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来られるメシアは、あの地の果てから…。「私は世の中に、僕の僕として来た。あなたがたは世の中の僕の僕にならなければならない。」そのようなことを言うのです。すべての人の前に「仕えろ!」というのです。霊界と肉界が分かれたために、霊的世界では、いちばん低い位置から高い位置まで…。(九三\四二)
再臨主は第三イスラエルだけではなく、第一、第二イスラエルの先祖として来なければなりません。我々食口は、イエス様当時の第一イスラエルが疑ったのと同じ、そのような立場を越えて、父の心情を通じて、父の腹の中にある子女のような立場に立つべきです。
再臨主は、霊界を収拾しなければなりません。霊界を収拾してくることで、第一イスラエルを立てた基台の上から出発しなければなりません。霊界にいる人たちは、真の父母と因縁を持っていることができないので、この過程を経なければなりません。霊界には一二支派型がありますが、第二イスラエルになるべきキリスト教は、支派編成をすることができる中心を失いました。故に、統一の理念を立てて、支派編成をしなければなりません。(一〇\二一八)
皆さん、アダム・エバ自体が神様を中心として、愛をなして、霊界に行くようになれば、誰が父になりますか? 神様は無形です。霊界に行っても見えないのです、神様がアダムをなぜそのように愛を中心として作ったかといえば、この被造世界は体を持っているためです。それゆえ、神様は、体を持った父にならなければならないのです。
体を持った父になることによって、見えない無形と有形が一つになるのです。それは、宇宙が一つになることを象徴するのです。それゆえ、体をまとうために、アダム・エバを創ったのです。その体をまとう所には、何が決定するか? 愛だけが可能なのです。神様の形状に似たそのような体を備えることができる姿で現れるのです。そうして、アダムの姿とエバの姿が天国の王宮に、王座に上がるようになり、その王ときさきの心の中に神様がおられて、地上世界と無形世界を統治するというのです。分かりますか? 愛の王宮。そうではないですか? 愛を中心としてのみ、霊と肉が合わさるようになるのであって、他のものをもっては合わさることができません。(一四三\九三)