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人間の心は何を探すか? 本心が恋しがることができる、自分の真の心が探す…。心が真に近いのです。心は、それでも体よりは真に近いのです。良心よりも本心です。本心は、本来の天性に似なければいけません。それで、本心が恋しがる真なる中心を探さなければなりません。真なる父母がどこにおり、真なる兄弟がどこにおり、真なる家庭がどこにおり、真なる社会がどこにあり、真なる国家がどこにあり、真なる世界がどこにあるか? どこにあるか? ここになければ、不幸の中から出て、不幸の中に行く人生なので、これではなく、これです。こうして、ここから見悶えしてもがくのが、我々の人生だというのです。人生が今まで人間哲学、人生哲学という哲学を中心として、いくら探しても解決できないのです。これを人間の力で解決するのは間違いなのです。(一五五\二八二)
我々は、世界を一つにしよう! 世界を一つにしなければならないというのです。何を中心として? 真の父母です。神様の心情を中心として、スピリチュアル・アクシス(spiritual axis;霊界の軸)とアース・アクシス(earth axis;地上の軸)が一つにならなければなりません。何に一つになるべきか? 真の父母です。それが真の父母です。霊界でもどうしようもなく、地上でもどうしようもありません。真の父母というのは、センターから抜くことはできません。
真の父母に反対になるのが何ですか? 悪なる父母です。堕落は何か? 悪なる父母が生じることによって、横的な面で戦いが起こり、二つに分かれたのです。また、縦的な面では、善の神と悪の神の世界があるために、偽りの父母が生じ、このようになったので、ここに真の父母が来ることによって、これが授け受けするのです。偽りの父母によって、堕落が生じたのです。これに対峙するためには、真の父母が出てこなければなりません。真が出てこなければならないのです。(一四九\二七九)