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年が多い人たちがみ旨の道を行くには、これからどのようにすべきか? 肉身が老衰すれば、生理作用においても制約をたくさん受けるようになりますが、これを何で補強すべきか? 先生がこれを研究しています。霊と肉を中心として活動しなければならない時代において、絶えず弱化したらどうするか? 先生がそれを今準備しているところです。どうですか、それを教えてあげましょうか?
では、問題が何か? 新しい出発をしなければなりません。新しい出発をするには、毎日のように新しいものを発見しろというのです。新しいものを発見する人は、絶対に落伍者にならないのです。難しいことにやられても、絶対に失望をしないのです。かえって楽しみがわくのです。
少し前にも、誰かが訪ねてきて言うのが、勝共連合で事務所に座って事務をするのが無味乾燥だけれど、地区長たちを見ると、昔教会に責任を持って命をかけて働いたときが思い出されるのです。教会が懐かしくて訪ねてきた食口たちと授け受けした事情を考えると、そのときが懐かしいと? 分かることはよく分かります。今こそ分別がつきました。
霊界に行けば、誇るべきことはそれしかないのです。生命をどれほど生かしてやったか、これが誇りです。甲なら甲、乙なら乙、あるいは氏族を超越して、数多くの民族を立てた生命と関連させて、どれほど生かしてやったか? それが財産です。財産はそれしかありません。
霊界には、ない物がなくて、懐かしいものがありませんが、最も懐かしいものがあるなら、真なる人です。それゆえ、真なる人を養育するため、功を捧げたその功臣は、天上世界で当然に栄光の息子娘になることができます。それゆえ、誇ることができるのは、それしかないのです。(三〇\一四七)
霊界で神様が見るとき、皆さんの心が愛の鐘の音が鳴る場に入るようになれば、明かりがだんだん大きくなるのです。この光は五色燦然なのです。神様の目には、ダイアモンドの光よりもっと美しく見えるのです。
そして、その光だけが良いのではなく、その光の中は、味があるのです、味、味。それが何のことか分かりますか?(はい)。それは、見るほど良いというのです。見るほど良いのです。絶えず見れば見るほど酔ってしまいます。酔ってしまうのです。それゆえ、神様は、愛という言葉を言うのです。
さあ、皆さんの心の愛の金を「ゴーン!」とやって慣らせば(机を叩かれて語られる)天地を動かし、すべての万民を動かすようになれば、神様も「あ!」と言って動かすことができる鐘があるということを知るべきなのです。それゆえ、愛の涙をどれほど流したか、愛の切なさをどれほど持ったか、それが皆さんの財産なのです。(一〇三\二八)