P.220 |
私が一つ話をすれば、そのような深刻な心情の立場で話をして、汗を流し、帰ってきて飲むその水の味は、世の中の普通の人たちは知らないのです。その味がどうだったか? コーラだ何だ、蜜の味とは、比較にもならないのです。その味が違うのです。毎回違うのです。それが何の話か分かりますか?
そのようなことも発見しなければなりません。そのようなことを感じなければ、霊感を感動することができないのです。霊界に対するすべてを感応することができないのです。そのようなことを感じるようになれば、耳が鋭敏になって、既にあそこで言えば、何の話をするか聞こえるのです。分析してしまうのです。目をつぶっていても、誰が過ぎ去るか、良い人なのか悪い人なのか突き止めるのです。霊感が来るのです。それを知らなくては、霊界の悪神なのか善神なのか見分けがつなないのです。それを知るべきなのです。見て分かるのではなく、心が分かるのです。心の目は、見て分かる目よりも、高次的な立場にいるのです。分かりますか、何の話か?
私がこのことを何故話すか? 皆さんは、まだ行くべき道が遠いからです。それを知るべきなのです。自信を持たないでください。それで、聖書には「心の貧しい者は幸いである、すべてを得る」と言いました。同様な道理です。皆通じる言葉です。分かりますか?(九六\一七〇)