P.266 |
皆さん、霊界に行ってみれば、霊界全体が人一人に見えます。全体が人一人に見えます。それで、主体である神様とこの全体、大きな一人と一つになるのです。そうなれば、全霊界と肉界が、皆とろとろになります。神様が跳ねれば、地も跳ね、神様が笑えば、地も笑い…。そのようになっています。
霊界に行ってみれば、一人のような組織になっているということを知るべきです。聖人たちとか、このような人たちは、目の役割をし、耳の役割をし、臭いを…。霊界がそのようになっているのです。そのように考えれば、間違いないのです。分かりますか、何の話か?(はい)。(九一\二八〇)
神様が笑うようになれば、全体がともに笑います。霊界に行けばそうです。霊界に行けば、直感の世界と同じです。すでに神様が好むのか好まないか、今日気分が悪いか良いか、地上世界に何かあって、喜ぶのを見れば、全体がふっと膨れるのです。ぷうっと浮くのです。(一九三\二六三)
霊界に行ってもそうです。サッと見れば分かるのです。入って見れば分かるのです。そこには、説明が必要ありません。誰がどうなのか、いっぺんに分かります。何、今日私が教育しても、信じるなら信じて、信じないなら信じるなと言いますがね。このような本当の総裁が、生涯を捧げて、このように生死之境をさまよいながら、解決した真理なのにもかかわらず、聞くのか、聞かないのか…。「自分の習慣がそうなら、そうかもしれない」と…。そうしたら滅びるのです。
聞くなら、ここからいっぺんに振り返るのです。聞かないなら、何度ですか? 他の世界へ行くのです。それで、間もなく霊界にいくだろうな。霊界に行けば、文総裁の言葉が間違ったか合っているか分かるでしょう。そのときになって、「ああ…」と言っても無駄なのです。理事ではなく、理事のおじいさんでもできないでしょう。
さあ、そのようなすべての人生が、行くべき程度の基準を行くのにおいて、横道に行って脱落者になってはいけないのです。(一九一\四八)
霊界に行くようになればですね、先生が霊界に行ってすべきことがたくさんあります。それでじっと見ると、私が長生きするのを願わないのですがね、長生きしすぎても困るのです。うちのお母さんはどこへ行ったかな?(笑われる)私がこの頃霊界の話をしょっちゅうするから、そうするなというのです。(笑い)霊界を知らないからそうです、霊界を知らなくてそう言うのです。
霊界に行けば、山のような所もそのまま…。通じない所がありません。霊界の動きを妨げるものが何もないのです。天の本性品の存在性なのに、それを妨げるようになっていないのです。皆通じるようになっています。時空を超越しているから、何億年前にいた人が、今もいます。今いるのです。その人たちも皆若い人として、自分が願う年齢で現れるのです。それゆえ、そのような人にいくらでも会うことができるのです。
ですから、説明が必要なく、弁明が必要ありません。サッと見ればもう分かります。あの人が自分の下なのか、横なのか、高い位置なのか、いっぺんに分かります。何億年前のおじいさんだった人たちも会えば、愛のその位階というものはいっぺん…。その位階は絶対的です。その位階が高い人は、自然にその位階を合わせて、自分が立つべき位置に立つようになっているのであって、むやみにはできません。世の中と違うのです。謀略中傷して出世して、そうする人はそれが皆逆さまになるのです。その反対になるのです。それで正道を見ろ、正道を見ろというのです。(一九四\一三三)
霊界に行ってみればですね…。皆さんは、霊界の事実を知らないでしょう? 霊界に行けば、何百万年前の人を呼ぶのです。「いつの時代、何百万年前に生きた人として、私のような我が一族と似た人がいたら出てこい」と言えば、きちっと出てくるのです。「何年生まれか?」と聞いてみれば、八百年前、あるいは何万年前生まれだと答えるのです。そして、初めて会いますが、サッと見るようになれば、皆分かるのです。何をして暮らしたということまで皆分かります。それがどれほど便利ですか? 素敵ですか、素敵ではないですか?(素敵です)。(一九九\一三〇)