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4)生霊体と入籍

堕落が何かというと、み言と実体と心情の因縁が離れていったのです。ですから、皆さんがみ言を知って、み言を実践しなければなりません。み言を実践するには、父母の心情を備えて動いていかなければなりません。この前言ったように、蕩減復帰の解怨をすることができる実体的な行動を経た立場でこそ、祝福してやることができます。それは言葉だけではありません。それが言葉だけであってはいけないのです。こうして、天の一族、言い換えればこの国の生命体になるのです、生命体。

今日言ったように、我々のこの生命現象において、霊形体と生命体と生霊体があるように、これらが霊界の反応的な現象なので、霊形体、生命体、生霊体と同様の因縁を…。そうすれば、そこにおいて、これから皆さんは何かというと、生霊体と同じです。それで、そこに入籍して入って、自分の位置を探して入るのが、復帰の路程です。ですから、今からは、皆さんが入籍するのです。

もしそのようにつながって、入籍される場合には、皆さんがいくら過って、いくら失敗をしたとしても、サタン世界で立てておいた法をもっては、処理できないようになります。世の中がそうではないですか? 今日アメリカ人たちを韓国の国法をもって処理することができますか? 国籍が違うからだめです。

そのような圏内に入れば、そこで処理する法を中心として、その国のその圏内の法を通じてのみ、適用するようになります。ですから、サタン世界の法は、一旦越えさえすれば、いくらどのようにしても適用されないのです。それに相応した蕩減的な条件を立てればいいのです。ですから、地獄は行かないようになるのです、地獄は。

統一教会の食口として、これから死なない自信のある人がいれば、手を挙げてみなさい。いつかは皆霊界に行くと思っていますか? 話してみなさい。皆一度は死ななければならないでしょう?(はい)。一度生まれたら、一度は死ななければならないのです。それは公式です。では、死んではどこに行くのですか? 統一教会の輩たちは、霊人体があるということを皆知っているでしょう?(はい)。その霊人体が育たなければならないのです。

これから、皆さんにおいて問題となることが何かというと、今、時が来れば全体が自分の自叙伝を書かなければなりません。これからそうする時が来るのです。統一教会に入ってきて、何をしたか、その記録の内容が何かというのです。ここにどこかの会社に就職して生活したその内容は、何の条件にもならないのです。かえって、統一教会に入って会社にいたというこの事実は、恥ずかしいことです。今にそういう時が来ます。

皆さん、これから入籍ということが起こります。南北が統一されれば、入籍をしなければならないのです。それで、宗族的メシアという言葉だけではありません。その内容と事実が問題なのです。そのようなすべてのみ言の内容が、これから自分の永遠な道を行くのにおいて、蕩減条件になるのです。あの世に行って、皆さんがその道を行くために、心で体恤しながらどれほど努力したか、努力だけでなく、実績をどれほど残したかということが問題になるのです。

皆さん、救いの道というものは、皆さんが今まで生きてきたそのままの習慣的生活を通じて、得ることができるものではありません。完全に蕩減の道を行かなければならないのです。救いの摂理は、復帰摂理であり、復帰摂理は再創造摂理です。それゆえ、再創造されるためには、堕落する前のものと同様に、本然の位置、ゼロの位置に帰らなければならないのです。

そこには、意識もなく習慣もなく、今自分が持っている金氏とか李氏とか、このような姓もないのです。そのようなゼロの位置に帰らなければなりません。天の創造本然の基準を考えるようになるなら、創られたすべての万物は、ゼロから出発したのです。

ところで、人間が堕落することによって、あってはいけないその内容が、天の道の前に反対となるその内容が、今日人間世界にいっぱいになっているのです。これを払いのけてしまわなければなりません。これを切ってしまわなければなりません。それが言葉ではできません。サタンの愛を中心として、サタンの生命、サタンの血統に因縁となって、すべての民族が歩んできた歴史的文化背景を中心として、互いに他の習慣性、あるいは風習が、まだらにいっぱいになっているために、これはそのまま除去されないのです。

それゆえ、聖書に死のうとする者は生きると言ったのです。歴史的な論理がそれで成立するのです。死のうとしてこそ生きるのです。自分の生命を投入しなければならないのです。それで、このすべてを漂白洗濯して、言い換えれば、蕩減して、復帰しなければならないのです。そのような過程が絶対必要なのです。そうでなくては、堕落世界で所有していた習慣性とか、罪悪性が残っている限り、天と関係を結ぶことができないのです。(二一三\九七)