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2)我々が先祖よりましであるべし

先祖がこのように生きてきたこの家の中に、自分の曾祖母、曾祖父が暮らしたその部屋に、うちのおじいさんを産んで、うちのおばあさんを産んで、自分を産んだその部屋に、おじいさん、おばあさん、曾祖父、曾祖母が愛したその愛より、もっと大きな愛を残すことによって、天が見るとき、愛でぴかぴか光るのです。百ボルト、千ボルト、万ボルト、何億ボルトの光がずっと輝くのです。その輝きは、光がどこにいくかというと、故郷に行くのです。上がっていくのです。先祖、先祖、先祖と…。霊界に行くようになれば、神様を中心とした天国に行くのです。その天国が、本来我々の本然の故郷です。我々の本来の父が神様でしょう?(はい)。

アダム・エバは、神様の体です。アダム・エバは、横的な父母であり、神様は縦的な父母であるために、我々が横的なこの体を脱いでしまい、縦的に還故郷して、天国を中心として永遠の王として侍って暮らすのです。その王が誰か? アダム・エバが堕落しなかったら、神様の体として和してその体を身にまとって完成して、この地上で神様の愛で直接主管圏と間接主管圏をつなげることができる責任分担を果たした人の王になるのです。そうすれば、神様は、そのアダムの心におられ、アダムの霊は、神様の体になるのです。一身になるのです。永遠に神様の愛と人間の愛をともに分けて、それを呼吸するのです。

それゆえ、神様の愛を受けなければならず、その次には、先祖になったアダム・エバの愛を中心として、誰がもっと本質的な愛に近いかというのが、あの世に行って修行していく永遠の路程です。(二一三\一九〇)