P.38 |
人間は生まれるとき過って生まれました。本来人間は、神様によって創造され、誕生しました。人間は、神様によって創造されはしましたが、サタンによって過った生まれ方をしたのです。この世でどんなに優れた人であっても、神様によって創造された人間ではあるものの、血統においては、神の怨讐であるサタンの血を受けて生まれました。今日、一般の宗教は、こうした事実を知りません。それゆえ神様は、六千年の間、摂理して来られたのです。善悪の果(果実のような)を取って食べたことが罪となって、神様が六千年もの間、摂理して来られるでしょうか?
人間は、本来神様によって創られ、神様と因縁づけられているにもかかわらず、サタンの不倫なる愛によって、過って生まれました。それゆえ、サタンの愛によって生まれたなかったという、サタンが侵犯できない立場を経て、再び生まれなければならないのです。ですから、キリスト教の教理の骨子は、「復活」です。復活の宗教であるのです。復活は、すなわち新生の道理です。人間は過って生まれたために、もう一度生まれなければいけないということなのです。
今日まで、完成された人間は現れませんでした。それはすべてがアダムの堕落によって過って生まれたためです。この世でどんなに優秀で立派な人物であっても、過って生まれたのです。少し善であり、少し悪であるという差がありますが、それは微々たるものです。神様がご覧になられるときには、微かな差だというものです。
すべての人間は過って生まれたのです。ですから逆さまに復帰しなければなりません。このように逆さまに復帰しなければならないので、アダムから四千年の後に、堕落しなかったアダムを代身する立場で、イエス様が来られました。すなわち、サタンの讒訴圏を抜け出した立場、神様のみが主管できる立場で来られたのです。そうした立場を用意するために、神様はアダム家庭から役事をしてこられました。(一九・一九〇)