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六.民主主義と共産主義との比較

 現在、民主世界と共産世界の両大陣営に分かれて対立している現象世界を眺めてみる時、この二つの世界は出発の起源が違うのです。また、目指す目的が違います。出発と目的が違いますが、経由していくのです。(四八―一四一)

 民主世界は心的なものを代表する世界であり、共産世界は物質的な面、体的なことを代表した世界として実を結んだ世界です。(七一―二四三)

 共産主義は唯物主義です。無神論主義です。神様はいないと言うのです。我々人間を中心に言えば、それは体主義です。体主義から出発したのが共産主義だというのです。人を造るときに心と体を造りましたが、体が世界的に実を結んだのが共産主義です。何が神様だ、体が一番だと言うのです。パンが一番だと言うのです。体が一番好む世界が共産世界です。

 反面、民主世界は心主義です。そこには、それでも、同情があり未来があります。また、そこでは平和を論じます。しかし、共産主義の理論は弁証法による闘争を主張します。彼らは、闘争過程が発展の要因であると言います。そこには平和があり得ません。理念が違うというのです。

 この共産主義は何かと言えば、終わりの日のサタンの妖術使いです。ここに引っ掛かれば……。見なさい。共産党はすべてのことを夜するでしょう。夜にします。秘密会議も全部夜にします。そして、地面に穴を掘って入っていきます。それは影を象徴します。しかし、民主世界は昼にするのです。ですから、その二つの中では、それでも民主世界がましでしょう。(四七―一一五)

 今、民主世界と共産世界が反対になっています。民主世界は天を探していき、共産世界はこのように反対に物質世界を探していきます。すっかり反対なのです。また、民主世界は個人を中心として、共産世界は党の組織を中心としています。すべて党が主管するのです。反対なのです。民主世界は自由と愛と平和を中心にしていますが、共産世界は脅威と銃刀を中心として強制的に主管するのです。二つの世界が今、はっきりと反対にできたのです。(一九八〇・五・一)

 今この世界を見ると、二種類の所有観念があります。個人的な所有に重きを置くそのような民主世界があるとすれば、全体的、国家的な観点で所有を重要視する共産主義があります。このように見るとき、個人主義に重きを置く民主世界にはその中に宗教がはまっています。国家の所有に重きを置くそのような共産主義体制においては、宗教と神様という観念は全くないのです。(九三―七一)

 宗教を代表しては民主世界があり、思想を代表しては共産世界があります。そのために、我々は宗教を代表しては神様の心情をもって出てくるのであり、思想を代表しては勝共理念をもって出てくるのです。この勝共理念は宗教を中心とした心情的思想と相反するのではなく、相応的な立場で出発したのです。神様から出発したのです。一つは内的であり、一つは外的です。そのような立場にあるのが現実です。(四九―一五二)

 今日においては思想戦です。神様を除いていますが、それでも良心を中心にする思想と、悪を中心とした思想が戦う思想戦です。それは興味深いでしょう? 

 共産党は全体主義です。それで民主世界はなぜ個人主義の世界なのでしょうか。それは、悪が主権を取って出て来るためです。ですから、善は個人主義として終わるのです。そうなるのです。これが悪主権の前に立てないというのです。そのために個人主義世界の終末が確かに起こります。(六〇―六二)

 共産主義と民主主義と比較すれば、どちらが神側に近いですか。共産主義はそれ自体が労働者、農民のためにと言いながら、独裁主権を主張します。民主主義を見れば、そのように考えないのです。お金をたくさんもっている人も良く、良心的な人も良く、農民も良く、みんな良いと言うのです。今、共産主義国家に住む人たちを見れば、みんなそこが良いと思って行ったのですが、この東ドイツにしても境界線をなくせば、共産主義者たちも継続して西側に入ってくるのです。ですから、境界線を引いた立場に立った人が悪いというのです。

 このように見る時に、共産世界より民主世界が神側に近いのです。共産主義者たちが、何であるかと言えば、ブルジョア階級に対してはすべて粛清してなくしてしまおうとするのです。救ってあげようという考えをしないで、なくしてしまおうとするのです。これを同化させなければならないという考えをしません。すべて処断するのです。そのことを知っていますか。(はい)。共産世界は「宗教はアヘンだ」と言うのです。全滅です。ソ連は今、作戦上教会形態を置くのです。それらすべては共産党指導下にある偽物です。形式的です。偽装戦術です。偽装のための宗教であり、その宗教を認定するのではないのです。「共産党が願うことを聖書以上に重要視せよ。そうしてから神様に侍りなさい」、こう言うのです。その境界線は何ですか。サタン圏内にあるというのです。(九〇―一五)