P.172

第三節 望ましい青年の生き方

一 出世よりみ旨が重要

現時代に生きている数多くの人たちも、出世することを願いながら、自分自ら世界的な欲望の圏を見つめて進んでいます。今まで人々は、そのようなことのために闘ってきたし、今現在もそのようなことのために動いています。私たち個人を考えてみても、そのような立場に処しているということは否定できません。

この時代を考えてみても、私たち個体は、出世を願い、勝利を願っていますが、それも世界的になるのを願うのです。(三〇・七三)

皆さんが出世をするにおいて「その町で有名になるのか、国で有名になるのか?」と尋ねてみるまでもなく「国で有名にならなければ」と言うのです。また「国で有名になるのか、世界的に有名になるのか?」と言えば、世界的に有名になるのを願うのです。(四〇・三一七)

本当に一度出世したい人は、手を挙げてみなさい。ここに、出世しようと入ってきたのか? そんな奴らは取り除くべきなのです。頭でっかちになれば、みんなその立場になるのです。純粋性がないのです。(一四五・一一)

私たちは、どのようにすべきか? ここに信仰者として対社会生活の問題が出てくるのです。出世を重要に思うのではなく、究極的な志を持とうという思考方式を持つのが重要なのです。

これからの世界は、若者たちに懸かっています。統一教会に入ってきた人たちが、すべてよく知っているようですが、先生が尋ねてみると、知らないことがたくさんあります。ある人は「際立ってそうする必要があるのか?」と言いますが、そうではないのです。(二七・五四)