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私が、一つ聞いてみましょう。皆さんの体と心を中心として見るとき、心がどれほどかわいそうですか? 心は神様の代わりです。心は烈祖、先祖たちを代表するのです。心は師を代表し、心はお上(国王)を代表するのです。ところで、これまでこの心をどれほど蔑視し、ぞんざいに扱いましたか? 宇宙の中心として真なる父母の立場にあり、真なる師の立場にあり、真なる主人の立場にある、真の愛を持った主体としておられる方の代わりとしてあるその心が、この地上において、自分一人を収拾するためにどれほど犠牲になりましたか?
ただ冷遇され、引きずり回されながらも、死んだと思ったのに悪い考えを持って、明け方に泥棒でもするようになれば、「おい、この野郎!」と、再び生きて忠告するのです。皆さんがそのような心を、どれほどもてあそびましたか? 心は父母の代わりであり、心は師の代わりであり、心は主人の代わりです。心の世界には、公判が必要ありません。皆さんが皆さん自身を、誰よりもよく知っています。第三者、証人は必要ないのです。
自分の父母を見るとき、堂々とできない自分、自分の師を見るとき、恥ずかしい自分、国のお上を見るとき、恥ずかしい自分、神様を見るとき、恥ずかしい自分、こうであるために、悔い改めろというのです。本郷に帰るには、悔い改めなければならないのです。本郷では、神様を王として侍らなければなりません。神様は、宇宙の王であり、国の王であり、氏族の王であり、家庭の王です。神様は、宇宙の師であり、国の師であり、氏族の師であり、家庭の師です。神様は、宇宙の主人であり、国の主人であり、氏族の主人であり、家庭の主人です。これが三大主体思想です。ここには、為にする愛、為にして忘れることができる愛の本質を持っているために、この三つ自体が、天を代表するのです。
自分自身が、その三大思想を全部備えるなら、最も理想的ですが、それを全部備えられなくても、真の父母の立場に立てば、師は右、主人は左に立つのです。それゆえ、この三つのうち、どの一つでも持てばいいのです。真なる父母になるとか、真なる師になるとか、真なる主人になるとか、ある一つの立場にだけ立つようになれば、天国の入籍は問題ないのです。皆さん、そのようになりましたか?(二〇九\一五四)