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皆さんは神様の愛を受けますか? 受けますか、受けられませんか?(……)。神様の愛は、世界を与えても換えることのできない世界的な愛です。そのような愛を受けてみましたか? これは私の骨の中の骨で、肉の中の肉だという愛を受けてみたかということです。
アベルになるためには、第一に、神様の愛を相続しなければなりません。神様の愛を相続すれば、世界を相続するのでしょう?(はい)。それで、皆さんがそうなりましたか? ところで、イエス様は、これをしたのです。しかし、天国は相続しましたが、世の中は相続できませんでした。では、世の中は誰が相続したか? カインが相続しました。それゆえ、世の中は、カインの国です。それゆえ、アベルは天国を相続した後に、世の中のカインが保証する領収証をもらわなければなりません。天国に行くには、サタンの領収証をもらって行かなければならないのです。
堕落人間は、この二つの原則に引っかかっているのです。このような原則が解けなかったために、今までの六千年の歴史が連続して反復してきたのです。ですが、今分かったのです。聖書を見ると「また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう(ヨハネ八:三二)」というみ言があります。分かったから、これを歯を食いしばってでも愛さなければなりません。どの程度まで愛すべきか? 怨讐であるカインまで愛さなければなりません。(三四\二七八)
人間が堕落するとき、神様の立ち会いの下にしたのではなく、サタンが主体になってしたので、サタンを屈服させなければなりません。「サタン、こいつ! おまえと組んで私がこのようになったから、おまえを屈服させて、私は帰る。」と言うべきです。それで、サタンを屈服させた証書をもらわなければ、神様の愛を受けることができません。イエス様も三大試練で勝利しました。歴史的に勝利したというサタンのサインをもらわなければ、天国に行けないのです。
天国に行くには、サタンの証書をもらわなければならないと教える所は統一教会だけです。既成教会とは質的に違います。彼らは、はっきりと知ることもできないのに、このように説明しています。「ああ、統一教会の文先生という人は、サタンの証書をもらってこそ天国に行くって。だからサタンだろう、何だ。」と言います。先生がそのように教えましたか? 彼らは、宣伝するのが本当に好きです。しかし、その宣伝に落ちる我々ではありません。どのようにしてでも、サタンのサインをもらわなければなりません。イエス様がサタンに三大試練を受けて勝利したとき、その立場でサタンが涙を流しながら、「あなたと私は永遠に違う。」と認めました。それを認めなかったら、自分の首がぽとりと落ちるのです。(二四\三三七)
皆さんはカインを愛しますか? カインはサタンです。サタンの息子なのです。その霊的サタン、実体サタンは、統一教会が憎くてしかたないと、ぎりぎりと歯ぎしりするのです。何、我々がご飯をくれと言ったか、餅をくれと言ったか、じっとしているのに、そう言うのです。ここに皆さんが引っかからないようにするには、カインを屈服させなければなりません。カインを屈服させるためには、終わりまでカインを愛さなければなりません。そのような人でなくては、カインを救うことができないのです。
それゆえ、皆さんが天国に行くには、サタンの領収証をもらわなければなりません。サタンの領収証とは何か? 罪人が釈放されるには、まず検事を通じ、その次に弁護士を通じて、判事によって釈放されるのです。このような立場で見るとき、サタンは検事であり、神様は判事であり、イエス様は弁護士です。サタンが「おまえはこれこれこのようにしただろう?」と言って、サッと罠にかけて、神様に「この人は、このようにしなければならない!」と言えば、神様もしかたがないのです。すると、イエス様は弁護士の立場で「神様、この人の先祖はこのようなことをしました。本来血統が悪くない人です。これこれの条件に引っかかったので、その条件に該当した蕩減条件を立てて、罪を脱がせてやらなければなりません。」と言うのです。このようなことをしてきています。
それゆえ、皆さんが天国に行くには、サタンの領収証をもらわなければならないのです。サタンを愛したという領収証をもらわなくては、永久に天国に行けません。それで、統一教会は、そのようなことをしようというのです。反対する人を怨讐として対すべきなのにもかかわらず、愛さなければならないとは、あきれたことです。怨讐を愛せというのです。彼らのために福を祈ってやらなければならないのです。そのようにしなければいけません。カインとアベルが一つにならなければ、復帰ができないのです。父母に帰れないのです。皆さんはこれを知るべきです。(四八\三一六)
今日、我々統一教会は、どのような立場に立つべきか? 今言ったように、穴を埋めることができる責任を背負わなければなりません。それゆえ、万民を代表した立場に立って、神様が万民を愛したい性急な心、不憫なその身上を持って、万民に代わって天の前に責任を背負って現れることができる責任者、そのような人でなくては、統一教会の教会員になることができません。
家庭を代表しても、そうしなければならず、氏族を代表してもそうしなければならず、民族を代表してもそうしなければならず、国家世界を代表してもそうしなければならないのです。そうしなければならないというのが、自分の言葉ではなく、天が容認し、サタンまでも公認せざるをえない決定権を持たなければなりません。言い換えれば、サタンの証明書をもらわなければなりません。このような話をすると「サタンの証明書をもらうとは、天の証明書も切れなかったのに。」と言うかもしれませんが、サタンが公認しなければなりません。「あなたたちは、この地に来て、神様の愛を復帰するために、歴史路程において個人、家庭、氏族、民族、国家基準を中心として、世界復帰路程において責任を果たし、それ自体を回顧するようになるときに、神様が願っていた愛の蕩減歴史を責任を持っても余りある」という証しをもらわなければなりません。そのような者にならなくては、神様の愛の世界において、息子娘としての相続を受けることができません。(一五八\三〇四)
今日のキリスト教は、歴史時代に数多くの人類とともに、悲惨な運命を開拓して、真のオリーブの木を探してくる歴史を経てきたのです。真のオリーブの木は、すなわち神様の息子です。その息子が来れば、その方の津液を受けて、枝をもらわなければなりません。その枝に自分を接ぎ木しなければならないのです。自分を切って接ぎ木したということを、サタンが見るようになるとき、歴史時代のすべての先祖たちが蕩減条件を提示して、サタンに引っかかって倒れ、今まで結ばれている歴史的な条件が、その場で全部なくなるのです。良い沃土、暖かいねぐらのような基盤の上でなく、砂利の多い土地のような所で、接ぎ木をされるというのです。すべての内容が、今までサタン世界にない本質と本性の内容を備えたものとして、新しい時代に神様の息子になりうるという証明書を、サタンからもらわなければならないためです。神様がしてくださるのではありません。神様が自由にしてくださるなら、六千年前に皆してくださったのです。
私の場合、刑務所から出てくるには、判事がしてくれるのではありません。では、誰がしてくれるのか? サタンがしてくれるのです。公判廷では、検事がサタンです。それゆえ、裁判の場で検事の公認を受けなければ出てこれないのです。それゆえ、サタンの公認を受けなければ、すなわち判事の正当な判決をもらったとしても、神様は「おまえは私の息子だ。私が生かしてやろう。」と言えないのです。必ずサタンの公認を受けてこなければならないのです。皆さんは、サタンの公認を受けましたか、受けられませんでしたか? サタンの公認を受けなければなりません。
統一教会は、何を教えてくれる教会か? サタン世界で公認を受ける方法を教えてくれる所です。ところで、サタンから公認を受けるとしても、霊的にだけ公認を受けてはいけません。霊肉を合わせた実体として公認を受けなければならないのです。(一七\一二四)