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統一教会員を見てみると、ある人は、伝道に出かければ、それこそ外に出たとたんに、これといった何もないのに人々が弁当を持って従ってくるのです。人がぞろぞろくっついてきます。その人はというと、小学校しか出ておらず、人格をみても二束三文の値打ちしかありません。しかしながら、その人が涙を流せば、町中が涙を流し、その人が明け方に起きるなら、全体が明け方に起床してしまうというわけです。それは、この世で人並みに暮らせずに、犠牲的に生きた多くの先祖たちが天の福を受けられるという因縁に従って、その時点に生まれてその線を越えることのできる位置に立ったためです。天の運勢、天の昼の運勢を迎えることのできる位置に立ったためです。それゆえ、その人はどこへ行っても被害を受けることはありません。
しかし、その反対の人もいます。顔立ちも整っているのに、どこに配置されても非常に苦労する人がいます。それは、昔先祖が豊かに暮らしたためです。蕩減の道に踏み込めば、逆さまの立場にならざるをえません。それを抜け出して上がっていくには、ある期間が必要なのです。
それゆえ、この期間には邪気と困難がつきものです。それを克服できずに風呂敷を包んで行く人は、それ以上は絶対上がれません。統一教会員の中に外に出て伝道するのが大変だという人は、いくら統一教会を信じたといっても、運命の因縁を超越して勝利の場へと上がることができません。皆さんはそれを知らなければなりません。それゆえ、歴史も公平であるし、人類の運命の道も公平だと見るのです。
ある人は、自分一代で「ああ良い、ああ良い!」と、このように生きる人がいます。それはわずかです。このように見れば、「ああ、私は幸福な人だ。」と考えるのです。角度で見れば、こう、こう、このようになっています。ここを過ぎればこのくらい幸福です。
またある人においては反対になります。反対に入るのです。ですからどれ程不幸でしょうか?「幸福は、ああ…。」後にはもっと高くなります。これは歴史的因縁を蕩減するのです。
このように見るとき、こういうサイン・カ・ブ(sine curve)というものは、一人の個人がそうであり、一つの家庭がそうなのです。また、一つの氏族がそうであり、一つの民族もそうなのです。このカ・ブが大きくなるだけであって、民族においても同じなのです。世界を見れば、世界もそうだということです。このうち、一つが下がっていく運勢だとすれば、もう一つは上がっていく運勢なのです。サイン、カ・ブ、これは審判台です。堕落したために、人類は堕落世界で六千年間基盤を築いてから、やっと天国世界へ入っていくのです。
知恵深い人とは、どんな人でしょうか? なにはともあれ拍子を合わせる人です。宗教はそのようにしてきました。数千年の運勢を迎え入れよう! 数千年苦労してきましたが、一時にたずねてくる数千年の運勢を迎えようということなのです。ここから出発してこの期間に千年の運勢を迎え入れるのです。(五九・一四三)