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五.民主主義の盲点

 事実、民主主義は体制であって思想ではありません。(一六八―一〇八)

 民主主義はこれから混乱するようになっています。思想的な支柱がないからです。(五一―二四八)

 民主世界を見るならば、「教会と政治は違うものだ」と言って人が前に立ち、神様が先に立っていなかったのです。いい面の皮だと言うのです。人が先に立ち、神様は後に従ってきているのです。そうできますか。誰が先頭にならなければなりませんか。(神様です)。憲法も神様の名によって、すべての家庭も神様の名によって、すべての教育も神様の名によって、すべてこのようにならなければならないのにそれもできません。(八〇―二九五)

 さあ、アメリカを見れば、このアメリカは民主主義の国ですか、何の国ですか。どのような国ですか。(民主主義です)。言葉は、「民主主義」と言いますが、事実は共産主義よりももっとむごいところがあるということを知らなければなりません。何がそうですか。人種差別です。分かりますか。そのような面においては、共産党から非難を受けるのです。レバレンド・ムーンを中心としても、国連総会で大使たちだけが集まっている所で「あなたの国に宗教の自由がありますか、ありませんか?」と質問すれば、「ああ、宗教の自由があります。ありますよ」と答えるのです。それでは、「レバレンド・ムーンにおいてもそうですか?」と尋ねると……。(笑い)それは何を言っているかといえば、人種差別に対しては共産党よりむごいということなのです。

 その次に、税金においても共産党よりむごいのです。共産国では、土地を全部分割してあげて、税金は三分の一しか受けません。ここでは、ある人たちは八〇パーセント程度を税金として納めるのです。何となれば、個人的な生活面で身動きできず抑留されているのです。

 また、法を重要視するのはよいのです。明らかによいというのです。よいにはよいのですが、世界的な大きな変革が来るようになれば、この国は本当に混乱するでしょう。さあ、法権を重要視するのですか、人権を重要視するのですか。どちらですか。(法です)。

 その問題が複雑です。民主主義とは法権主義ですか、人権主義ですか。それが問題です。(九〇―三〇八)

 この世界の中で自国だけを愛することのできる民主主義、これは既に実験を終えた世界的な末路に処したことが分かりました。自国を犠牲にしたとしてもより広い次元で一つの世界を追求する、天の主体のために自国を犠牲にしながらも世界を生かすための民主主義になることができないことは非常に悲痛な事実です。(六一―三四二)