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一 人生とは短いもの
人間の命は限られています。一生生きても百年に満たない命を持った人間です。(一七二・二八)
さあ、皆さん、ご覧なさい。皆さんが約八十歳まで生きたとしましょう。そのうち、夜寝る時間を除けば四十年になってしまいます。半分に減ってしまうのです。寝ることも生きることでしょうか? 寝ることは、死ぬことと同じです。そうではないですか? 寝るのは、命が死んでいることです。それゆえ、二十四時間のうちで生きようと必死になっている時間は、半分に過ぎません。更にそこから、ご飯を食べる時間を一時間ずつ引いてしまえばどうなりますか? ご飯を食べるのに一時間はかかると見なければなりません。
さあ、またそのうちで友人のお祝いの日、近所のお年寄りの還暦祝い、だれかが死んだ日、その葬式をする日、ありとあらゆる日を皆除いてしまえば、人生において生きたといえる日は半分にもなるでしょうか? この間計算してみたら、生きたといえるのは七年と出ました、七年。その七年のうちで本当に生きたといえるのは何日になるかというのです。何日とは何事かということです。(四九・三三六)
神様と私たちについて見るとき、私たちは、いくら苦労したところで、たかが人生八十年、百年未満です。ですから、三万六千日です。皆さんが百歳まで生きたとしても三万六千日にしかなりません。三万六千日は、あっという間です。それを忍耐できないというのでしょうか? 忍耐できないのかというのです。神様は何万年、何億年を生き続けてこられました。人間界がどんなにそうであったとしても、神様は、神様であるがゆえに泰然自若でいなければならないのです。その中には数えきれないほどの事情がごった返していますが、泰然としていなければならないのです。(一二四・五九)
人生というのは短いものです。一生は本当に短いです。物心がついて、世の中の事情を知り、ああだこうだとやっているうちに、四十を越えれば五十となり、十年なんてあっという間です。十年経てばあっという間に六十になり、六十になればすぐに七十となり、私もじっと考えてみると、人生は一場の夢、という言葉が実感されます。(一三九・一五三)
生きるということは、人生というものは、何度もあるものではありません。一度だけしかないのです。一度ぷつりと(手を打たれる)なくなる日には、それっきり終わってしまうのです。(一三九・一五三)
私たちの一生というものは、あっという間です。そうでしょう? この短い一生が、永遠の尺度を左右するのです。これが延長されれば無限に延長されるでしょう? 反面に、これを折ればここから新しい天地が広がっていくのです。秤と同じように、上がったり下がったりするようになるのです。そのようになっています。(四六・一五五)
一生は、いつ終わるかわかりません。いつ、いつするのか? 自分はいつするのか、というのが問題です。今すぐ、今日、今日、今日これを皆満たしておいても、それだけではだめなのです。今やるとしても、ひっきりなしに流れて行くのです。今やるとしても、どんどん過ぎ去って行くのです。来年にでも、いつ自分が死ぬかは分からないのです。(一〇四・二九〇)