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3)霊界から来た手紙

霊界がありますか、ありませんか?(あります)。ない!(あります)。このやろう、ない!(あります)。見ましたか?(見ました)。先生の言葉を聞いて知ったでしょう?(はい)。それが嘘だったらどうしますか?(本当です)。(笑い)本当なら、信じるなら信じなさい。この次に地獄に行っても、私は関係ありません。「ああ、先生に騙されてこのざまになった。」と言わないでください。天国がなければ、それもありません。ですが、あるならそうなのではないですか?「おい! 文総裁が天国がこうだと言ったのに、本当に合っている。」と喜びますか、喜びませんか?(喜びます)。目が丸くなって、鼻が皆曲がるほど喜ぶでしょう。

この頃、李相憲さんの奥さんのハンスクさんから、霊界から手紙が来たのです。それで、相憲さんが返事もしたというけれど、その手紙の内容が何かというと「霊界がどれほどいいか、祝福がこのようにとてつもないと思いませんでした。天国の皇族圏内に入ってきているという事実が、夢のような話です…。なぞなぞのような事実が繰り広げられました。とてもよくて、あなたより私が先に来たのが申し訳ありません。許してください」と言いました。夫より先に死んで、霊界に行ってみたら、統一教会を信じて行ったために、豪華絢爛な夢のような事実が繰り広げられたので、あなたよりも先に来たのが申し訳ないと言うのです。あまりにもいいからそうなのです。

我々のような人も、賢い人です。その世界がよく分かるために、そのプログラムに合わせるために、一生の間暮らすのではないですか? そうでしょう? 根元から来たので、根元に帰らなければなりません。

海を中心として、たまった水が水蒸気になって、雨が降り、川ができたのではないですか? ですから、本然に帰らなければならないのです。すべては循環運動を通じて生命が連続するのです。循環しなくなれば、全部元素に帰るのです。分かりますか?(はい)。

神様はどんな方か? それを知るべきです。神様は、この宇宙の存在世界の心のような方なのです。分かりますか? 神様はどんな方だということが分かったでしょう? 事実を知ってみればそうです。宇宙の心のような方です。

心が見えるか? 見えますか、見えませんか?(見えません)。皆さん、心を見ることができますか?(見られません)。霊界は心のような体が化した生活の世界ですが、これは時空を超越した所です。そこではご飯を思い通りに食べることができます。ご飯の心配をする必要がありません。水の心配をする必要がありません。飲料水の心配をする必要がありません。服の心配が必要ありません。すべてを超越します。お分かりですか?

そこに自動車が必要ですか? 自動車工場がありますか、ありませんか?(ありません)。食品工場、服の工場、織物工場があるでしょうか、ないでしょうか?(ありません)。皆ありません。そこでは、億千万里を瞬間的に往来するのです。何の力を持って? 愛の力を持って。愛する人に会いたければ、ずらりと現れます。

愛の速度というものは、最高に速いのです。愛の行く道は、直短距離を通じるのです。それが世の中の愛ではありません。神的な愛です。神的愛が何か? 真の愛です。真の愛の圏内に入るようになれば、直短距離を通じる最高の速度で行き来することができるために、宇宙を自分の考えの圏内の舞台で活動することができるのです。まったく嘘のような事実です。文総裁がそのようなことを皆知っているために、世の中の万事が、悲しい苦痛の谷の道を一人で行きながらも、開拓者の生涯を七〇の生涯を経てきながらも、恨まずに来たのであり、今も死ぬ日まで直行しようと決意をしているのです。

それで、死ぬようになれば、霊界の軌道があります。レールがあるのです。地上のレールと霊界のレールとは、国境を越える線路と同じです。これは狭くてもいけないし、高くてもいけません。合わなければならないのです。そのようなことが分かるのは、宗教の中で統一教会しかありません。いくらキリスト教が何だかんだ言っても、それは分かりません。イエス様が霊界の話をしましたか?

二〇世紀後半期、先端科学を誇るこの時代において、公式の発達の論理を追求する現時代において、公式的過程を通じた宗教的理論を通じて、神様を実証することができる内容を持った所は、統一教会しかありません。(二一〇\二二五)

今は、イエス様が反対された時代ではありません。韓国全体が文総裁の名前を、世界的な版図を持った歴史性を中心として、讃えることができる時代が来たために、皆さんは氏族的メシアの責任を果たさなければなりません。今、一族たちは、瞬間的に姻族の八親等まで復帰されるのです。何、六か月に一二〇家庭は問題でもありません。今このような兄の立場に立ったのです。天地が開闢するのです。おじいさんが孫になり、お父さんが息子の立場に立つのです。王になるようになれば、おじいさん、お父さんが全部、自分の先祖たちに侍らなければならないのと同じ道理です。メシアが王権を代表するのです。そうでしょう?(はい)。その国では、すべての聖徒たちが再臨して、キリストの名で王の役割をするのです。ですから、これは氏族的王権になるのです。そのようになれば、国家的世界の版図圏に、王権が同参することができる解放圏になるのです。それは言葉だけなのか、一度行ってみなさい。

今回、李相憲先生の奥さんのハンスクさんが霊界に行って送った手紙があるのです。「ああ、霊界に来てみたら…。祝福されたらこちらに上がってくることができるのです。天の皇族がなんのことか分からなかったけれど、今来てみたら、本当に…。相憲さん、あなたより私が先にこのようにいい所に来てごめんなさい。」と言ったのです。そのような所です。

そのような世界が、広大で永遠な世界の本郷に繰り広げられるのに、そこで活動地域を制限されて、方向感覚を失ってしまうかわいそうな行動をする男たちにしたくないから、ある高い大宇宙でも東西南北四方を自由に旅行することができる、明らかな解放圏を作るためにこうするのです。後代を準備するためには、何かを残しておかなければなりません。自分の後孫たちが、豊かに暮らすために、国に良いものを残しておかなければなりません。そうすれば、国の人たちが保護するようになるでしょう?(はい)。お金を残しておき、知識を残しておき、権力を残しておかずに、功績を、愛国的な功績を残しておきなさい。それが準備です。文総裁も準備しなかったら滅びたでしょう? すべて滅びろと言いましたが、皆滅びえない準備を鉄石のようにしたのです。ですから、滅びようとしても滅びないのです。(二一三\一四六)