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1 現在が重要である
今日私が立っている位置は、一つの時代ではありません。三つの時代をつないでいます。過去の時代を代表した位置であり、未来をつなぐ位置です。今日というこの位置は、過去を代表し、現在にはこの世界が入っています。現在は人類の中心になるのです。現実というものは、過去の世界人類全体を代表する場であり、この世界を代表した中心点なのです。(六八・二二五)
私たちが一日一日生活するにおいて、この瞬間を考えてみても、その瞬間は現在としてだけつながってはいないのです。現在、現在というとき、この現在を切ってみると、必ず過去が現在の先端までつながっているのが分かります。今私が話しているこの瞬間、ここには必ず過去がつながるのです。また、この瞬間には未来、今私が考えている未来がつながっているのです。
このように考えれば、真の現在の起点はどこか? このとき、私たちは、一つの線で表示できるものと、線で表示できない観念的な境地までの現在を考えざるをえません。このような現在、なければなく、あればあるような現在の一つの点が、現在の一つの線が今日私たちの日常生活の方向を左右しているということは、恐ろしくとも、驚く事実であらざるをえないのです。
一日を考えてみると、そこには昨日があり、明日があるのです。一月を中心として見ると、先月があり、来月が来るでしょう。一年を中心として見ると、去年があり、来年が来るのです。青年時代を考えてみると、少年時代があり、未来の壮年時代あるのです。このように現時代を中心として見ると、過去の時代があるのと同時に、未来の時代がつながっているという事実を、私たちは否定できないのです。
今日というこの日、現在の位置というものは、過ぎ去る過程にあるとも見られると同時に、これから思いもよらない未来を迎える瞬間点にあるとも、私たちは考えられるのです。過去と現在と未来というものは、一つの点で動いているのです。それゆえ、その現在は、過去を否定する現在になりえず、未来を否定する現在になりえないのです。(六八・二〇四)
2 その日一日が重要である
世界人類が勝手にするのではなく、人類もある方向を…。皆さんが一日の生活をするには、このような方向です。このような方向をつないで…。そうではないですか? 生活は、このような方向で…。
それゆえ、皆さんは朝起きれば「今日はこのようにしなければならない。方向をうまく合わせて、線を引いて行かなければならない。一日の線を引いて、行かなければならない」と言うべきです。そうすべきではないですか? あるいは、一月の生活をするとき、必ず「このようにしなければ」と言って、線を引いておいて暮らすべきです。その線が徹底して、間違いなく、完全な線であるほど、その瞬間瞬間をつなぐ一日の中で、一つの瞬間瞬間を完全に引いていかずには、完全な一日と一月を残せないのではないか。完全な一月を残せないなら、そこから完全な一年が無駄になるのであり、完全な一年が無駄になる場合には、永遠な理念も無駄に帰結してしまうのです。(一六八・二一二)
それゆえ、信仰者はいつもその境地を眺めていくべきです。朝に立ち上がるとき、自分の心と一日の目標はどこに向かうのか、ということを考えて、立ち上がるべきです。そうして出発する朝よりは、夕方帰ってくるとき、あるいは一日を過ごしてから床につくとき「私は今日は良かった。今日はみんな行った。み旨の前の私の面目を立てられた。今日こそ、この一月に代わりえて、この一年に代わって誇りえる」と言える位置に立つべきです。熾烈な闘争無くしては、そのような位置に立てないのです。(二七・九八)過去が貴重か、未来が貴重か? 過去が貴重ではなく、未来が貴重ではなく、今日が貴重なのです?(四五・二四)
3 瞬間を守れ
問題は今日です。一瞬間の問題なのです。ですから、一瞬間を延長して、拡大して、一日一日を自分の側に立て直しておきましょう。その一日一日を積み重ねて、一月を自分の側に立てましょう。その一月を積み重ねながら、一日一日を自分が勝利したという基準で送るべきでしょう。
ですから、瞬間を守れ、今を守れというのです。神様は遠くにいらっしゃるのではありません。今喜ばれる神様を受け入れられない人は、永遠に喜ばれる神様を受け入れることはできません。今勝利の神様を迎えられない人には、勝利は永遠に遠いものです。
今が問題です。今を無視する人は、永遠な勝利の神様の世界を無視する人です。今、この瞬間というものは、永遠を判決する地点なのです。そのような毎日の瞬間が継続している人生行路に、私たちは立っているのです。それを悟るとき、切実に生きるようになります。一挙手一投足が、実に生命を懸けたものになるのです。(六五・二四七)
今皆さんは、若い時期にいます。そのように守られた青春の基台の上に、この青年時代をどのように送るのか? このとき、もし勝利の基台を成し置くようになれば、それは何十倍の孝の道、忠の道となるでしょう。今を守ってください! 今という時を守れないことによって、自分個々人が負債を負う人になってはいけません。すべて行うことに対して、嫌だとか、苦しいとか考えては、神様に面目が立ちません。神様は、本当にかわいそうな方です。
一瞬でも神様の勝利の基台を、世界復帰の基台を立てて差し上げなければならないのが、私たちの立場なのです。皆さんはそのような道を行くべきです。そのような道を行くようになるとき、神様は必ず皆さんに同情してくださるでしょう。ですから、瞬間を守ってください。今を守ってください。
特に一生涯の中で、輝く歴史を創造する青年時代において、今日を価値ある一日として守ってください。今日一日を忠孝として守らなければなりません。それは、生涯の絶頂を越えるような決定的な瞬間であるかもしれません。
それゆえ、眠るときにも、起きるときにも、そのような意識を持つべきです。皆さん、統一教会において、今の時間を守ってください。靴を履く時間にも、遊ぶ時間にも、休む時間にも、床につく時間にも、その一瞬を守ってください。この瞬間がどれほど貴いですか? どれほど貴い瞬間ですか?(六五・二四七)