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四.民主主義の選挙制度の限界

 神側に属する国は正義の国であり、正義の世界です。一辺倒ということは妥協しないということです。今日、この民主世界と共産世界はどうですか。ごった煮の材料になっています。これはビビンバでもなく、何ですか。腐ってにおって、見苦しいです。今の民主主義の政策方向は妥協とか和解とかをするのです。神様は和解しますか。我々が神様を選ぶのにおいて、民主主義式に神様を設定しようということになりますか。人間が万能を主張できますか。メシヤを民主主義式に選び出すことができますか。それは杖のように、すべて正義の法を探していく過程において、選り分けて探していく過程において存在するものであり、絶対的ではありません。それは今、すべて消えていくのです。(一六二―一九〇)

 共産党を防御するには、民主主義をしては通じないのです。民主主義は通じません。民主主義をもって通じることができるかというのです。何年かごとに大統領を取り替えてはできないのです。できません。(八九―一三三)

 宇宙で一番尊いものは何ですか。アメリカで一番尊いものは何ですか。アメリカで一番尊いものが大統領夫婦ならば、その理由は何ですか。国の父母のような立場なので、そのような論理が成立します。

 それでは、その国の一番貴いものをいつでも取り替えることができるでしょうか。これが問題です。民主主義の大統領制度と昔の国王制度のうち、どちらが真に近いですか。(国王制度です)。民主主義を通して真なる王を探し出すならば、その制度も良いのです。

 中世の国王制度が民主主義に変わったのは、中世の王が本当の王でなかったためです。真の王を探すために、民主主義による大統領制度に変遷したというのはすてきな内容です。今日、アメリカが民主主義を中心としてすべてのことを体制化したので、夫婦間とか父母と子供の間にも民主主義式にすると言いながら、おかしな関係を醸し出しているのを見ることができます。神様を民主主義で選択することができるのかというのです。民主主義はよいにはよいのですが、根本的な問題を考えてみなければなりません。(一九八〇・四・二〇)

 今日、人間がつくった政治制度の中で一番良い制度と言うことができる民主主義は、多数の原則によって運用されていますが、間違えば悪用される憂慮のある政治制度です。(一九八一・二・二一)