P.164 |
個人的に願いが成就されるときは、どんな時か? この時に初めて可能なのです。分かりますか? 皆さんの一家が、一族が、あるいは国民がいくら多くても、個人的に事を成すことができるときは、この時でなければ歴史上で他の時はないのです。統一教会が教えた道理が事実ならば、この時しかないのです。何のことか分かりますか? 前にも後にもない時です。
例えば、太平洋の中に投げた一粒の砂を、一度まっしぐらに入ってそれを指でつまみ取るよりも、もっと大変なことが皆さんの目前に展開されるのと同じです。天と地にある針の先を互いに合わせるのに、一度、二度合わせてみずに、一度でピタッと合わせ、その先が合うようにすることが起こっているけれど、それが容易なことかというのです。なんのことか分かりますか? これは前にもなく、後にもないことです。ここで結ばれた心情というものは、新しい理想時代の歴史の起源になるのです。新しい文化世界創造の創造の源泉となるのです。
それゆえ、これからは、幸福が他のところにあるのではありません。未来にはないのです。父母を迎え、兄弟とともに国を探し、世界を探せる時が最大の幸福点です。分かりますか? そのときが幸福の極致です。父母を失い、親族を失い、氏族を失っては、いくら成功したとしても、それは真の幸福にはならないのです。
自分が愛する父母とともに、愛する妻とともに、愛する子とともに、愛する民とともに、愛する人類とともに、愛する天とともに生きるのが最高の幸福ではないか。そのようになってこそ幸福の極致なのです。そのようなときは、この時しかないのです。 先生が行った後には永遠にないのです。何のことか分かりますか?
それゆえ、それは歴史的な起源とともに、永遠にその社会の起源になりうるし、人類の生活のモットーになりうるし、生涯の基準になりうるのです。その起源がここから出発するのです。
ここからいつまでも輝いていたものは、人類歴史に人格的な表象として登場するのであり、ここの功臣は、人類歴史を支配しうる功臣の表象として現れるのです。このように考えるのです。これは、夢のような話しなのです。事実でない、夢のような話しでしょう? 数多くの水蒸気が合わさって雲になり浮かびますが、その雲の中の一つの水蒸気のような、一つに水素分子のような分子が、自分とともにピッタリと合うのです。
人類歴史の時代において、人間が感じる感情を調和させてこそ生きられる、最高の希望の峰がここから決定されるのです。ですから、考えてみなさい。大学が問題ですか? 世の中の何ものも問題ではないのです。希望の峰が決定しうる瞬間はここからです。前にもなく、後にもない、輝かしい文化の起源がここから始まるのです。ここで功臣となり、孝行息子、孝行娘になるならば、青史にとこしえに輝くでしょう。(五一・二五八)
みなさんは、途方もないといえば、途方もない時代に生まれ、一度しかない因縁の中で呼ばれ、前にもなく、後にもない一度しかない歴史の流れの双曲線が、私たちの時代に自分一代の生涯の路程を中心として、交差するその頂上に呼ばれたという事実を知るべきです。
六千年の人類歴史において、堕落の歴史がいくら悲しく、いくら曲折が多かったとしても、今日この絡み合った人類万民を占領できなかったため、この理念の中で歴史的な復活が残るのであり、神様の恨みと、神様の悲しみが、ここで晴らされうるのです。これこそが、万国の万事を解決しうる起源になるという事実を考えるとき、皆さんはこのような時期に生まれたのを、何よりも誇りに思うべきでしょう。
皆さんは、自分の顔は何でもなく、自分の姿は何でもないのですが、皆さんの先祖たちが善の功績と基盤をどれだけ立てたのか分かりませんが、皆さんは千秋万代に輝く先祖たちの功績の因縁に従って、天が訪ね、助けてくれる、歴史上にたった一度しかない、皆さんの先祖たちが受けたかった恩賜を、全体に代わって代表的に受ける自分たちであることを認識すべきです。(四三・三三五)
統一教会の文先生に会った人たちは、人類歴史、人間世界の歴史路程に、初めて愛の春の光を呼吸できる時代圏を迎えました。(一四〇・三〇六)
人類の父母が一度現れるのが、歴史の願いであり、国家の願いであり、思想の願いであり、摂理の願いであるために、その父母が現れるときは、後にも先にもないときであり、歴史上に一度しかない、何と言うか、てっぺんなのです。狭いならば、どれだけ狭いでしょうか? 永遠な世界を考えてみれば、人間の人生というものは息を一度するのと同じことです。そうでしょう?
皆さんは、運が良くてそうなのか、福があってそうなのかは分かりませんが、どのようにして、この時代に生を受け、この一時に会い、統一教会に入ってきたのでしょうか? 統一教会にどうやって入ってきましたか? 皆さんをこの場に引き入れるまでには、数多くの先祖たちが精誠を尽くしに尽くしました。数多くの人たちが滅び、善が踏まれる立場で死んでいきましたが、その千の人、万の人の因縁を経て、回り回ってその因縁が天につながり、陽が昇る高い山のような立場に立ったために、そこで陽の光を眺めて集まったのが皆さんなのです。
この時は、人類歴史において、愛という因縁が出てくるとすれば、それは初めて出てきた時なのです。それゆえ、生命の価値を付与できる時があるならば、この時から始まるのです。国と世界の主権を、より価値ある内容に肯定させることのできる時も、この時しかないのです。この時は、歴史の起源であり、希望の焦点であり、万福の出発であり、永遠な生命の発源地なのです。そうすることのできる時です。(五一・三三五)