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第五節 模範生活の実際

一 生活の模範

生活するうえで、模範的でなければならないのです。

1 主食

主食の問題について、最近見てみると料理を作るのも、ただたくさん作って捨ててしまう、これではいけません。分量に見合うだけの食べ物を作らなくてはいけません。二人いれば二人分に合うように作って、それを残さずに食べるだけきちんと準備しろということです。浪費するものが多いということです。

また、いつでも食べているということです。できるだけ食事のときだけ食べて、それ以外は食べてはいけません。水などは仕方なく飲むのでしょう。私たちはそうしなくてはいけません。そうしてどうにかして節約して、外国を助け、隣人を助ける運動を生活化させなければならないということです。それが必要なのです。

2 副食

主食の次は副食です。ここは主食が何ですか? 副食といえば何ですか? 韓国ではおかずになるのだけれど、ここは副食が何ですか? デザートも副食に入るし、果物も全部入るでしょう。全部入るのです。浪費になるものは使わないでおこうということです。このアメリカの人たちは、副食のようなものを買っておいて、いつでも冷蔵庫に入れて、パッと開いて…。だめなのです。間違いなくそれはいけません。食べるべきときに食べるのです、食べるべきときに。食べるべきとき以外に食べる習慣を捨てなければなりません。健康にも悪いのです。健康にも悪いです。

そして私たち統一教会の教会員は、リンゴや何かを食べるとき、持って歩きながら道で食べるのを私は望みません。皆さん、獣たちも歩き回りながら食べたりはしません。一つの場所で食べてから行くでしょう。歩きながら食べる獣がどこにいますか? ましてや万物の霊長である人間が…。鷲が飛びながら食べますか? 鳥が飛びながら食べますか? これがアメリカ社会に来てみると、西欧社会に来てみると、人が多い所でも食べていたということです。東洋世界ではそうではありません。それではいけないのです。食べるべきときに食べるのです。さっと食べて、その次にはお腹が空いても食べないのです。このような訓練をするのが健康にも良く、長寿の秘訣なのです。

朝においしく食べてお腹が空いたとき、お昼にもおいしく食べて、夜にもおいしく食べるべきなのであって、皆さんは、ひたすら二十四時間食べているから、おいしく食べるときがいつありますか? 何がそんなにおいしいのか、ということです。習慣的にそうなのです。それが良くないのです。それは健康にとても悪いのです。このようなことを私が教えてあげなければいけないのです。どういうことか分かりますか? 

先生もですね、副食とか果物のようなものを持ってきても食べません。わざと食べないのです。皆しわしわなとき下げて、また持ってきておくのです。それでも見はするけれど食べません。私がそうしているのです。バナナは真っ黒になるから仕方なく下げるのです。そういうのを見るときは、ファンダレージングのメンバーたちのことを考えて、あのアフリカ人が飢えて死んでいくのを考えるのです。なのにどうしてこれをつまみ食いするか、ということです。そんなことを考えるのです。そのような生活が必要なのです。

ご飯を食べるべきときに食べて、お腹がいっぱいで果物を食べたくなければ、持ってきたとしても食べてはいけません。次に食べればいいのです、次に。そして喉が渇いたとき、水も喉が渇いたとき飲むのです。ここの人たちはいつも人参茶だなんだといって、あれば入ってきてひたすら飲んでいるのです。すべてのものは水、水、水で補給して、絶えず飲んで小便をすると、また水を使うのです。ですからどれだけの国家的損害ですか? このようにして便所に行って、一日に何十回も水を流してしまうのです。これは国家的にどれほど損ですか。大変なことです。

このようなことをいって気の毒だけれども、先生はできれば小便をしても水を流さないようにしています。二回三回してから水を流そうとしているということです。このように考えているのです。気の毒ですけれども。アフリカとか、あの可哀想な人たちを考えれば、アメリカ国民は一人でも節約して、一日に一ドルづつでも集めれば、二億四千ドルになります。大変なことです。何のことか分かりますか?

それで私がお母様に小言を言われるときがあります。小便をしてなぜ水を流さないかというのです。一回して、もう一回して、二回してから流すのです。だからといって便所が悪くなるわけでもありません、小便器が。

さあ、これを一日に三回だけでもするようになれば、何リットルになるか考えてみなさい。何倍かになると大変なのです。そのように考えるのです。おしっこをして水を流さなかったからといって、それを悪口言うのではなく、このように建設的に考えるべきです。朝にして夕方水を流しても大丈夫じゃないかと考えるのです。そのかわり、洗うのを何日かに一度もっと洗えばいいじゃないですか。このようになれば、アメリカの資源がどんなに節約できるでしょうか。貧しい国よりも、世界でも豊かな国がこのようなことを奨励すべき問題ではないかということです。

だから先生は、毎日のようにお風呂に入ることに賛成しません。健康にも良くありません。三日に一回ということを原則とするのです。汗を流してどうしようもなくするのです。毎日お風呂に入ることがどんなに水をたくさん消耗するかということです。そうだからいいのか?

 良くはありません。健康にも悪いのです。「うっ! 先生は野蛮人だ」と、言うだろうけれど、野蛮人といっても良いのです。エデンの園の神様も、アダムもエバも野蛮人でした。昔に今みたいな便所がありましたか? 紙がありましたか? 何もなかったのです。ですからそのようなことは感謝して、すべてにそうでなければいけません。このようにしてでもこの世界を…。

この考えが良いのです。このように考えることによって、皆さんが世界をいつでも考えることのできる人になるので、このような生活的なことを中心として、このような思想的な観念を持つことが絶対必要だということを知るべきです。分かりましたか? どうですか? 先生の言ったことが間違っていますか? それは受け入れられるほどのものですか? 受け入れられないほどのものですか? それが嫌ならやめなさい。嫌ならやめなさい。

すべての面で模範でなければなりません。模範になるべきです。良く食べ、豊かな暮らしをするのは、絶対に模範ではありません。これを節制して必要適切に、避けられない必要適切な消耗をすることが模範的生活だということを知るべきです。

先生は聖日には仕方なく、公式のときにはこのような正装をするけれども、できる限り服を着るときネクタイを締めずに過ごすのです。家にいるときにはできる限り上着を着ないで、セーターのようなものを簡単に着ようとしているのです。西欧社会でネクタイの値段がいくらするかを考えてみなさい。これ、ピンまで全部合わせるとどれほど…。

さあ、それをしないで、ノー・タイ(No tie)で世界を考えながら一生を過ごした人と、ネクタイをして世界を考えることができずに生きた人が霊界に行くときは、だれが神様の前に近づくだろうか考えてみなさい。(ネクタイをしない人です)。分かることは分かるんだね。それが必要なのです。

それで今先生は、古い靴を隠してしまったのを私がもう一度出して、はたいてまたはいてこのように…。だからといってレバレンド・ムーンは悪い、という人がいますか?

統一教員が「ああ、それ先生が間違っている」というと、そいつらの統一教会は滅びるのです。どうですか? そう、先生の言うことは良いことですか、悪いことですか? 世界を考えつつ生きることが貴いことなのです。

ですから主食副食は、ご飯を食べるとき、食事をするときにですね、しっかりとそのときだけ食べるのです。だからといって、いつも命令するのではありません。どうしてもそれが食べたいときには、食べることが罪だとはいいません。食べても良いけれど、できるだけそのようにするのが健康にも良く、また習慣になればとても楽なのです。

皆さん、見てみなさい。断食をしてみると時間がどれほど長いか知れないでしょう? なぜそうなのかというと、三度の食事を食べるのに、たくさんの時間を取られていたということです。また精神的にですね、りんご一つ食べようと冷蔵庫を開けてのぞいてみたり、コーラを飲もうと行ったり来たりするその精神的消耗がどんなに多いでしょう。食事のときだけに食べる習慣が必要なのです。そうすれば病気にもならないで健康になるのです。

男がそうなら女がそのように指導してあげて、健全な面に引っ張ってくるのです。女がそうなら男が指導して、健全な生活規範を立てるのが良いだろうということです。

3 飲料水

その次は飲料水です、飲料水。世界で飲料水の種類が一番多い所がアメリカです。一日に何ビン飲むかというときに、それも決めておかなくてはいけません。できるだけ決めておかなくてはいけません。これからは飲料水を飲むときに、先生のみ言葉を一回聞いた人はですね、「一回世界を新しく考えて飲みなさい」。このように考えなくてはいけません。先生は水が一番好きです。水の味を知っているのです。水がとても良いのです。さあ、このようなことすべてできるだけ節約すべきです。

ここ私のうちでも、そうでなくても問題が起こったのです。ただ全部飲料水を置いておくと、いつのまに持っていってしまうのか、これは朝でもそうだし、昼は除いてですね、いつもそうしているのです。それではいけません。暇だったら一日中ただ飲んで、また小便をしに一日中便所を行ったり来たりして、なぜそうなのかということです。なぜそうなのか? 考えるべき問題です。考えるべき問題だということです。考えなければいけない問題なのです。

どのように考えますか? 考えるべき問題です。考えなくてもいい問題ですか? お金が流れていくと、絶えず考えなさい。そのように考える必要があるのです。このようなことを皆さんが考えるべきなのです。そうして世界を考えながら、後代を考えながら、未来を考えながら生きる人たちは、絶対に国が記憶し、世の中が自然と記憶し、天が記憶する人たちであって、すべて忘れられてしまう人たちではないということを知るべきです。

そのような観点から見るときに、このようなことを知って、これを考えていこうという先生の指示は、正しい指示だということを知るべきです。ですから水が悪いのなら、水の代わりに良い飲料水を一つ選んで、それを飲めばいいのです。それは水の代わりに飲むのですね。

4 環境改善

皆さんが住んでいる環境を改善しなければいけません、環境を。家の中と外を…。この頃だれかが、あれは何だ、イースト・ガーデン・ケイハウス(K・House)、橋の近くにある家に行ってみると、そこに入ってみたら、全部豚小屋みたいにして住んでいというのです。この野郎! 私が一回行って見なければと思うのです。

きれいに整頓して、服を掛けるのもみんな原理的に掛けなければいけません。男の服は右側、女の服は左側。分かりましたか? 服を置くとしても、男の服は上に置いて、女の服は下に置いて、それが原理的です。全部にそのような訓練が必要なのです。皆さんはこういうことを初めて聞くでしょう? このようにしなくてはいけません。それでムーニーは違うのです。男の服をみんな下の引き出しに入れて、女の服だけを上に入れるようになったら、それは何ですか、それは? 原理に違反するのです。

さあ、服を脱ぐときも、ズボンを先に脱いで上着を上に置くのであって、上着を先に置くのではありません。全部そのような訓練をしなければいけません。このような原理的な生活で、環境を整理することを知るべきです。男の靴は右側、女の靴は左側、また二間しかない家に住むときもですね、男の靴は上に、女の靴は下に、それを全部原理的に整理することを知らなければなりません。分かりましたか? 

女性たちは服を着るとき、どんなものから先に着ますか? 上着を先に着ますか、下から先に着ますか?(上着からです)。女性は下から着るのが原則です。原理は下から着るのです。男性ももちろんそうですがね。けれども、男性は時々上着から着てもいいと思います。それが原理ですか、原理的ではありませんか?(原理的です)。そうなのです。皆さんはそういうことを全部知って、生活から整理しなければなりません。原理が生活哲学だということを知るべきです。

ですからアメリカの食卓、西洋の食卓を先生はこのような観点からさっとみるのです。これ何、全部合いません、合わない。だからそういうことを考えて原理的な基準を中心として、主体と対象という概念を中心としていつも考えながら、皆さんがすべての宇宙の秩序に歩調を合わせることのできる生活様式を採らなくてはいけません。

さあ、このように種類が二つあるときですね、どれを右側に置きますか? 二つある物を置くときは、主体、高い物を右側に置いて、安い物を左に置かなくてはいけなくて、その次に大小の物を置くときには、大きい物を右側に置いて、小さい物を左に置かなくてはいけません。それが原理です。それが訓練されるべきなのです。

これをみるとき、センターには大きいものを置くべきであり、周囲に小さいものをいくつか置いて相対を…。それで美術がこのような基準ですべてのバランスを取らなくてはいけないのというのです。そのようになっているのです、すべての物が。ですから、木もセンター一つを高くすることによって、それが大きいもの、それ以外のたくさんの物がバランスを取るのです。すべての物がそのようになっているのです。そういうものを全部、自然法とともに適用することのできる思考方式を持つべきです。

さあ、女たちは服を着るときにですね、濃い色を上に着て薄い色を下に着るでしょう。さあ、赤いのを上に着ませんか? それがすべての自然の道理なのです。そういうとき、この足はどうなりますか? 足はそこにまた相対的な関係を考えるのです。下に薄い色が来れば、足はもう少し濃くして、全部ハーモナイズ(Harmonize:調和する)するように考えなければなりません。だから芸術も発達するのです、芸術も。

5 住居生活問題

イ)電気

電気です、電気。電気問題です。夜寝ていても、明かりをつけて寝ているというのです。そうではいけません。明かり無しでは寝られなくなってしまったら、全部真っ暗にしてでは寝られなくなってしまったら、仕方ありません。習慣が病的なものなら寝てはいけません。そのような人は夜寝ないで、昼に寝なさい、昼に。人は夜寝るようになっているのであって、昼に寝るというのはみんな病気です。

住宅があれば、住んでいる家では電気管理を上手にしなければいけません。だから先生が出かけるときはですね、電気をさあっと見て、明るくついていれば行って消してから出かけるのです。そのような習慣を身に付けるのです、そういう習慣を。ここまで降りてきていても、思いついたら行って消してから降りてくるのです。そういうものが必要なのです。特に外出するときは絶対に必要です。絶対に必要なのです。そう、それが必要じゃないですか? アメリカの二億四千万がそうだったら、どれほどの消耗かということです。

ロ)水道

アメリカの人たちはですね、顔を洗うとき水道を出しておいて、歯を磨いて顔を洗ってトイレを使って手を洗うときまでそのまま出しっぱなしの人が多いのです。ひげそりをするときも、サッと使って止めるのです。全部にそのような習慣が身に付かなければいけません。皆さんはどうですか? 皆さんがどれだけ浪費をしているかということです。生きるのに、どれだけ無駄な浪費をして生きているかを考えろというのです。

私は最近ですね、便所に行っても水を使わないことをわざわざ訓練しているのです。使わないで出てくるのです。アフリカでは、洗う水がありますか? ウォッシング・ウォーター(Washing water)があるのかというのです。アメリカで洗う水、ウォッシング・ウォーターを一年間使わずに、アフリカの人たちを助けてあげるならどれほど良いことでしょう。アメリカ人が洗わなかったからといって、それは神様の知ったことではありません。どうですか。私の手から糞の臭い匂いがして、糞がついていたとしてもそのようにしろというのです。私たち統一教会の教会員たちは、一日に便所に十回行きますか? 二時間に一回行くと、一二回も行くことになるね。水をどれくらい使っているだろう? バケツに一杯使うとしたらね。ではアメリカ人たちが一日だけ使わないとしたら二億四千万バケツなのです。二億四千万バケツです。それをお金にしたらいくらですか? 五〇セントとしてもいくらですか? 一〇セントずつ、一〇セントずつとしてもいくらかな?

 いくらですか? 一日に一〇分の一だね。一〇分の一だから二千四〇〇万ドルが出てきますね。じゃあ、一日に二千四〇〇ドルで一年だといくらですか? 一年だと? 一〇〇日ならいくらですか? 二〇億でしょう。六〇億に相当するお金を、世界のために助けてあげることができるのです。一年に六〇億というお金を世界に分けてあげたら…。この膨大な消耗を考えてみなさい。(一一七・一四九)

ハ)電話

その次には何ですか? 電話です、電話。電話が来ると一日中ひっついて、一時間でも二時間でも…。ある日私がベルベディアに行ったとき、一月の電話料金が四八〇〇ドルでした。だから「だれが電話したんだ。すぐに処置しなくてはいけない」と叱ったら、それが一八〇〇ドルに下がりました。このように消耗が大きかったのです。無駄な電話はする必要がありません。どうですか? どのように考えますか? 毎日妻と夫が座って「アイ・ラブ・ユー、アイ・ラブ・ユー、今日はどう?」こうやって毎日しているでしょう? 朝にして、夕方にして、毎朝毎夕方…。それは必要ありません。「アイ・ラブ・ユー」は一カ月に一回でも十分です。一カ月の間、朝夕に「アイ・ラブ・ユー」といって変わっていくよりもよいというのです。いたずらに、アイ・ラブ・ユー、アイ・ラブ・ユー、即座的にそういっても意味がありません。一カ月の間に「アイ・ラブ・ユー」と一回言ったらどれほど深刻ですか。涙をポロポロこぼすほうがずっといいのです。

どういうことが必要ですか? ご飯を食べながら、ただ「アイ・ラブ・ユー」という偽りの愛が必要ですか? 真実の愛が必要ですか?(真実なる愛です)。電話をかけないときには、一日に百回言ってもかまいません。大丈夫です。電話をかけて無駄な話をするのからそうなのです。それは考える必要があります。

ニ)家具

ああ、この家具を見るとですね、管理さえ上手にすれば一年一二カ月でも何年おいてもきれいなのに、一カ月もしないうちに、一年もしないうちに、机もごつんごつんと使うと故障してしまいます。そういうものをみんな貴重に思わなくてはいけません。貴重なら愛することを知るべきです。家具のようなものでも一生の間管理してもきれいなのです。そうすべきではありませんか? こういう考えを持たなくてはいけません。家具を愛さなくてはいけないのです。

家具もですね、一番初めに作られた状態から、傷をつけられたら気分がいいですか?

皆さんもみんな年を取るのがいいですか? さあ、皆さんは年を取るのがいいですか? 老けてしわしわになるのがいいですか? しわしわになったらいいですか?

ですから先生は、できるだけ一つの所に置いたら、そこに置いたまま使うのです。それがピシッとバランスを取っているため、移動するのが嫌なのです。女たちはこのようなものを好みません。扱ったり、持ち上げたり、割りもします。女たちは、全部ハーモナイズにしておいて、それを見ながら芸術品として鑑賞することを考えないのです。そういうことを考えないのです。全部おもちゃだと思うのです。そういう装置を一つの美術品と見ずに、おもちゃと見ます。おもちゃだと考えるでしょう? それは間違っています。どういうことか分かりましたか? どういうものが貴いものですか? そのような考えが必要なのです。それが必要なのです。

ホ)備品

写真とか、何だ、アクセサリーのようなものですね。色々なおもちゃ全部…。女たちも良く見てみると、頭まですべてが備品です。このネックレスも備品だしね。これ全部備品です。写真のようなものも備品だし、全部…。それも必要なのです。動物のようなものも強い動物と弱い動物がいると、強い動物は上にいて弱い動物は下にいるでしょう? みんなそのように考えて、そのような構造に合わせることを知るべきです。さあ、高い物だけがそうなのではありません。自分の品物を見て自分がどんなタイプだとか、どういうタイプを作るのかということを全部サッと見たうえで、そのまま合わせなければいけません。その次にはすべての物を管理しなくてはいけません。

ヘ)美化

美化を考えなければなりません。パッと座ってみたときにすべての物が一つになったと考えられて、すべての物が調和をなしてですね、「一つの芸術的な部屋だ」このように考え、「そのような中に私が住んでいる」。これが必要なのです。

6 衣類

その次には着ることです、着ること。これが問題です。これが問題なのです。美しく着るのがいいですか、美しくないのがいいですか?(美しく着るのがいいです)。格好良く着るのがいいですか?

さあ皆さん、「衣類」というときに、男のスーツのボタンが落ちてはいけません。落ちてはいけないのです、全部。曲がっていてはいけないのです。ある人は四つついていて、ある人は三つついていて、というのではいけません。絶対にいけません。そのときはボタンを一つ切ってでも、三つに合わせなくてはいけません。女たちはそれを知らないといけません。夫が服を着るときに、管理することを知らなければなりません。

最近はですね、このアメリカでジーンズをはくけれども、全部このようにはかなくてはいけないのに、このように…。

だれがそんなことをしたかというと、商売人たちが品物を売るために大きくしたり小さくしたり、長くしたり短くしたり、広くしたり狭くしたりするのです。それを知るべきです。流行ですね。商売人がすることを知らなくてはいけません。商売するそこにだまされるのです。流行というものにだまされて生きているのです。私たちムーニーは、ファッションを好むものではありません。中道を行くのです。世間の人たちは上がったり下がったりするけれども、私たちはそのまま行くから平均的に損をしないのです。他の人たちが煮たり焼いたりするのなら、私たちは少しだけして、ただだれかがカットをしたら髪を少しだけ手入れしたりするのが必要なのです。

流行はだいたい三年すれば、また戻ってきます。何年か過ぎればそれがまた戻ってくるのです。ですから仕事もなくただ遊ぶ人は、そのように時間を過ごすけれども、私たちはいつそういうことができるかということです。ですから先生は服なんかを買うときには、できるだけセールシーズンに買うのです。サッと見て。アメリカの生活はですね、アメリカでは、お金のない人でも生活できるし、お金のある人でも生活できるし、お金のない人でも素晴らしく生活できる道がセール市場を利用することです。

セールシーズンを利用すれば、いつでも流行の服を着ることができるということです。分かりましたか? 一年分だけ準備しておけば、夏が来れば春の服をセールで売るから、そのときは季節が過ぎてしまっていても、次に一年過ぎればいつでも春の服を着ることができます。安くですね。いつでも流行の服を着ているのです。何のことか分かりましたか? それはとても節約になります、節約。二年分を買っておいても、その季節の値段の三分の一で二年分を買っておくことができます。このようになるのです。一年分、普通の人の一年分で持って二年分を準備しても余るのです。

私はこの前スーツをお母様と一緒に行って、セールで買ったのだけれども、六五〇ドルの物を一七〇ドルで買ってきました。イタリア製なのです。それを着ていくと、だれが見ても安物には見えません。分かりましたか? 二年分だけ持っていれば、どんなシーズンにも必要な服はすべて揃えて着れるし、一年の間に流行の季節に乗って買うその値段でもって、二年分準備しても余るのです。

先生はこのニューヨーク地域の家具の商店、衣類の商店、品物の商店全部を良く知っています。私は物を安く買います。私は安く買う所を良く知っています。ですから「レバレンド・ムーンは安物ばかり買い歩く」と言うけれども、安くても格好良いものを買うのです、恰好良いの。

あるときはお母様のコートを買ったのだけれども、それが四〇〇ドルから五〇〇ドルに近いものだったのが、セールで七〇何ドルでした。その服の襟が良いのです。その襟がとても良くてそれを買ってあげたのだけれども、初めはまあ悪く見えたのが、ずっと着てみるとだんだん良くなっていくのです。そういうものを選ぶべきです。四季の間いつでも嫌にならない物を、着るほどに良くなっていく物を選ぶべきなのです。そうして着始めると、いつでもそれを着て歩きます。とても楽で、何にでも合うからいつでも…。そのようなものが必要です。ネクタイのようなもの一つをとってみても春夏秋冬、一年中締められるネクタイを選ぶべきです。そうしなければなりません。それが必要なのです。

私は服一つでも惜しむ人です。私はリンカーン・リムジンに乗って歩きながら、マクドナルドのハンバーガー屋さんを探す人です。なぜ? 私ゆえに死の道を走っている世界の若者たちがいるために。私が借りを作ってはいけないのです。借りを作ると滅びるのです。借りると滅びるのです。借りを作って責任者が巻き込まれないわけがないし、借りを作ってその国の主権者が巻き込まれないはずがないのです。このようなことを知っているので、借りを作らないために、必死の努力をしている人なのです。

ですから、衛生国家の地下で活動している信徒たちが監獄につながれながらも、先生の言葉を聞いて死を誓い自決してでもその位置を死守するのです。このようなことを知っている私がどうやって…。私は食堂にもあまり入らない人です。

イ)服の着方、着用法

さあ、服を着るときにはですね、相対的です。上着をですね、アメリカ式はどうやって着るのかといえば、アメリカの人はこうしてこうやって着ます。(動作をしながら語られる)それは大丈夫です。東洋式はどうするのかというと、韓国式はどうするのかというと、こう上から着ます。このように着るのです。(動作をしながら語られる)これが違うのです。西洋と韓国はこのように違うのです。

皆さん、男たちがこのように着るのを見たことがないでしょう? このようにしてですね、こうして…。(動作をしながら語られる)アメリカの人たちは、下ろしてから上げて着るのです。これが違います。それはどのようにしてもかまいません。服を着るときに、皆さんは手の指を全部このようにしてこう着たら、ズボンはどうやってはきますか? ズボンをはくときは、右の方を最初に入れるのが相対的に合う、このように見るのです。上に着ようとするときは好きなように着てもいいのです。二つともこのようにして上から着ればです。相対的だから、これが上にあればどのように着てもいいのです。それがすべて原理的な生活です。(動作をしながら語られる)

人が歩くとき、手がこのように相対的でしょう。そうじゃないですか? この手をまず離せば足をこのようにして、上からまず離すと…。(動作しながら語られる)どんなに忙しくても、いっぺんに二つの足両方とも離すことができますか? そういうときはいっぺんにいかないのです。そうやって整理しておくべきです、整理。整理をしておくべきなのです。習慣が結局…。

皆さん、昔はですね、伝道する人が毎日のように靴下を履き替えることができますか? ただ、さっと脱いでさっさと始末しておくのです。そうしていると、この右足がこのように左足に行ってしまったら、気持ちが悪いのです。もう一度履くときに右足がこれで、左足がこれでという習慣を…。このようにしてさっとすれば、こうやって置くとか、こう置けばこのような状態なのです。そうすればどちらなのか分かります。履くときに右足に右の靴下を履けば習慣になるのです。そうなれば寝て起きて、それを拾って履けば良いのです、この習慣がピシッとすればですね。それが必要なのです。

そして皆さんが外に出るときも、必ず右足から外出するのです。帰ってくるときは左側から来なければなりません。決めましょう。決めるのです。このようなことが必要なのです。これから全部原理的にそういう規範を作らなければなりません、規範。皆さんはそのように見ることを知らなければなりません。すべての物が一組になっていて、どのように調和しているのかを考えるべきです、上下のすべての物を。そうじゃないですか?

この鳥たちも一組になっているけれど、すべての物が合わなければならないのです。だから皆さんが服を着るのも、服を着る礼法に合わせて着る習慣を身に着けなくてはいけません。だからといって皆さんにこうしろというわけではありません。皆さんが丸くなって、原理的な観ですべての物を処理できなければなりません。

ロ)服の形

この西欧社会の服の形です。仕事をするときと、客としていくときと、遊ぶときと、違うのです。ですから社会の基準を中心としてそれを合わせなければ、失礼になって落伍者になるのです。

さあ、ですから服の形をちゃんと整えなくてはいけません。ここの腕を出している女たちも自分で考えなくてはいけません。腕が細い女が腕を出すと、とても見苦しいのです。そういうときにはこのくらいだけ出しなさい、このくらいだけ。そうしないと後ろから見たとき見苦しいのです。そういうことを考えるべきです。また、あまりに太っている人は、長く見えるように着なければなりません。それは太った人も同じです。太った人もこれを皆隠しなさい。それを考えるべきです。その形が必要なのです。太っていて気持ち悪い顔をして…。

形が必要なのです、形。太った人は形をどういうようにしなくてはいけないかというと、色の濃いものを着るべきなのです。薄いのを着るともっと太って見えます。そういうことを考えられなければなりません。形が必要だというのです。この太った人たちは、あの女性みたいにお腹がこのように出ていると、歩くにも大変です。そういうときにはどのようにカバーするかを考えるべきです。お腹が出ていたら、上が下より大きくてはいけません。ですからそういうことも考えて、できるだけ色の濃い服を着るべきなのです。

またできるだけ、太った人は絶対に頭を大きくしてはいけません。頭を小さくして、靴を履くときもできるだけ小さく狭い物を、小さく見える物を履けというのです。これが頭も大きく、靴もこんなだったら熊みたいですよ、熊。事実ですよ。だけど、一つでもちょっと小さいという何かがあれば、他の人が見ても「ああ、それでも足は小さい」と、同情でもするのです。

そういう人はですね、太った人はネックレスをするにしても大きくしてはいけません。できるだけ小さくて細いのをしなくてはいけません。イヤリングをするときも小さいのをするのです。大きいのはいけません。それを全部考えるべきです。こういうことは私が小言を言わなかったけれども…。ワシントン・タイムズをレイアウト(構成)するとき、全部私がしてあげました。それはすべて道理にかなっているのです。分かりましたか?

そして太った女は歩くとき、こうやって歩いては愚鈍に見えます。だからできるだけ正しく歩かなくてはいけません、正しく。そうでないと愚鈍に見えます、愚鈍に。できるだけ足を小さく踏み出すのです。太った人はそうすべきです。それが必要なのです。形が必要であり、その次には何か?

ハ)端正

端正でなければなりません。女たちがボタンのある服を着たときにはですね、一つ、二つ、三つとこうしてここまで下りてきてはいけません。開けるときにですね。必ずここまで。そうなのです。男たちもそうです。男たちもですね、大体ここまで普通ボタンが三つついています。三つついているのをそのまま開けておくと、評価は完全落第です。一つをちゃんとしめておいて、二つだけ開けておくと「ああ、あの人はこうだから二つだけにしたんだな」と言います。それはすでに見る人は、端正にするためにそうしたのだと見ますが、三つとも全部開けておくとそれは落第です。後々には整頓ができずに、すべての物がばらばらになってしまうのです。

そしてあのシャツのようなものも、ここまで三つ全部開けておくとそれまでなのです。絶対落第なのです。それが必要なのです。また、女たちはきれいな服を着て座るときには、必ず整頓してちゃんと座るべきです。そういうものを端正にしなければなりません。端正にすべきなのです。

ニ)色の調和

調和です。色が必要なのです、色。特に女たちは、色をうまく合わせなければなりません。女たちは調和が必要です。絶対必要なのです。

ホ)ネクタイ

今朝は私はこれを締めたけれども、普通のときはネクタイを締めません。ネクタイを締めるのが嫌なのです。なぜ? 人類が死んでいくこのような実情を知っている私が、統一教会の教会員たちを指導する真ん中に立っている私が、そういうことはできないのです。さあ、皆さんはこのようなことを知るべきです。このようは話が、皆さんは分からなくてはいけません。実質的な問題です。一銭一銭集めていって、千年塔を積み上げて、後孫たちがそれを伝統として大切に受け継いで、自分の先祖たちの名前を誇らしげに詠むことができなければなりません。その姿が皆さんの将来に、希望の園の花になるという事実を忘れてはいけません。

ここでは、ネクタイはいくらしますか? 一ついくらしますか? みんなそれを世界のために使えば…。

私が南米にある国とアフリカにある国に行くときは、そのままで行くことはできないのです。準備をしてから行くのです。そうすれば通じるのです。

男においてのネクタイ! ネクタイの締め方は色々あります。それは良いのだけれど、これがこのように広がってしまってはいけないのです、広がってしまっては。だから先生はいつもここにピンを差すのです、ピンを。それを固定しておくといつでも固定されるのです。一日中でもピシッと固定されます。ワイシャツに差すピンがあるのです。ピンで固定しておくと、ネクタイが行ったり来たりしないのです。

ミスター・朴のネクタイピンが上がりすぎています。このくらい下げなければいけません。この線とこの線の間に来るようにしなければいけません。しかし、ここまで下げてしまうとどうですか? ここから見ても、人が見てもここにすれば自然に見えます。これが大体三分の一くらいです。これがあまり短くてもいけません。端がここまで来なくてはいけません。皆さんもこのようにすべきなのです。ネクタイの締め方が色々あるでしょう。見た目にも端正なのが…。自分たちが端正な品を持たなくてはならないのです。

そして男が歩くときは、きちんと歩かなくてはいけません。先生は普通の人よりここが少し高いのです。これは刑務所生活をしたからそうなのです、刑務所生活。いつでも右手を上げるからこのようになったのです、これが。習慣になったのです。だからいつでもこれを考えなければなりません。どこかに行くときは、自分がきちんとコントロールしなければならないのです。この人(通訳者に向かって)もそうなのです。下半身が下がってしまっているけど。下がってしまわないで…。自分の欠点を知るべきなのです、全部。

男がそうするのは、宇宙を代表して運動するのと同じことです。さらには、自分の奥さんを探しに行くときにはどうやって行っても良いけれども、自分の父母やあるいは地位の高い人を訪ねるときは、全部それを整えなければなりません。

ヘ)靴

その次には男でも女でも、靴が必要です、靴が。靴が必要なのです。どんな靴が良く合うかということです。服によって全部合わせて履くのです。大体靴は脱いで入るんですね。ここでは履いたままだけれども。東洋では靴を脱いで入ります。ですからその人をなんで評価するか。この靴を見て評価するのです。足がどれくらい大きいか、ということです。体があれくらい大きいから普通のサイズよりこのくらい大きいだろう、普通のサイズより大きいとき、これは泥棒の足、そのように評価するのです。

靴をサッと裏返してみて、どのくらい長く履いたのかを見て、この人はどんな行動をするのか、どんな歩き方をするのか、という性禀まで知ることができるのです。ある人はこのように歩いて、このようにすり減っている、というのを見てみんな分かるのです。これを見ては「この人は教育を受けなかった人だ」と、すぐに評価するのです。だから靴がすり減ったとしても、両方同じようにすり減らなくてはいけません。

ですから歩き方を、靴を見て色々なことを評価するのです。そう、東洋の人はサッと見るだけで、どのように靴を履いたかすぐに見て取るのです、どのように履いていたかを。足に対する関心が多いのです、足。足がどのような形をしているのか、結婚するとき、手と足をまず見ます。顔、手、足を見るのです。ここ西洋ではみんな胸を出しているから分かるけれども、韓国はみんな隠していて分かりません。お尻も分からないし。ですから手と足を見て評価するのです。表われている目、鼻、耳、口、手、足を見て、その次に話しながら笑う表情を見てみんな判断するのです。

ですから中国などで、足を小さくするのはそういう意味からです。そうじゃないですか? だから足が小さければ貴族と考えるのです。このように小さくなければなりません。手が小くて足が小さければ高貴な人、高貴な人とそういうのです。先生のような人は足が小さくないですか? 足が小さいのです。体が大きいのに反比例して足がとても小さいのです。手も小さいのです。そのかわり分厚いのです。そういうのを見て、もうすぐに判断することができるのです。皆さんそれは知らないでしょう。

ですから、女はこういうのが理想的で、男はこういうのが理想的だ、というのを平均的に見るときに、そのようなタイプをさっとつかむことができるのです。東洋思想は子供を産めなければいけないのです。すでに子供を良く産めるだろうというのは、すぐに分かるのです。

さあ、こういうことを見るときに、靴はきちんと履かなくてはいけません。しかも女たちも西洋のハイヒールのようなものを見て「あれはなぜハイヒールを履いているのだろう?」と言うとき、きちんと歩こうとしているのだろう、と考えるのです。女たちも歩くときはきちんと歩かなくてはいけません。放心していて、ちょっとでもこうなったら大変です。いつでも、一歩でも気をつけなければいけません。だからハイヒールを履いている女は浮気ができないと見るのだけれど、これはおかしいと私は思います。反対です、反対。さあ、靴をきれいに履けるようにしなければいけません。靴を愛さなくてはいけません。

ト)整理整頓

いつでもそれと分かるように置いておかなくてはいけません。仁進がですね、みんな見てみると本当に感心します。整頓がきちんとしているのです。ベットまできちんとしているから、そこに上がって寝たくないので他の所へ行って寝るのです、他の所へ行って。私はそれを見て「やあ、女はそういう何かがないといけない」と思うのです。皆さんもそうでしょう。自分が手入れした物を、美しく尊敬できなくてはいけません。皆さんもそうなのです。あるときに行ってみると、自分の妹の部屋で寝ていたり、そうしているのです。

そういうのは昔お父様がそうでした。机をきれいに片付けておくのです。一カ月過ぎてもだれかが触るとすぐに分かるのです。最近はお母様と住みながらそのような習慣を少し広げたけれども。そのような整備が必要です。いつでもそれを考えるべきです。ですから女の部屋、特別に自分でこのようにして入ってみても…。それではいけないのです。

この頃はこの外国の女たちがどのようにして住んでいるのかというと…。このようなことをすべて教育しなければなりません。分かりましたか、この責任者たち? そう、私は「あの日本が祝福を受けるのか?」と言うけれど、環境をきれいにして整理するのが上手だったからです。悪い霊人は悪いことをさせて、良い霊人たちは整備をきれいにして神聖にしろというのです。ですから、良い霊人たちがたくさん来て助けてくれるから、日本があのように早く発展したのではないか、と見るのです。

7 保管

どれだけ長く保管するか、ということです。それが必要なのです。

8 体の端正と品行

イ)頭

男も女のように頭をきちんとしなければいけません、頭。化粧をするのもそうだし、頭も自分が見て分け目を左にするのか、右にするのかを知るべきです。西洋もそうだし、東洋もそうだし、みんなこのように分けます。西洋風ですが、だいたい左側を分けます。左の分け目がいいのです。右側を大きくするのがいいのです。これをさらに女たちが良く考えなければなりません。

ロ)顔

顔はあるがままですが、その表情をどうするか? これは全部皆さんが習慣的に調整すべきです。

もし、歯並びが悪くて内側に引っ込んでる人なら、このように「ク」と言うときに、できるだけ笑うなというのです。そのようなことを全部考えるべきです。それはなぜか? 女がそうならば毒蛇、毒蛇の歯のように見えるのです。ですからそういう女たちは絶対に口を開けて笑ってはいけません。口を開けて噛まれたら大変です。毒がきついのです。女がそうだと、とても毒々しいのです。ですからそれが分かったときにはできるだけ口を開けないで笑いなさい。

また、歯がこのように出ている人はたくさん話すのです。たくさん話すのです。いつでも唇が開いていてたくさん話すから、いつでも開いたり閉じたりしているのです。ワワワ、というときにはできるだけ口を閉じる訓練をすべきです。それが必要なのです。自分の体の管理ができなければなりません。みんな、うまくしなければなりません。

笑うなら笑うで、ある人はこのように笑います。またある人は笑うときにですね、口をすぼめて笑う人がいて、すぼめて開いてから笑う人がいます。いろんな種類です。ある人はこうやって笑って、色々と…。じっくり見てみなさい。これはみんな違うのです。自分の顔を見て、品のある笑い方を研究しなさいというのです。

女は「ハハハ」と笑ってはいけません。女は花です、花。花が咲くときには音もなく咲くのであって、「パッ」と咲きますか? そよそよと咲くでしょう? そういう女が美しいのであって、「ハハハ」ではありません。ここ西洋の人たちは「ホホホ」と言うけれども、なぜそうなのですか? 男ならまだしも、女だとみっともないのです。絶対に、みっともないのです。それは本当にみっともないのです。いくら西洋の女といっても私たちムーニーはそうしないでください。

さあ、そういう訓練をすれば、パッと見ればそれがどういう種類の人なのか、教養がある人なのかない人なのかすぐに分かるのです。そういう観点から見ると、お母様はそういう人です。お母様に対して、先生はそういう小言をたくさん言いました。皆さんのような西洋の女だったら「ヒュー、何をいっているんだ。男だから何なのさ。私は私のしたいようにする」と言ったでしょう。お母様がそうしていたら、今東洋の代表的象徴にはなれなかったのです。そう、先生は面白いでしょう。先生はとっても面白い人です。

ハ)手の爪と足の爪

私が西洋に来て一番恐いのが、女が前に行くことです。爪を見るだけで危なっかしいのです。先生の爪はいつもこのように短いでしょう。これが必要なのです。ちょっと伸びても手の爪足の爪、全部切ってしまうのです。手足の爪を切るのが趣味なのです、趣味。手の爪を伸ばしている女は、働かないという女です。そうでしょう? ああ、それでタイプを打つときどのように打つのでしょう? 私はそれを見るとき道端にいる女だと考えるのです。お金をあげれば爪でもって「ヒュッ」と金をくれ、と…。私はそのように考えます。

それはなぜ? 仕事をする女にとって、どうしてそれが必要なのですか? またそれを伸ばすのに、どれほど時間がかかるかということです。私たちにはそのようなものは必要ありません。一回もやったことがなくて恨みになってしまうというなら、一、二回やってみても良いけれど、私はそれを望みません。愛する妻が手を伸ばしても、どうやってそれをつかむのかというのです。どういうことか分かりましたか? ですから手足の爪を切ることが重要なのです。また、女が靴下を脱ぐときに、足の爪がこのように長く伸びていてはいけないのです。この西洋の女たちが伸ばしたら、足の爪が痛くてだめですね。ハイヒールを履くとき痛いでしょう。

ニ)歩く姿勢

先ほども話したように、端正に歩くべきです。それが必要なのです。立って歩く姿勢の均整が取れていなくてはいけないのです。立って歩くときバランスが取れているかということを常に考えなければなりません。安全に歩かなくてはいけません。ある人を見るとこのように歩いて、あのように歩いて…。立っているときバランスが取れていないといけません。サッと立ったときバランスが取れていないといけないのです。そのようなことが必要なのです。

女がですね、腰が曲がってしまっては良くありません。男もそうですけれどね。ベッドで生活する女たちを見るとですね、胸がこのようになっているけれど、これはいけません。だから頭から正しく立てなくてはなりません。座るときも常に正しく座る練習をすべきです、男たちがです。また女も、座るときはお尻を打ち込むようにして座らなくてはいけません。そうすれば自然に慣れてくるのです。これができなくなればみんな腰が曲がってしまうのです。歩く姿勢が重要なのです、歩く姿勢。これが重要なのです。

ホ)座る姿勢

女がどこかに行って座るとき…。ここでは椅子に座るでしょう。東洋では女は絶対によりかかって座れません。男はそれが許されるのです。なぜならば、女はお尻が大きくて、座ると自然に楽になるのです。男はお尻が小さくて、胃が大きいから、このように…。ですから座るとき、特に女がよりかかって座ると赤ちゃんに支障があるのです。妊娠すると大変なのです。

ヘ)言葉

東洋では、女の声が塀を越えていったら、その家は滅びるといいます。男がわんわんいうと自然に塀を越えていくようになっています。女は声が小さいのです。妻は小さいのです。本来そうなっているのです。ですから塀を越えてしまうと原則と食い違ってしまうので、その女と一緒に住んでいると滅びるということです。またすでに女が話している声を聞けば、すぐに分かるのです。あの人はどのように生きるだろう、つらく生きるだろう、幸福に生きるだろう、愛を受けて生きるだろう、それが分かるのです。ですから女の声は重要なのです。そういうことを考えてもみなかったでしょう?

ト)寝ること

ここ西洋では、寝るマナーはどうなっていますか? うつ伏せで寝ますか?(横を向いて寝ます)。寝ること、寝るときどのように寝るかという問題を考えなくてはいけません。ぐっすり眠らなくてはいけません。眠りは安らかであるべきです。

いびきをかくのもですね、体格の大きい男がいびきをかくのであって、女がいびきをかいてはいけません。女はすやすやと小さくしなければいけません。女がいびきをかくと困るのです。そのようなとき、首を下げるほど音がもっと大きくなるのです。そうじゃないですか? ですからできるだけ、枕をこのように当てるのです。それが必要なのです。

女がですね、夫が寝ている所に入るとき、入ってくるなりこのようにしてはいけません。横にさっと入らなければなりません。横に入ってですね、皆さんの夫が先に寝ているのに、女がワッと入っていったら大変だというのです。そうっと横に…。それが必要なのです。

チ)健康

健康が第一です、健康が。どんなに具合の悪いところがあっても、風邪をひいても、健康な気持ちで…。自分の表情を見ても他の人が何も気付かないようにすることが大切です。健康な表情。何のことか分かりますか。少し風邪を引いただけで具合の悪そうな表情をして、ちょっと悪いぐらいでそういう表情をするなというのです。健康な表情で…。特に女たちがそうであれば、そういう女とともに暮らす男はおおいに慰められるのです。男が心配そうにしても、なぜそういうのですか、といいながら反対に慰めてあげることのできる健康な表情が常に必要なのです。