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第二節 青年とタイミング

一 今という時

今という時は、六千年の人類歴史の結実時代なのです。ですから、葉はすべて落ちるのです。(八二・一四二)

いちばん重要な時期、私たちが緊迫することを名付けて言うならば「最非常時期」であると言えるのです。このような言葉にも置き換えることができるのです、エマージェンシー・タイム(emergency time:非常時期)。(一二三・七五)

さあ、今の時は、どういう時か? 最後の時です。それほどに、すべてが混沌状態にあり、自分を収拾できない断末魔的な時代に臨んでいます。ここに神様がいたら、神様が対処できることは、これをどのようにもう一度救ってあげるかということです。このような問題を中心として考えるときに、その思想概念、自己を中心とした思想を、どのように全体を中心とした概念に戻すのかということです。これは、生死の問題を決定しうる重要な要因であるという結論を下しうるのです。何のことか分かりましたか?(一二六・一一二)

見なさい、今は紅海を渡る時です。その時と同じです。皆さんもそうです。自分勝手にやれば、滅びるのです。今は、ヨルダン川を渡り、紅海を渡る時です。分かりますか? 紅海を渡るときは、すべて自分勝手にやれば滅びるのです。(一三五・二〇二)

今の時は、そのような世界を成すべき時なので、モーセが身仕度をし、ヤコブが身仕度をし、アブラハムが身仕度をし、イエスが身仕度をしたように、私たちも身仕度をして、立ち上がるべきでしょう。何のために? 自分の国のためではなく、世界のために、ひいては天のために身仕度をすべきでしょう。(一一・二九)