P.53 |
一 一寸先は闇の人生
生活とは、一日一日のことであり、生涯とは一生についていう言葉です。人間の生活というものは、皆さんの生きる生活とは百年圏内に、一世代というものは百年圏内に入っています。そうではないですか? 百歳以上生きる人は少ないでしょう? 承道ハルモニは何歳でしたっけ?(九四歳です)。九四歳に亡くなりましたね? 知っていますか?(はい)。おそらく、承道ハルモニも百歳を越えて生きたいと思ったことでしょう。しかし、それは思いどおりにならないのです。
人生というのは分からないじゃないですか? 皆さんは、どのように行くべきかわかりますか? 一寸先は闇、というのが一般的にいわれていることです。人生において、生涯の路程を知って生きる人はいません。
例えて言えば、真っ暗な夜に知らない道をとぼとぼ歩いていく姿が人生だということができます。そのように表現できます。そうではありませんか、明日が分からずに行くのですから? 明日という日が光明ではなく、真っ暗な闇だとすれば、その暗黒の前途を歩いていく歩みというものは、私たちが朝目覚めてすべてを見ることができる今日においては、想像すらできないものです。人生を歩んでいくこと自体が、暗い深夜に足を運んでいくようなものではないかということです。
それだから生涯の路程というものは、どれほどもどかしいでしょうか? それを深刻に考えるなら、しっかりふさがれた鉄樽の中のように、窒息しそうな環境の中で歩む立場と同じであり、またそんな中で樽を押していくような生活をしているのが人間像ではないかというのです。一つの峠を越えれば、また一つの峠が現れ、二つの峠を越えてみれば三つの峠があり、三つの峠を越えてみれば四つの峠が現れ、それで終わりかと思ったら、更に大きな峠が次に待ち構えていた、ということです。(一七五・一九五)
出発において間違えば、思いがけない所に行ってしまうものです。それゆえ、船は大海を航海するにしても、出発した港から羅針盤を中心として、行くべき目的地に向かっての方向線を引いておいてから航海します。
それでは、人間が出発した港はどこでしょうか? 分からずにいます。羅針盤を持って彼岸の世界に到達できるように、目的地まで導く方向線はどこにあるのか? ありません。くねくねと好きなように行ったり来たりしています。こう考えるとき、人間は、いくら頑張ってみたところで、人間として終わるということなのです。(一七二・二八)