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私たちの人生を見れば、結婚前までは蘇生時代、結婚してからは長成時代、それから家庭を率いる完成時代となっています。根本がそのようになっているのです。(一二五・一六〇)
一日を中心として見るとき、朝は春の季節にあたり、昼は夏の季節にあたり、夕方は秋に、夜は冬に、それぞれ該当します。同様に、人間にも少年期があって、青年期があって壮年期があって、老年期があります。人間において、春の季節は思春期です。夏は三十代であり、秋は四十代ぐらいです。それ以降は冬の季節に入るようになり、冬至のときに該当すれば死を迎えるのです。すべての道理がそうなっています。春夏秋冬がそうであり、一日がそうであるということです。(三三・四〇)
個人を中心として見れば、個人には、青年時代があり、壮年時代があり、老年時代があります。では、人間として生まれた自分自身について見るとき、人生においていちばん貴い時はいつか? そういう時期があるはずです。若い青春時代が、自分の人生において運命を決定しえる時となる人もあれば、壮年期が人生全体の問題解決の時となる人もあるでしょうし、あるいは老年期にそういう時を迎える人もいることでしょう。
すべての人には、そのような全盛期が必ずあるはずです。また、青春時代なら青春時代における、そのような中心的な全盛期があり、壮年期なら壮年期、あるいは老年期には老年期においてもそのような全盛期があるはずです。その全盛期が何なのかを知って、時期を整理して見てみると、その時期がひとつの始点に置かれるようになることを、私たちは考えることができます。
例えば、高い山があれば、そこにはいちばん高い頂きがあるはずです。全体の山脈がつながって、すべてが一点に至る所がありますが、そこが最高の頂上であることを、私たちは知っています。また、山の分水嶺について見るときにも、この分水嶺が、ひとつの山のようになって、内外に境界を成すようになります。これと同様に、私たちの一生においても、そうした一点、また一線と同じときがあります。こうしたことについて考えるとき、人間の一生においてそういう時は果たしていつなのか? 私たち人間はそれを知りません。(三六・二一七)
私たちが生まれた後、希望に満ちたときとはいつか? 幼い子供のときが希望にあふれており、その次には青少年のときがそうであり、二十代、三十代は血気旺盛で、花に例えれば満開のときであるその時期が、香気を放って花咲くような青春時代が、いちばん華やかな時代です。四十代を過ぎて五十代、六十代になれば、皆 しおれていくのです。四十代、五十代には、しおれていきます。下がっていきます。そこに何の希望があるというのでしょうか。死が近づいてくるというのに?(一三七・二一七)
人の一生において最も重要なときがいつかといえば、生まれるとき、結婚するとき、そして死ぬときです。では、生まれるときは、どのように生まれるべきでしょうか? 正しく生まれるべきです。統一教会でいうには、心情の因縁を中心として生まれるべきです。その次には、結婚するときです。結婚とは、生きるためにすることです。すなわち、四位基台を成すためにするのです。このような宇宙の公法を地球上に立ててこそ、神様の摂理が成就され、人間の願いが成就されるのです。このような宇宙の法度が指向する内容を備え、その形態を備えるためのものが、家庭です。(二四・二三〇)