え、あるいは絶望を与え、興奮もさせます。言葉というものがどれだけ重要な働きをしているかということを、私たちはよく知らなければなりません。(九一・七三)

人が話す言葉は、その人自身を表わします。その人の実践を代わりに証明するのが言葉です。「信じる」という字は面白いでしょう? 「人」という字に「言」という字ですね。(一五二・四七)

私たちが話すといっても、そこには話す動機があるのです。話す相対がいなければなりません。話すのには必ず目的があるのです。(六六・二四二)

2 愛が込められた言葉

愛を中心として話せば、いくら悪口を言っても、何を言っても、ひたすら栄えるのであり、発展するのであり、宇宙が喜ぶのです。(九一・九一)

3 言葉と行動

考えが問題です。すべての人間の行動、言行のすべては、考えから始まります。正しい考えを持たなくてはいけません。話すにしても、その考えを通して話します。その考え、その伝統的な思想に自分を介在させることはできないのです。ここには、宇宙が介在しており、神様が介在しているのです。宇宙を代表し、人類を代表して話すのです。(一二六・二〇)

皆さん、世間ではよく「あの人は言葉がうまい」と言うでしょう。言葉がうまい人がいるという事実を私たちは知っています。しかし、言葉だけうまいのではいけません。言葉がうまいのと同時に行動まで備えた人が、すべての生活における合格者である、このように見るのです。

言葉が多いほうが良いのか、言葉よりも行動をするのが良いのかということが、私たちの生活において重要な問題です。これらの問題を中心として、私たちの人生において良い人なのか、悪い人なのかという価値が決定されます。

話すには、何を中心として話さなければならないか? 行動するには、何を中心として行動しなければならないか? 言葉は言葉だけ、行動は行動だけではいけないのです。全部神様の息子娘の位置に立って、神様の息子として話し、行動すべきであり、神様の娘として話し、行動しなければなりません。(九一・七三)

皆さんが話し行動するときには、すべてが天に属し、天に補充されうるように、今後行動すべきです。皆さんが友達どうしや兄弟、食口どうし話すときも、心が動くようでなければなりません。(九一・九六)

4 一言の言葉による被害

信仰者の皆さん、真実なる人、真に生きようとする人たちは、一言の言葉を過ってはいけないのです。(四五・二四七)

皆さんは言葉を一瞬のうちに使うけれども、その一言を過つと一年間は影響します。一瞬の間違いを、一年の間清算しなければならない羽目になるのです。(四三・一一一)

皆さんは心にもない言葉を使ってはいけません。絶対に使ってはいけません。引っ掛かるのです。天法に引っ掛かるのです。(九一・九七)

5 話を聞く姿勢

だれかがさっと話したとすれば、話した人と、神様と、私の間に三角関係が成立します。神様と私とその人の間の、この三角関係には必ず目的があります。それが四位基台です。神様と私とその人による三角関係は三点ですが、その三点が目的とするところを神様と私とその人がそれぞれ見た場合、一致するかということです。これが合わなければねじれていってしまうのです。ねじれていくのです。どんなに熱心に精誠を尽くしても、み旨に合わなければ気運がさっと抜けてしまうのです。

このくらいのことは祈祷しなくても分かるような習慣を、皆さんは育てていくべきです。最初に受けた印象を中心として鑑定しなければなりません。そういうときにその人が言ったことを神様が聞かれて喜ばなければ、そこには必ず相容れない役事が起こります。初めて会う人なのに腹が立ち、考えもしない悪口が雷のように出てくるのです。皆さんはこの段階まで行かなければならないのですが、そこまで行くには調整しておく必要があります。

ですから皆さんはいつも人に対して批判的な立場であってはいけません。ある人が自分に対してどんな感じを与えるか、つまり話さなくてもパッと会った瞬間どんな感じを与えるのか、その人が話す最初の語音とともに、自分の心がどのように動くかということを検討すべきです。言い換えれば、主体と対象との関係において、それが自分にとって合うのか合わないのか、その感覚の角度を調整して、私の位置はどんな位置なのか、神様が追求される線を描いて、そこにプラスになっているのか、マイナスになっているのかという問題を検討しなければならないのです。そして、それがプラスになっているというとき、そこに合わせて動くべきなのです。(四〇・八二)

ある人の話す言葉の内容が問題ではなくて、その人の言葉を聞いている人の最初の印象、最初の感情、その感じがどうかというのが問題なのです。これを常に自ら考えるべきなのです。ですから、だれかが話すときには、その言葉の内容について考える前に、その言葉を聞くときの自分の心と体がどのような感じを持っているかという問題をいつも自問自答すべきなのです。このようなことが習慣になれば、どんなことがあってもそれに接してみれば、良いことなのか悪いことなのか、自分にとってマイナスになるのかプラスになるのかが分かるようになるのです。(四〇・六八)

皆さんはもう、昔アダムとエバが、横から聞こえてきた言葉を分別することができずに堕落してしまったことを悟り、それを分別することのできる人格の完成者になるべきです。もしアダムとエバが天から与えられた本性によって、天使長の言葉を分別することができたなら、彼らは堕落しなかったことでしょう。(三・一六二)