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1 成和は大きな名前
今日の若い人たちは、これを知りませんでした。犠牲になる人は、必ず中心者になるのです。家庭において、孝行者はより犠牲になる人です。それゆえ、家庭の中心になるのです。国の愛国者は、より犠牲になるために、国の中心者になるのです。聖人の中でも、より犠牲になる聖人が、聖人の中の中心になるのです。これが真理であるために、この真理の道に厳粛に従い、すべての分野に和することができる人を作るべきだとして、「成和」であるのです。成和青年が何か分かりますか? 天と和し、人間と和し、万物と和することができる、そのような青年であるのです。このような青年が行く所には、新しい希望が芽生えるのです。新しい神様の希望が宿るのであり、神様の愛の力が加わるのです。このような、驚くべき事実を知って、どうぞ…。(一一三・三二六)
成和という文字に、大学生を付ければ、それは「大」の字でしょう? どうして「大」の字ですか? これは、天と地のために祝福するための中心であるためであることを考えるべきです。皆さんは、原理研究会の学生として、革新をするための主体的な存在です。それゆえ皆さんは、大学生として、大学を蕩減すべきです。大学は今のような状態ではだめです。これでは祝福を受けらません。言うだけ言えば、みんなできるのですか? 祝福も時が合わなければなりません。
では、学というのは何ですか? 知識のことでしょう? 何をするために習うのか? この頃の大学生は、とても露骨です。女の子たちに、なんのために大学に通うのかと聞くと「いい所にお嫁に行くためです」あるいは、「大臣の家の跡継ぎの嫁になりたい」と言います。そうではありません。このような風潮は、みんななくすべきです。勉強はだれのためにするのか? だれとも何ら関係がないのです。結局、自分自身のためにするのです。学校で一等になるのも、自分のためにするのであり、お嫁に行くのも自分のためにするのにもかかわらず、気分が悪いときなら「男のくせに」と、夫をにらみつけて、絶対にけんかに負けまいとします。夫が一言言えば、唇をブルブル震わせながら「私の知らないことがどこにあるのよ? 男だからといってみんな分かるの? 私は、力の弱い女として生まれたけれど、男に負けないくらい、うまくできるわ」と、言いながらどなり散らします。これではいけません。これは、自分自身のためであることにしかなりません。
勉強するのも、真の男性に会い、真の母親になるためにするのだ、というべきです。母親になるためには、まず国のために勉強すべきであり、夫を真の夫として侍る、真の妻になるべきです。このような自分になれなければ、真の夫に侍ることもできず、真の息子を持つこともできないのです。女は、真の妻になり、一つの家庭を主婦として、夫と百年偕老(夫婦が年を取るまで仲良く連れ添うこと)すべきです。
いい所にお嫁に行くために勉強するなら、大学出身者は、夫婦がみんな百年偕老すべきでしょう? しかし、百年偕老する人が多いですか、離婚する人が多いですか? 調べるまでもないことです。字を一字も知らない者たちが、もっと長生きするのです。このような意味で、成和というのは、大きな名前です。(二五・一〇九)
2 成和大学生が持つべき基準
今、大学街が滅んでいく理由は、アダム・エバが十代、すなわち青少年期に堕落したように、堕落しているためです。今はそのときの収穫期、すなわち秋のような時です。それで、世界的に堕落しているのです。先生はそれをみんな復帰しようとするのです。天理法度に従って、収拾しようというのです。分かりますか?(はい)。それゆえ、男はむやみに女の手を握ってはいけません。(二五・二〇二)
皆さんは、大学街の若者として、押し流されたり、始末に負えないごみのような連中にはならないでください。じっと座っても、環境が無視できない群れになるべきです。(二五・一六九)
一時期は、十時を過ぎれば、青少年は家に帰れ、とラジオで放送したでしょう? 大学生ならば、大学生として、その国の未来の中枢を担って率いていく人物になるためには、それに対する基準がなければなりません。それを中心として、行ったり来たりすべきなのです。皆さんが、原理原則を中心として、逃れれば悪の側ですか、善の側ですか? 蕩減路程で習ったでしょう? これは、悪の包みです。ここには、サタンが来るのです。先生は「サタンは買って(韓国語:サソ)乗る(韓国語:タダの連体形タン)からサタンだ」と思います。このような実感のこもった言葉が必要です。ところで、だれが買うのか? 自分たちが買うのです。皆さんが買った者たちなのに、頭を引っ張って上がっていくとは何ですか?(二五・二七〇)
今、成和大学生たちは、学校を卒業すれば行く道がはっきり決まっています。ですから、違うことを考えてはいけないのです。皆さんが、目、鼻、手などの体と、心を全部いいかげんにしてはいけません。一生を懸けてこの国を救うのに先陣に立ち、この世界にたいまつを掲げて立ち上がるべきです。ここから新しい歴史が始まるのです。(二五・二〇七)
知識層の若い学生男女が一つとなり、この民族の前に立つべきです。そのようになれば、この民族は瞬く間に復帰されるでしょう。
大学に通う皆さんも、すべて将来祝福を受けるべきです。原理的見解により、皆さんが行くべき指標がはっきりしました。この道を皆さんは、昔の先生の兄や弟の立場で、行くべきなのです。分かりましたか? イエス様が青春時代に民族と祖国に対し抱いていた、胸の痛む恨を解くべきです。皆さんは、イエス様が一人寂しく追われ追われて、荷物を包んだ、そのもの悲しい事情を踏み越えるべきです。そうして、サタンとの闘いの場で、陣を構え、君臨できなければなりません。これが蕩減解怨成就の規則なのです。
反対すれば、反対する人たちが滅びるのであって、反対される皆さんは滅びません。先生だけ信じていけば、皆さんは押し出されません。三年だけ克服してください。(二五・二一四)
3 卒業後、就職よりみ旨の道が重要
皆さん、「私」という存在を考えてみましょう。私なら私、皆さんなら皆さん自体を静かに考えてみましょう。「私」という存在が生まれましたが、この「私」という存在自体は、どこから来たのか? 曲折が多いことでしょう。考えてみてください。静かに座って考えてみるのです。「私」という存在がどこから来たか? 二〇代、すなわち、青年期にある自分は、過去から今までどのように歩んできたのか? 幼稚園から、国民学校から、中・高等学校を経て、大学まで来ましたが、今自分は、ここからどこへ行こうとしているのか? 現時点から見るとき、どこから来て、どこへ行くという過程があります。この過程は、人生において、どの道経なければならない過程です。(一五六・二五六)
今日、世の中の人たちは、何を見つめているのか? 大学を卒業した大卒者、彼らは月給をたくさんくれる会社や銀行に就職しようとします。最終的に見つめているのがそれです。それで、食いぶちの土台を築いた次に、素敵な女に会って、息子娘を産んで暮らせばいいじゃないか、といいます。そのように暮らして、何になりますか? 世界人類とか、何とかということは、眼中にもありません。(二五・二六三)
皆さん、大学を卒業したら、何をしますか? いくら稼ぐ月給取りになりますか? それは、鼻をかむほどにもならない、つまらないことです。そう、月給取りになって、その金に心を奪われ、僕の野郎になるのですか? 月給取りになろうという人、手を挙げてみなさい。ならば、ならないという人は、手を挙げてみなさい。これは何ですか? こうでもなく、ああでもないなら、何をするのですか? 月給取りにならないなら、何をするのですか? 月給取りになるまいとするなら、主人になるべきではないですか? 主人にならなければなりません。(二五・一六七)
近頃の若いやつは、よく見ると「就職、就職。何万ウォン就職。ああ、み旨が何だ、就職だ」と言うけれど…。彼らは、相手になる存在にもなれません。何、自分の就職のためにみ旨の道を行けないとかいう人は、そんな人は人の側にも入れないのです。それ、入れると思いますか? さあ皆さん、考えてみなさい。人の側に入れますか、入れませんか?(入れません)。それ、何、名前を付けるなら、何と言うか…。気分が悪いですか、いいですか? 気分が悪くてもしょうがないでしょう。「これは気分が悪い」と言うでしょうが、気分が悪くなければなりません。(六二・二〇五)
皆さんは、すべて青年です。今大部分の世の中の青年たちは、特に大学生たちは、自分自身を中心として、自分の国でどのように出世するか、または、自分の幸福な人生をどのように成すか、という問題を抱えて腐心しています。しかし、統一教会の若者たちは、そうであってはなりません。自分自身だけの幸福を考えるよりは、もっと次元の高い倫理観に立脚し、民族のため、世界のため考えるべきです。そのように、次元が高く、広い視野の幸福観を実践できなければなりません。皆さんは、このような中心的な使命意識を持つべきであることを、原理を通じてよく知っていることと思います。(二五・七九)