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第三章 望ましい青年期

第一節 成和青年

一 青年期とは

皆さんのおじいさん、おばあさんを六〇代から八〇代と考えると、四〇代から六〇代は中年、二〇代から四〇代までを青年とするのです。(九六・二三八)

人間において、いちばん重要なときはいつか? 少年時代ではありません。青年時代を越えて壮年時代に入る、すなわち、二〇歳から四〇歳に至る期間が、いちばん大切なときなのです。人は二〇歳から三〇歳まで人としての本分の土台を磨き、そこに自分が隠居できる、確固たる基盤を磨いておかなければなりません。また、未来には、はっきりとした目的を中心としていける基盤を、環境的に備えなければなりません。そのようにできない人は、三〇歳を越えて四〇歳に向かうとき、無意味な人間、平凡な人間として生きるしかないのです。(二二・三一四)

神様は、今お忙しいのです。では、なぜ神様がそのようにお忙しいのか? 人間が地上にとどまれる時間が、それほど長くないためです。今皆さんは、近い将来に三〇代圏内を越えて、四〇代を見つめるでしょう。

人の一生を考えるとき、活動能力を最高に発揮できるときはいつであるかというと、二〇代から四〇代、または五〇代までです。この二、三〇年の間が全盛期なのです。しかし、四〇歳を越えるとその基準から降りていくのです。皆さんの中で、四〇歳を越えた人は、自分の肉身を中心として、静かに考えてみなさい。柳光烈、今四三歳か?(はい)。昔と少し違うと思わないか?(疲れます)。疲れるだろう?

昔は、いくら疲れても、数時間だけ寝れば疲れがとれたのに、年を取るにつれて、疲れが取れる時間がだんだん長くなります。昔は一〇時間ずつ働いた人も、年を重ねていくうちに、働ける時間が短縮されるのです。約三年単位で、一時間ずつ減っていくのが分かります。そのように考えると、三〇年後には一〇時間も短縮されるのです。三年に一時間ずつなら、一〇年で約三時間、三〇年なら約一〇時間も短くなります。ですから、もし若い頃一〇時間働いていた人ならば、二〇年だけ過ぎると働けなくなります。このようにしてほんど七〇歳になれば、そのときにはそれ以上働けないのです。その歳で働くというのは、ようやく管理ぐらいができるのであって、開拓とか、新しい建設的なことはできないのです。

このような観点から、皆さんがみ旨のために働けるときが、どれほどになるかという問題を考えてみるとき、皆さんは無限に悲しみを感じなければならないのです。(三三・一八五)

私たちが春を迎え、すべての自然において花が咲き、新しい葉が生えるのを眺めるとき、この春は、必ず冬を越した後に来るということを考えます。今、この春が過ぎれば、夏が来るということを、私たちは知っているのです。ですから今日、この春というのは、夏につなげることのできる準備の日であるということを、私たちは知るようになるのです。

私たちは、季節を見てもそのように考えることができますが、私たち人間に置き換えてみても、同じように考えることができます。若い青年を見れば、その青年から春のようなものを感じとることができます。その青年が、青年時代を終えれば、壮年時代が来ることを私たちは知っています。また、老年時代を経て一生の道を歩むということも、私たちは知っています。一つの時代の中で、私たちの一生を考えてみるとき、今生きているこの時代があるならば、次の時代があるということが分かるようになるのです。(六六・八五)