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我々の人生が七、八〇年の人生で終えれば、別に問題がありませんが、我々の人生というものが、永遠な問題を中心として、生きていくというときに…。
では、霊界がある、死後に霊界に行くようになるといえば、何をもって考えるのか? 何をもって考えるかというのです。その迎える世界は、広大な世界です。皆さんは知りませんが、広大無辺な世界です。そのような世界に入って、いっぺんに感じるようになるのは、自分が暮らしていた故郷の地よりも、自分が暮らしていた世の中、地球星、地球星がどうで、どうで、どうで…。それを中心とするのです。
この地において、民族間の差別があり、背後に文化的な格差とか、相いれない生活像、もまれて暮らしているそこでも、自分を主張してすべてを収拾したく、自分の主張と自分の価値を残したかった過去のことが、その昔に過ぎ去ったのではなく、その世界に行っても生き生きとよみがえるのです。
その環境が、自分が測定して自分の考えの圏内に自由に吸収することができない、膨大な世界なら世界であるほど、もっと懐かしくなるのが故郷の地、あるいは地球星の暮らしではないか? 私はこのように見るのです。
では、それがあの霊界に行って、永遠な世界を描いていくその生活をするようになるとき、いつ行ってそれを忘れてしまうか? 何年もつか? このうようなことを考えるとき、皆さんはどのように考えますか? 何日もつでしょう、何年もつでしょう?
その世界に行って会う人は、全部見慣れない人です。そのような見慣れない環境で、自分がもし一人で立ったというときに…。皆さん、一度考えてみなさい。そこで考えるようになるときは、自分が恋しい人、過去の心の中に取り除くことができない、情緒的な面の関係を結んだすべての因縁を脱することができないのです。
いっぺんにその世界に行って考えるなら、自分が霊界に入ったとするなら、お母さん、お父さんはどのようになり、おじいさん、おばあさんはどのようになっただろうか? そのような考えをするでしょう。霊界に行っていちばん会いたいのが誰か?(一八七\二八五)
私は、考えるに、今日、世界で電気とか、宇宙とか、何とか言って大騒ぎするのは、愛の理想世界をなすための、一つの内的な潤滑剤のようなものだと思います。こういうとき、皆さんは、「アーメン」と言うべきです。そうであるなら、その世界は、そこは、愛の電気で充満した世界だという結論が出てくるのです。霊界という所が、愛の電気で充満した世界ではないかというのです。
そうなれば、この世の中に電気をもってしてはできないことがない、調和が繰り広げられるのです。愛の電気をもってですね、できないことがないというのです。ここから、我々は今、我々の意識構造をもって治めうる可能圏が、霊界というものを決定づけることができるのではないかと見るのです。では、霊界は何か? 永遠の要素を願う、永遠な所です。それゆえ、ここで愛を体験した霊人体は、間違いなく自動的に磁石に引かれ、その世界に行くでしょう。分かりますか? それを自分が感じるほどの霊界に行くのです。
さあ、では、霊界はどんな所か? すべてが愛で充満した、愛でいっぱいになった調和の世界です。皆さん、スイッチだけ押せばですね、このスイッチ一つのために、ニューヨーク市の何百万世帯に電気がサーッと入ってくるなら、これを信じられますか? 信じますか、分かりますか?(分かります)。では、愛のボタンを一度押せば、この宇宙が作動するというのが、嘘のように見えますか、本当のように見えますか?(本当です)。
それゆえ、地上天国が何か? すべての愛のバルブに火がつく所が地上天国です。そして、天上天国が何か? 愛のバルブに火が完全につくことができる所が天上天国です。
それゆえ、皆さんが愛の心さえ抱いて、愛の綱さえ引けば、皆引かれていくのです。後ろに引けば、後ろに行き(身振りで表現される)、前に引けば前に行き、このように引けばこのように入ろうとし、このように引けば上がろうとするのです。思うままに操縦されるのです。嫌でそうするのではなく、自動的にそうだというのです。自動的にそのようになるのです。それは理解できますか?(はい)。
それで、霊界という所は、愛の空気で充満した所であるという概念を、我々がこの地上にある認識構造を持って探すことができるのです。愛の神様が、愛の心を持って、世界の人類を一度に全部食べさせたくて、喜ばせたくて、「ご飯よ生じよ」と言えば、生じるのです。霊界でも食べなければならないからそうなのです。(笑い)
それゆえ、愛の食べ物を食べるのです。(笑い)互いに見るのも、愛の目を持って見て、皆そうするのです。すべて当たって割れても、また当たろうとするのです。(笑い)神秘さが形容できない所です。聞いても絶えずもっと聞きたいし、また、眠りとか、疲れとか、何とかいう観念はありえないのです。分かりますか? 何か疲れる理由があり、興奮する何かがあるべきでしょう。退屈で妨害となる何かがあるべきでしょう。それがないのに、なぜ疲れるでしょうか?
永遠に目を開けて、永遠に聞いて、永遠に食べずにいられるのに、ご飯などが…。ああ、今がいいのに、ご飯を食べろと言って食べますか?(笑い)ご飯を食べろと言ったら食べますか? 私は食べないのです。服を着ても、私が思うとおりに着ることができるのです。「今朝は、全部黄金の服を着ろ。さあ、ダイアモンドも何カラットのをつけろ。英国の王妃は五一七カラットを持ったが、それ以上になる一万七千カラットのをつけろ」と言えば、サッ!(笑い)そのようなものを皆持つことができるのです。すべてを皆作ることができます。(拍手)
そのように見るとき、レバレンド・ムーンは妄想家なのです。(笑い)しかし、可能な理論圏内で話しているということを、皆さんは知るべきなのです。可能性が多いというのです、可能性が。その言葉は、言ってみる価値があるというのです。言ってみる価値があるその言葉なのです。ですから、一度走ってみなければならないのです。一度ぶつかってみなければならないのです。しろという通りにしてみなければならないということです。それで、その候補者になりますか?(はい)。候補者になるという人、手を挙げてみなさい。いいでしょう。
霊界という所は、愛の電気で充満した所である! 事実がそうなのです。私の知る霊界はそうなのです。分かりますか? それで、今日人間たちは、なんでも全部愛に関係を結ぼうとします。なぜ、愛の関係を結ぼうとするのか? 霊界に拍子を合わせるためです。これが理論にピッタリと合うのです。そのようになっているために、そこに応じるしかないのが我々の存在物です。その位置を離れることができないということを、皆さんは知るべきなのです。分かりますか?(はい)。
皆さん、夢で先生を見たりするでしょう?(はい)。それはどのように? それが電気の波長を通して現れるか? 違うのです。神様の愛の波長を通じて現れるというとき、あー、と言って、スッと入ってくるのです。自分があってはいけません。自分があってはならないのです。自分を犠牲にするということです。真空状態を作らなければならないのです。そうなれば、何かが生じるというのです。真空状態になった次にはですね、抵抗がない黄金になるとかいうのです。黄金というのは他の要素がないのです。純粋なそのままなのです、純粋なそのまま。分かりますか?(はい)。黄金をなぜ宝物と言いますか? 白金は抵抗力がないのです。電気が入ってくれば、ピーッ。分かりますか?(はい)。
さあ、皆さんを叩いて、そのように作らなければなりません。叩いて作るべきです。叩いて純金を作らなければなりません。純金を作るべきなのです。その次には、犠牲になれということです。犠牲になれというのです。自分がなくなるように死ねということです。死ねというのです。なくなれ、なくなれ、犠牲になれ、犠牲になれ、なくなれ、ゼロになれ、というそのことなのです。
この頃、なぜ宇宙時代に入ってきて、電気時代に入ってきたか? このような時代が近いからそうなのです。我々の原理で言えばですね、真が来る前に外的なもの、カイン的なものが先に来るというのです。この世の中がカイン的なのです。このように見るとき、神様の愛の電気学を言うのにおいては、レバレンド・ムーンが先祖になるでしょう。分かりますか、もう?(はい)。
そのように考えるとき、霊界がないはずがないのです。宇宙の構成で見て、霊界はなければなりません。神様はいなければなりません。二重構造の原則で見るとき、二性性相の原則で見るとき、そうであってこそ、すべてが道理に合うということです。分かりますか、何の話か?(はい)。皆さんは、とてもよく分かったでしょう。(一一二\一七)