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私という存在は、父母から何を受けて生まれたのか? 生命の連結体として生まれた、とこのように見ることができます。そうじゃないですか? 父と母がひとつになる場において、父母の生命力の価値を持って生まれたのです。その生命力とは何によるものか? 愛によるものです。その生命力と愛とは、何のために? 宇宙の目的を完成させるためです。このようになっています。目的を完成するために生まれたのです。男性なら男性、女性なら女性としてのある目的、大宇宙の目的へ協助する者としての自らを完成するために、このような生命力を中心とした結合によって生まれたのです。(一一〇・七二)
なぜ生まれたか、人間は? 自分が、何か社長にでもなるために生まれたとするなら、それはあまりに悲惨なことです。「文なにがしはなぜ生まれたのか?」と、人がたずねるとき、「統一教会の先生になって大口をたたくために生まれた!」と、こう答えるのは、私は嫌いです。なぜこんなにやかましく大騒ぎするのですか? 世界をみんなぼろ布のようにしておいて、なんでこんなに騒ぐのでしょう。そんなに大騒ぎするのは他でもありません。神様の真の愛を探すためなのです。(一二一・一〇一)
私たちが生まれたのはどうしてでしょうか? 何のために生まれたのでしょうか?「愛のためです。」愛とは何の愛ですか?「神様の愛です。」うむ、神様の愛、神様の愛なのです。ここで「ドン!」と音をたてれば、神様の頭に「ピン!」と通じる愛なのです。皆さんが池に向かって何かを「ポン!」と投げれば、池の縁に波紋が広がるように、この宇宙の中に愛を「ポン!」と投げれば、全宇宙に波紋が生じるのです。何の話か分かりますか? そんな業をしているのです。皆さんが砂粒を投げるのか、それとも大きな波紋を起こすのか、が問題なのです。(一〇三・二五四)